和解
『お前、なんか疲れてないか?』
と、バイト先の友人に言われながらも、来月からのシフトを増やしたのはつい1時間前のことだ。
学校帰りの現在時刻は夜8時。3時間のバイトを終えて、西条圭一は帰宅途中だった。
これから5分も歩けば、アパートに辿り着く。
いまだに居座っているであろう悪魔の胃袋を持つ女が待っていることを考えると、憂鬱な気分になった。
ちなみに、シフトを増やしたのもその女が原因であった。空腹で倒れた彼女、和泉亜希をファミレスに連れていくなり、1万2千円近くの食事をしたのである。その穴を埋めるために、シフトを増やさざるを得なくなったのである。
とはいえ、それにも『一週間飲まず食わずだった』という理由があるのだが…
それはともかく、圭一は昨日殉職した諭吉さん分と、あの手この手で居座り続けるであろう和泉の食費を考え、少しながらもシフトを増やしたのだ。
とうとう玄関先まで辿り着き、
「ただいま」
と声を出してみるが、人の気配がない。というか、ドアノブが回らない。ガチャガチャと音がするだけで、扉は固定されているままだ。
それで、今朝自分で書置きをしたのを思い出してポストの底裏を覗き込んでみた。そこには、鉄の板と板がはがれかかっている隙間に、鍵が挟まされいた。となると、どうだろう。
つまり彼女はこの家から立ち退いたということになる。
そうか立ち去ったか。これで今日はゆっくり眠れるだろう。
圭一は冬の気温ですっかり冷たくなった無骨な鍵を引き抜き、玄関を開いた。
ゆっくりも眠れなかった。
「で、俺に連絡が来たわけか」
「面目ございません」
時刻は午後11時。夜も夜中である。
圭一と和泉は、そんな真夜中にこの寒い街中を和泉と二人で歩いていた。
こうなるに至った経緯はこうだ。
ようやっとゆっくり眠れると思った夜10時のこと。
枕元に置いておいた充電中のスマートフォンが着信を知らせる甲高い音を鳴らし始めた。マナーモードにするのを忘れていて、バイト中に鳴りださなくて助かったと思いつつ呼び出しに応じると、相手は意外な人物だった。
「もしもし、わたくし白ヶ谷警察の者ですが……」
何の後ろめたいこともないが、戸惑いつつ応対していると、
「お宅の和泉亜希さんなんですがね、いまこちらで預かってるので引き取りに来ていただけませんか」
警察が言うには、不審な女性がうろうろと街中を彷徨っているという通報を数日前からキャッチしていて、夜の警邏中に和泉を見かけて職務質問してみると、名前と年齢は答えたが住所は解らないし親との連絡はつかない。
とりあえず警告だけということにして、今回はこれで帰ってもらおうと思ったが、そもそも住所がわからない。誰か身柄を引き受けてくれそうな人間はいないかと尋ねたところ、出てきた名前が西条圭一その人だったわけだ。
「なんだって俺の名前を……いまさら聞くようだけど、誰か頼れそうな親戚とかいなかったのか?」
後ろでとぼとぼと付いてくる和泉に顔色も覗かずに話しかける。
「はい、子供のころに聞いた話なのですが、両親どうやら駆け落ち結婚らしくそっちの身元はわからんのですよ。なんでも父上はどこぞの御曹司だったとか」
なんだか面倒くさい設定だなと思いながら、ほとほとこいつも恵まれないやつだと同情する。いや、両親がいる間は恵まれた環境だったのかもしれないが。
こいつの性格からして、おそらく御曹司ってほうの血が受け継がれているのだろう。自分勝手、強行突破、しかし何があろうと能天気でどこまでも前向き。
恨むぜ親御さんよぉ。
「それで、今日はどうするんだ」
「はぁ、と言いますと?」
「帰るところだよ」
「はぁ、まぁ、またあのビルの屋上にでも潜り込もうかと考えてますが」
「~~~っ。はぁ・・・。来いよ」
圭一が呆れに呆れてため息をつき、仕方なく一言告げると、和泉はポカンとした表情で突っ立っていた。
「何突っ立ってんだよ。置いてくぞ」
「いや、でも、あれ?」
「帰るとこないんだろ? どうせまたうろついて警察に保護されるのが関の山なんだろうから、住まわしてやるよ」
そう言って振り返ると、和泉は顔の前で両手をぶんぶんと振っている。なんだよ、昨日なんかあんなに泊めて泊めて言い張ってたのに。
「いえいえ! あんなに御世話になった以上、これ以上御面倒かけるわけにはいきませんて!」
「なに言ってんだ、昨日は無理やり泊りこんだ挙句、夜這いまで仕掛けてきたじゃないか。何を今さら・・・、ああ、そうか、いや、別に嫌ならいいさ。ただし、今後警察に捕まっても俺の名前は出さないでくれよ」
和泉が必死に「別にいい」と言うもんだから、冷静になって考えてみると確かにこれ以上俺が気を回す程の事でもないことに気がついた。
