148話:五右衛門風呂
この前読んだ漫画で、五右衛門風呂がネタになっていた。
うん、ネタになっていたのは良いんだけど、わざわざ細かく説明するのはテンポが悪くなるのはわかるんだけど、こんな入り方したら大ヤケドするぞと、ツッコミたくなった。
五右衛門風呂といえば、石川五右衛門。
石川五右衛門といえば釜茹で。(油)
まあ、当時(1595年頃?)に、盗賊が処刑されたことが山科卿の日記や、宣教師の日記などに記されていることから、石川五右衛門云々はさておき、釜茹で処刑は実際にあったことなんでしょう。
石川五右衛門がなぜこれだけの知名度があるのかというと、江戸時代に伝説の大泥棒として、講談、歌舞伎、浄瑠璃などの演題としてとりあげられたから。
まあ、観客に受けることを考えたら、その内容が、そうなっていくのは当然のこと。
なので、義賊やら、その他の数々の伝説は、フィクションとして捉えるのが無難でしょう。
さて、五右衛門風呂。
色々と細かい種類はあるようですが、一般的なイメージとしては『ドラム缶!以上ッ!』で間違ってはいないかと。
なので、ここで語る五右衛門風呂は、ドラム缶タイプを前提といたします。
ちなみに、『東海道中膝栗毛』では二人が五右衛門風呂に入る話があるが、その頃(作中の時代、作品が書かれた時代)にドラム缶があるはずもないので、土釜の上に風呂桶を据えたものです。
話がそれた。
さて、このドラム缶のお風呂。
イベント絡みで、私も一度だけ入ったことがあります。
風呂に入りなれた現代社会の日本人の感覚によるモノと前置きをした上で、湯加減とか関係なしに、いわゆる『お風呂でゆっくり』とか『お風呂でリラックス』なんてモノは期待できません。
なんというか、あれは正しく機能美というか、湯に浸かる以上のことを求められてはないというか。
ドラム缶を風呂桶代わりに使うならいざ知らず、基本的にドラム缶を台の上に据えて下から直接火で沸かしているので、ドラム缶に直接触れると火傷します。
まずお湯の上にスノコが浮いてて、それを踏んで入ります。
つまり、ドラム缶の底にスノコが沈んで、足の裏がドラム缶に触れるのを防ぐわけですね。
『昔は、下駄を履いたまま入ってたよ』などと教えてくれて、なるほどと思いました。
さて、入ってしまえば、湯は湯です。
いい湯加減だぁ、などと背中を伸ばせば、ドラム缶に触れて飛び上がる羽目になります。
ドラム缶に触れぬよう、中腰で、大きく身動きせぬように、中腰で、お湯を味わってください、中腰で。
私が入った五右衛門風呂は屋内設置でしたが、五右衛門風呂の醍醐味は屋外設置型タイプかもしれません。
いわゆる、簡易的な露天風呂。
もしくは、屋根だけ設置のタイプ。
満天の星空に、あるいは沈むゆく夕日に目を奪われるかもしれません。
美しい景色というものは、それだけで人の心を魅了します。
気が付けば、もっと見てみたいと身を乗り出し、ドラム缶のフチに手をかけて……。
さて、そろそろ気がついたかもしれません。
五右衛門風呂から出るとき。
ドラム缶のフチにタオルを乗せて、そこに手をかけてとりゃっと脱出。
ちなみに、ドラム缶の深さは……あれ?こんなに浅かったか?
今調べてみたところ、現代規格においては200リットルドラム缶のサイズは、深さが約90センチ。
はて、私の記憶ではもっと高さがあったような……。
今の規格と、昔の規格が同一ではないのかもしれません。
だって、深さが90センチだと、肩まで浸かろうと思ったら中腰の姿勢でも……もっと大きなサイズだったのかな?
まあ、入る時のために、五右衛門風呂のそばには台があって、足先から忍び込むように入るわけですが、今度はそこに脱出するわけですね。
ちなみに私は膝を火傷しました。
と、いうか……底に沈めるスノコみたいに、そこの台の上に木の箱を置いておいて、出るときはそれを沈めて踏み台がわりに使えばいいんじゃなかろうか?
人が出たら浮いてくるのでそれを回収。
そう言うと、『その手があったか』みたいな表情を浮かべたおじさん(当時)。
それが採用されたかどうかは知りません。
まあ、そんな感じで、ある程度なれも必要というか、神経使うし、テクニックも必要です。




