192話:年の瀬に…
気が付けば師走。
気が付けばもう今年も終わる。
まあ、どこかの歌のように、無条件に『お正月を心待ちにする』年齢はとうに過ぎてしまいましたからね。
大人になってしまえば、親戚の子供連中にお金をむしられるだけの時期ですよ。
ただでさえ年末は物入りな上に、どこかの潮の香りがするイベント会場で気力体力金力を大量に消費して干からびた状態で迎えるお正月に何を望むというのか?(笑)
うん、そろそろ某イベント参加を見合わせる時が来たのかもしれません。
……なんのことかわからない人は、わからないままでいいと思います。
さて、メタなネタはこのぐらいにしておいて。
都市部において、正月三が日に営業する店が珍しくない今の時代……年の瀬の準備は果たして軽減されたのかなあ、という疑問が。
コンビニなんかは、『正月?知らない子ですね』状態なので、食料という意味でのライフラインというか備蓄の必要性がないと言われればありません。
まあ、コンビニで働いた経験のある私としては、お正月という感覚以前に曜日感覚すら消滅した状態で、年の瀬の準備なんかしようとも思いませんでしたとしか言えません。
普通にごはんを作って、いつもどおりの生活で、仕事する……それがお正月。
この時期になると、『1年を振り返って』とか、『来年に向けての展望』とか、そういう雰囲気へと誘導する動きがありますが、そういうスイッチを求める心こそが軟弱かもしれません。
淡々と日々の生活を重ねていく……そうか、これこそが功夫なんだ。
クリスマスやお正月などのイベントには目も向けず、季節も、曜日も、すべてを超越して、淡々と積み重ねていく功夫の日々。
などと、馬鹿なことを考えてしまう……これが年の瀬マジック。(笑)
などと、ネタに使っておいてアレですが、『功夫』に対して日本人(特に上の世代)が抱いているイメージって某人物の香港映画のアレの影響が大きいんですよね。
まあ、日本人が、日本人にわかりやすくするためとはいえ、当時は意図的な誤訳とか氾濫しまくったらしいです。(功夫=空手とか)
あれを見て、空手道場の入門者が増えたとか。(笑)
そもそも、映画としての表現を踏み台にしているから……私より上の世代の人間のイメージは『派手なアクション』と『アチョー(奇声)』であることは言うまでもありません。
つまり、『功夫』という名前の武術という認識でしかないわけで。
某格闘ゲームの某キャラの決め台詞に『あなたには功夫が足りない』的なセリフが使われてから、ある意味正しいイメージが広がりつつあるという感じですかね。
実際のところ、中国武術(各種)などにおいて使われる言葉で、『修練』とか『費やした時間』とかの意味合いらしいです。
正しいかどうかは知りかねるのですが。(笑)
さて、今年もあとわずかですが、功夫を積み上げていきましょう。(意図的な誤用)