「じゃあ、せめて夜は歩き回るなよ。また補導されるから」
気を使おうとした俺もどうかしてた。こいつはこいつで人生生きてこうとしてるんだから、余計なことはせんでよかったのだ。圭一はそう思うことにして歩きだす。
「圭一さんって、結構気分屋なんですね」
自慢じゃないが、小中学校と通知表には、人思いだが気分屋で優柔不断。とよく書かれていた。
そんな話をしていると、冬の夜の気温の低さに体が警告を出すように、体がぶるっと震えた。その場でガックシと肩を落とす和泉を置いて、圭一はそそくさと帰ることにした。
テクテクテク
トボトボトボ
テクテクテク
トボトボトボ
「・・・」
「・・・」
「なんだよ」
「いえ、その・・・」
会話もなく、ただただついてくるだけの和泉を軽くねめつける。
「・・・(ぐ~」
「・・・頑張れよ」
腹の虫を鳴らす和泉を無視して帰ることに、
バタリ
後ろで何かが倒れた音がするが、気にしない。
・・・気にしない。
・・・気にしな
「・・・あーもう、俺も変なとこで甘い奴だなぁ」
さしもの圭一にも、人並みにはある同情心が後を引き、ついに自分の足を止めさせる。見過ごせなかったわけだ。
少し歩いても何の反応もない和泉に、自分への呆れも込めため息をつきながら振り返る。
案の定、和泉はいつぞの時のように地面に倒れ伏していた。
「おい、今日も泊めてやるから、早く起きろ」
と、倒れている和泉に声をかけるが、反応はない。やれやれ、と和泉に近づき、起こしてやろうと手を伸ばす。その時、何を思ったか俺は和泉の顔に手を伸ばしていた。
気絶している顔でも見ておこうとでも思ったのだろうか。どうせ@△@こんな顔をしているのだろうと、前髪をかきあげるときに額に触れた。
「あつ・・・」
やけに温かい。
夜風に当たった圭一の手が冷えていたからといって、人の頭部を触った時にここまで熱いと感じるものだろうか。
ハッとして耳を傾けると、和泉からは悲しい腹の虫の声ではなく、短く断続的な吐息が聞こえた。
「おい、大丈夫か?」
問うも、応答なし。
「おい、しっかりしろ!」
夜道で倒れている女性をゆすっているところなど誰かに見られたら、通報でもされるだろうか。そんなことを考えながらも、圭一は和泉に意識の確認をした。
今更ながらによく見てみると、この寒空の下で季節にしては薄着である。それがぐっしょりと汗でぬれている。
顔は若干赤みを帯び、額と同じくらいに熱かった。
「待ってろ、いま病院に……」
連れて行こうとして思い出した。
いや、これは思いつきだから、思い出したというのは少し違うかもしれない。ただ、病院に行くとして必要なものがある。
それを確かめるため、失敬して和泉の体を探らせてもらった。そして探す間もないほどあっさりと出てきた財布の中を確認してみる。
予想通り、確認する必要のないほど軽いそれには、レシートが2~3枚と24円しか入っていなかった。つまり。
「夜逃げするほど金ない家が、保険入ってるわけないよなぁ……」
保険証がない和泉をおいそれと病院に連れていくわけにもいかなくなった。圭一とて先日の件で金欠になりかけているというのに、保険なしの治療費を払うほどの余裕はない。
支払いを待ってもらう手もあるだろうが、圭一はお金の貸し借りとか延滞を嫌う傾向があった。
「結局こうなるのか・・・」
圭一は湯たんぽのようにあったかい感触を背に感じながら、出来るだけ揺らさず、急いで自宅へと向かった。
よくよく考えてみれば、彼女がこうなるのは目見みえたことだった。
一週間飲まず食わず。一度食事をとったからといっても、体力・精神力ともに、かなり消耗していたはずだ。
ましてやこの寒い冬の季節、防寒具もなしに野宿していたとすると、満足のいく睡眠もとれなかったはずだ。
もしかしたら、圭一に絡んできた時のテンションも、疲労で倒れまいとする和泉のカラ元気だったのかもしれない。だとしたら、その気力や凄まじいものがある。
昨日でとうとうダウンしたのは、おそらく警察に捕まるという緊張感から解放されてから圭一の顔を見て、安心だか安堵だかして気が抜けたんだろう。
とりあえず今は、目の前の布団で横になる和泉を称賛しておこう。
幸い、彼女は熱が出ただけだったのか、圭一の一晩に及ぶ『超、献身的』な看病を受けたおかげで今は落ち着いている。おかげで徹夜である。
しかし、圭一の徹夜に及ぶ超献身的な介護によっても、及ばない点があった。
「着替えさせられない・・・」
事態が事態とはいえ、さすがに男である圭一が寝込んでいる和泉を着替えさせるなんて芸当はできないのであった。
