49話:咲いた桜は散るしかない。
さてさて、受験シーズンもほぼ終了。
基本的に、日本で重視されるのは最終学歴なので、中学受験、高校受験の結果は気にすることないですよ……などという私の言葉が気休めになるかどうか。
それ以前に、若年層はこれを読んでないだろう。
というわけで、まだ結果が出てない方もいるでしょうが、合格した方はおめでとうございます。
そして、残念な結果に終わった方……ようこそこっちの世界に。(笑)
いや、私浪人経験者なんで。
留年も経験してますんで。
参考にはならないでしょうが、読み物として私の浪人時代のお話を。
浪人した。
確信めいた予感はあったので、そのことにショックはなかった。
ショックだったのは、身内である愚兄の私への仕打ちだ。
豪拳が唸り、爆拳が炸裂するような仕打ちとだっただけ。(笑)
しつこいようだが、私は田舎に住んでいた。
高校の同じクラスで、私を含めて浪人生が7人生産されたのだが、5人が県外へと出て行った。
なぜかと言うと、予備校に通うためである。
彼ら曰く、『ここにまともな予備校はない』と。
受験を勝ち抜くためのデータやらなんやら、やはり予備校に行くなら全国規模の大手の予備校に通うほうが良いと、下宿やら、予備校の寮生活やらを選択。
そして、一人娘ということで親元を離れることを許されず、県庁所在地の予備校に通うことにした女子生徒が1人。
そして、残された私は自宅浪人を選択した。
勉強はひとりでできるというのが私の考えだったから、わざわざ高いお金を払って予備校に通う意義が見いだせなかったし、そもそも私の受験失敗の9割は父親のせいだというのが自己分析だった。
同じ失敗を繰り返さないため、私は3月末の時点で両親に『こういう方針でやる。なんか言いたいことはあるか?』と伺いを立て、まずはスポンサーとのコンセンサスの一致を試みた。
母親は『予備校行かなくていいのか?』などとぐちぐち心配するだけ。
そして父親は。
この3つのうちからどれか選べ。
まあ、田舎の父権社会の典型的存在なので。
周囲に対する見栄というか、悪く言えば『うちの息子は、こんな(有名な)大学に行った』と自慢できる進学先以外許さないというわけだ。(笑)
まあ私としても、奨学金とバイトでがんじがらめの学生生活はしたくなかったため、父親の条件を飲んだ。
1ヶ月ほど考え、父親の示した3つの大学のうち、実現性が高く、己の希望にある程度沿った所を選んで父親に示した。
ここを受験する。
志望校によって、受験対策が大きく変化するから、去年みたいに直前になってグダグダ言うなよ……と、何度も何度も念を押した。
いろんな意見はあるだろうが、受験というのは基本的にゴールが決まっている。
多少の変動はあっても、集合知の一種というか、これだけできれば合格ラインというのが大まかに分析できるからだ。
現役時代を顧みてもわかるように、現役世代は夏が終わってから受験勉強に本腰を入れる。
浪人生および早くから受験態勢に入った学生は、単純にスタートが早かっただけで、ゴールそのものは大きく変化しないと考えれば、ゴールラインを早々と通過しようが、ギリギリで通過しようが変わりはない。
精神的安定が得られるかどうか程度のものだろう。
なので私は、夏を過ぎるまではある程度流すことにした。
1年間集中して努力をし続けるのが困難であることなど、野球を通じて嫌になるぐらい理解していたからだ。
もちろん勉強しないわけではなく、過去5年、10年、15年、の過去問題、別の学部も含めての分析などをおもに、1日2~4時間程度。
午後からは、トレーニング。
当然、大学に入ってからも野球を続けるつもりでいたからだ……スポンサーである父親に真っ向から対立できなかった理由はここにある。
田舎なので、特にあそびにいく場所もなく、友人も働き出していたり、県外へ行ったりで……そもそも友人の数が少ないわけで。(笑)
とにかく何の問題もなかった。
秋口からは多少勉強時間を増やし、分析に合わせた細かい勉強へと移行。
特別なことではなく、当たり前のことを当たり前にやっただけ。
年が変わり、多少トラブルはあったが、まあまあ想定内。
だが好事魔多しである。
いつものことだ。
例によって例のごとく、またあれだ。
この大学行け。
甘かった。
この生き物が、1年近く前の約束を守るはずがない。
というかそもそも、子供が父親に意見することを好んでいないのだ。
高校進学の時もそうだったし、去年もそうだった。
なんとなく金属バットに目をやってしまったが、子供は親を選べないし、親もまた子供を選べない。
人間性はともかく、生活に不自由しなかった、金のかかる野球をさせてもらえた、大学進学もさせてもらえる……親としては立派な親だ。
だから私は諦めた。
立場の違い、価値観の違いは、学校生活の中でも普通にある。
親子だから、血が繋がっているからわかってもらえるなどというのは、子供の甘えであり、感傷にすぎないのだから。
この生き物と私とでは、所詮言葉が通じない。
言葉が通じないというのは、お互いの価値観をすり合わせることができないという意味で、父親の価値観を前提にした交渉が不可能であるという意味ではない。
当時の大学受験というか、国公立大学では前期試験と後期試験に分かれていて、前期は父親の希望に沿って受験することにした。
そして、『え?今年も落ちたら2浪だよ?それ、あんたの仲間内で馬鹿にされるんとちゃう?滑り止めとしてどこか押さえておいたほうが良くない?』などと、父親の体裁だけを考えた条件闘争の結果、後期試験は父親の希望を下げさせた。
ただ、父親としては私の意見に従うのは業腹だったらしく、私が希望する大学を受けることは許してもらえなかった。
それって誰得なの?(笑)
普通はそう思う。
でも、これが田舎ではよくあることなのだ。
父親の希望を下げさせるというのは、父親のメンツを潰すことを意味していて……その代償として、私は犠牲を払わねばならない。
私が希望する大学を受験する……これを犠牲にすることで、ようやく父親のメンツが保たれる。
……頭がおかしいのではと思うかもしれませんが、これが私の直面していた現実でした。
あ、前期で合格しました。(笑)
ちなみに、母親に言われて嫌々父親に報告しに行きました。
『合格したよ』
その一言に、父親は何も返さず……電話をかけ始めました。
そして、仕事仲間というか友人知人に『うちの息子、〇〇大に受かってなあ』などと自慢を始めたのです。(笑)
うわあ、褒めろとは言わんけど、せめて『そうか』ぐらいの返事はしろよ……などと、私は苦笑しつつ母親を見たのですが、母親の目が死んでました。
あぁ、この生き物の子供をやるより、妻をやってる方が大変だよなぁ……そりゃヒステリーも起こすわ。
そんな風に諦観してしまうと、怒りすらも湧きません。
この一連の騒動で、私はまた一つ大人になったというか、人間としてどこか道を踏み外したような気がします。
だが油断してはならない。
私は、就職がらみで父親からさらなるひどい仕打ちを受ける事になるのだから。(笑)




