170話:空はいいなあ。
夕焼け空が綺麗だなあ……そう感じたのは、多分テレビやマンガ、小説の影響だろう。
夕焼け空は、いつも何らかの象徴的なシーンで使われる。
子供は、くり返しそういう価値観を受け付けられ、いつの間にか、『それ』を普通なものと認識してしまう。
ひねくれた考え方だなあと言われるかもしれないが、共通の価値観なんてものは、こんな感じに刷り込まれるものだと思う。
私の世代というか、日本人の男性が金髪女性に弱いというのも、子供の頃から繰り返し繰り返し、ファッションモデルや、映画のヒロインや、金髪女性を『美しいもの』、『魅力的なもの』として刷り込まれたからに違いない。
夕焼け空を見て綺麗だなあと感じるのと同じレベルで、美人だなあ、綺麗だなあと感じてしまうのだ。
(目を逸らしながら)これが文化的侵略というものだ。
実際のところ、子供にとって夕焼け空は『遊びを切り上げて家に帰らなきゃいけない』ことを意味するので、ある意味物悲しい気分にさせるものだと思う。
記憶の改竄か、もしくは捏造か、本当に小さかった子供の頃、夕焼け空を見て残念に感じていたような気がする。(笑)
川が流れていくのを見ていると飽きないとか、焚き火の炎を見ていると飽きないとか……変化し続けていきながらも大きな意味では不変のものというのは、何かしら魅力的な部分があるのだろう。
風の強い日……台風の前日などの、雲が次々とちぎれて飛んでいく光景なんかは、目が離せなくなる。
私の人生において、特に空がなにかの役割を果たしたということはないのだが……主観的に、客観的に、私は空を見るのが好きだと思う。
ただし、雲一つない空はダメだ。
前にもちょっと書いた気がするが、美しくないとまでは言わないが、バランスがない感じがする。
バランスというか、つりあいというか……変化がない、緊張感がない……今ひとつうまく表現できない。
正直に書けば、何かが足りないような、何かが足りすぎているような、そんな感じだ。
子供の頃は、秋の空が好きだったと思う。
高校の頃は、夏の空というか、入道雲を見るのが好きだった。
大学の頃は、前半と後半でがらっと好みが変化するのだが、雪雲に憧れたり、アコンカグアの朝日に憧れたり……そこにないものを求めていた気がする。
会社勤めの頃は、会社帰りに星空を見上げたり、朝焼けを眺めたり……そんな余裕はなかった。(笑)
三十路を歩み始めた頃、空の蒼……夕焼け後、夜空へと移り変わる、深い蒼の魅力にとりつかれた。
写真を撮ってみたりもしたが、腕がないのかセンスがないのか、自分の目で見るしかないと諦めた。
某小説家の『色気と色香は別物だ。色香は香りであり散ってしまうものだから、瞬間を意味する』という言葉をなんとなく思い出したりもした。
瞬間は、文字通り瞬きする間というか……そこには、わずかながらも時間の流れがある。
写真は、その一部分を切り取る。
腕とセンスの問題という疑念は残るが、私が好きなのは時の流れを感じさせる何らかの変化なのだろう。 そんな風に、年齢とともに好みがコロコロ変わってしまえば、いつのまにかコンプリートしてしまいそうな気がする。(笑)