圭一は大家さんに頼もうかとも考えたが、家出少女を連れ込んでる、なんて思われたら、今後がいろいろと面倒くさそうだし頼むことができなかった。やたらオカン的な存在なのだ。あの方は。
そんなわけで、和泉はやたら寝にくそうだ。
・・・まぁいいか。居候の身だし。それになんだかんだ昨日までのことを思い出したら、若干腹が立ってきた。
これが、圭一の気分屋と言われる理由である。
こいつの生命力ならそのうち起きて、自分でいろいろするだろう。俺の手を尽くすべきことは・・・もう・・尽くし・・・・・た・・・。
そうして圭一は、和泉の上に覆いかぶさる形で寝ることになったのである。
「南コンゴ共和国!」
御昼時。
アパートの一室で意味不明な叫びとともに起き上がった少女がいた。
「・・・あー・・・・」
和泉はボーっとした様子で数十秒間目の前を見つめた。頭がぼーっとする。
そして次に来る、汗で体に張り付いた服の嫌な感覚。
そして、いまだ体半分にかかっている毛布を半ば強引にけり飛ばすと、ちょうどいい具合に圭一に覆いかぶさった。
「べっとべと・・・」
張り付く洋服がとうとう嫌になり、服を脱ぎだす。周りに誰もいないみたいだし、いいでしょう。次いで、自分がいるのが昨日の西条の家だと確認すると、真っ先にバスルームへと駆け込んだ。
なぜこんなに汗ばんでいるのか解らない。ともかく考えるより先に、このべたつき感を洗い流してしまいたい。その一心で、シャワーのコマを捻る。
「わひゃい!」
シャーっと出てきた液体は、お湯などではなく冷たい水のままだった。季節は年末少し前。圭一ももう少しで終業式で冬休みという時期である。冷水を浴びた和泉が悲鳴を上げるのも当然のことであった。
ボイラーを焚いて、少し水を出してからじゃないと温かいお湯はでない。
「ぎゃー!キャー!」
・・・のだが、和泉は冷水の感覚に驚いて、シャワーのノズルを手放してしまった。安定した土台をなくしたノズルは、噴出される水の威力によって右往左往と動き回る。
その余波(水)を受けた和泉はどうすることもできず、受け止めきれるはずもない両手ガードで防ぐも、拡散する水は容赦なく和泉に冷水を浴びせるのだった。
凍えあがる体は、なかなかノズルに手を伸ばせないでいる。さらに悪状況なのは、ボイラーを動かしていないことにある。
灯油による熱がない以上、シャワーの温度が上がることはない。たまらず和泉は風呂場から飛び出した。
「んだようっせーなぁ・・・」
意識が途切れたように寝てたが、なんだか急に息苦しくなるしギャーギャー悲鳴が聞こえるわで、圭一はついに寝ることができなかった。
なぜか自分に覆いかぶさっていた毛布を几帳面にたたみ、ベットの上において悲鳴のほうへ向かった。
バタン!
「ぃひゃああああーーー!」
「どぅふし!(悲鳴)」
圭一は突然風呂場から飛び出してきた和泉にタックルを食らった。5のダメージ。
圭一はひるんで動けない。
たたかう 叱る
怒鳴る にげる
圭一は呆れた。
和泉は寒くて動けない!
「お前な・・・」
「サム!サム!サムスン!」
仰向けに倒れた状態から起き上がろうとすると、なんだかやたらと体が重い。なんでだ?
やたらと煩いのが、圭一の上にのしかかってるからである。いや、圧し掛かるどころかこれは抱きつかれている。
背中にも手を回されてる感覚を覚えるに、圭一は和泉に抱きつかれてるようだ。
「で・・・なんで裸なんだ」
裸の和泉に抱きつかれていた。
「しゃしゃしゃ、シャワーが水で・・・サブッ・・・」
「お前、体めっちゃ濡れてるじゃないか! 離れろ服が濡れる!」
「あ、あ、あ、そんな御無体な! 寒い時には人肌を重ねるのが一番とどこかの寒い人も言ってたじゃないですか!」
なおもガクブルと震える和泉は、がっちりと腕を固めてホールドしてくる。
「ここは北国じゃねぇ! いまお湯出るようにしてやるから風呂場に引っ込んでろ!」
「ぼ、ボイラー室までこの状態でもいいですか・・・?」
「風呂場入り口にあるスイッチ押すだけだよ! 1分もかからねえんだから我慢しろ!」
「うひぃぃ」
なるべく和泉の体を見ないように、和泉を風呂場に押し込めて圭一はボイラーの電源を入れた。お湯が出るまで20秒もかからないだろう。
「つつつ冷たいですううぅぅ」
「蒸気が出るまで待てねぇのかお前は!」
入って即座にシャワーのノズルを回したのか、水の出る音と和泉の暴れまわる音が響いてくる。
冷水状態の水は一気に噴き出すからな。冷たいだろうよ。
「・・・あ、きた、きましたきましたよ!」
「ったく・・・」
徐々にお湯が出てきたのか、シャーっという音がじゃばじゃばと何かに当たり始める音に代わる。
圭一はあまり中のことは想像しないようにしつつ、とりあえず顔を洗うことにした。