130話:いたちごっこ
真夜中だというのに、鳥が騒ぎ出す。
まさか。
押取り刀(懐中電灯)で駆けつけてみれば、鶏の数を数えるまでもなく、散らばった羽などから何が起こったかは明らかだった。
まさに畜生。
文字通り畜生。
イタチの仕業である。
奴らはおもに夜にやって来る。
なんどもなんどもやって来る。
私の家でだけでなく、周囲の家も、小学校のチャボもやられたことがある。
飼っていた子猫がやられたときは、殺意を覚えた……というか、一度だけ、まぐれも良いところだが、実際に殺せた時もある。
以前に書いたお話『石合戦』は、こういう時のために村の中で培われたスキル訓練なのかもしれない。
ちなみに、目に見えている場所に投げても絶対に当たらない。
ある程度の行動予測はできても、運任せで『予想した移動先』めがけて投げるしかない。
まあ、人の投げる石を食らうイタチはそもそもこちらを舐めきっている状態というか例外であり、普通のイタチは、その姿を目で捉えることすら困難だ。
それにしても、今思うとイタチはすごい。
言うまでもないが、猫はともかく、鶏は放し飼いにしているわけではない。
鳥小屋で飼っている。
奴らは木を削る。
金網にはかなわないが、土を掘る。
狙う奴らと狙われる対象。
どうしても、狙われる方が立場が弱いというか、対策は後手にならざるを得ない。
私が物心着いた頃、既に鳥小屋は何度もバージョンアップを済ませたモノで、それはすなわち、奴らに対する敗北の歴史というか回数だ。
結局というか、自然な形で私の家では鶏を買うのやめた。
まあ、それで奴らとの戦いが終わったと思いきや、やられたのが子猫だ。
ギャンギャン泣き喚く親猫の姿は、なかなかに心をえぐられた。
中学校の行き帰り、私は必ず手頃な石をいくつか持ち歩いていた。
そんなことはめったにないが、奴らの姿を見かけたら即投石の心持ちで。
実際のところ、私はイタチのことを知らなすぎた。
敵を知り己を知れば……というが、敵であるイタチのことを知らないのだから、いいようにやられても仕方がなかったのだ。
イタチの最後っ屁などというが、間近に追い詰めた経験もないので、当然のように味わったこともない。
父は味わったことがあるらしく、あんなもん経験しない方が良いと言っていたが。(笑)
大学進学で故郷を離れて、イタチとは無縁の生活を送っている。
まあ、いることはいるんでしょうが、関わりのない生活を送っているということ。
ただ、近年では普通にニュースになっているように、狸は何度か見かけた。
実際、田舎では狸の姿はほとんど見かけなかったのだが、夜道を歩いていてキラッと光るあの目。
今ひとつ説明のしようがないのだが、目の光り方でなんとなくわかってしまう。(勘違いしている可能性はある)
ただまあ、こちらで出会った狸は……なんというか、随分人慣れしている。(笑)
10メートルも離れていない場所に私が立っているのに逃げないのだ。
ゆっくりと腕を振り上げる……まだ逃げない。
狸は、イタチに比べて動きが悪い……悪いにしても、これは。
うん、こいつら、野生じゃないわ……などと苦笑したものだ。
その反面、野良犬を見かけることがなくなったなあと感じる。
私が住んでいる近辺だけかもしれないが、都市部なんかに出かけると、野良犬がいなくなった実感は増す。
私にとって、犬は文字通り番犬としての犬だったのですが、そういう飼い犬というか、考え方が少なくなっているのかも。
まあ、農村部では、イタチなどの獣対策。
都市部では、泥棒などの人対策。
うん、都市部の泥棒対策ってのは、もう時代にあってませんね。(笑)




