184話:憎まれっ子世に憚る
憚るって、蔓延るの変化系じゃろか?
まあ、基本的には悪貨は良貨を駆逐するというか。
実際のところ、嫌いな奴は目につくから悪目立ちしているのかもしれないし、他人と同じことしかできない人間よりも、他人とは違うことができる人間のほうが頭角を現しやすいのかもしれない。
残念なことに、統計は取れませんからね。(笑)
いや、統計とったら、人間不信の嵐が吹き荒れます。
昔クイズで、統計が取れないものの例として『犯罪の実行率』なんてのがあったなあと。
そんな感じで、この言葉について今更何も語ることはないと思っていたのですが……この前、新説というか、そういう解釈があったか、と。
憎まれっ子は、当然周囲の人間に嫌われている。
周囲の人間に嫌われているから、人付き合いが少なくなる。
人付き合いが少ないと、人間関係において苦しむことが少ない……というか、むしろ無神経なために嫌われている。
つまり、人間関係のストレスをほとんど感じない。
結果、長生きする。
いやあ、知人からこのネタを聞いて爆笑しました。
そして、なるほどと思いました。
まあ、こういうネタが出てくるあたりが、現代社会において何を重視しているかをあらわしているんでしょう。
つまり、故郷から脱出した私は間違ってない。(笑)
いや待て、別に私は世に憚りたいわけじゃないし、長生きしたいわけでもない。
……考えてみれば、私のスポ根脳というか、野球に対する傾倒は、現実逃避の側面があったのかもしれないなあと。
だって、リアルにおいては、他人を出し抜き、仕掛けられる罠を避け、時によっては罠にハメなきゃ生きていけないのに、他人に打ち勝ったり、罠にはめることを嫌悪される。
どこかの文豪ではないが、『げに人の世というものは生きにくきものなり』なのだ。
でも、スポーツの世界はいい。
努力することが尊いという価値観から逃れることはできないが、勝つための努力そのものは基本的に賛美される。
もちろん、場合によっては人の黒々とした情念を浴びることもあるが、それでもリアル世界に比べればかなり生きやすい世界ではあると思う。
まあ、上のレベルに行けばまた話は別かもしれないが。
……そう考えると、世に憚る憎まれっ子とやらも、周囲と折り合うことを諦めた人間がいるのかもしれない。
私たちは2本の手しか持たない。
あれもこれもと欲張るには、不足することがほとんどだ。
己を知る。
足るを知る。
身の程をわきまえる。
自分の思いを削ることに対しての教訓が世に溢れているということは、そういうことなのだろう。
空気を読めないのではなく、読まない。
その選択をした、もしくはするに至った過程を思うと……憎まれっ子と呼ばれる存在の一部もまた、ある意味被害者なのかもしれない。
絶望に沈む周囲の中で、ひとり立ち上がる存在。
世に英雄と呼ばれる存在は、そういうものだろう。
しかしこの英雄、周囲の絶望という空気を読んで立ち上がったのか、それともただ単に周囲の絶望に気づかずに立ち上がったのかでは、意味合いが違ってくる。(笑)
皆に愛される英雄は、さてどちらのタイプであろうか。
そのあたりは単純な話ではないが、愛されないタイプの英雄は……おそらく、憎まれっ子と呼ばれることになるのだろう。




