押し入り
ファミレスを後にして、圭一と和泉は圭一の一人住まいのアパートへ向かった。
一人暮らしには十分すぎるくらいの1LDKの6畳半で、浴槽トイレキッチン付き。賃料は4万弱で、そこそこいい物件だと思う。
「ほほぉ~、なかなか良いお住まいに御住いで」
「家賃の半分は親から払ってもらってるけどな」
中に入るなり、和泉さんはちょこちょこと歩き回り始めた。一応そこそこ片付けてはあるが、あまり見られたくない。
「ほら、シャワーはここ。用が済んだら、とっとと出てけよ」
圭一は部屋に放置されたトランクスをつまみあげる和泉を見て、これは長居させてはいけないと脱衣所に押し込めた。
「お礼の気持ちに、少しくらい覗いてもいいですよ?」
「やめておく。裏がありそうだ。どうせ『もうお嫁にいけません。責任、とってくださいよね』とか言い出すつもりだろう」
和泉が目をそらしながら不器用に口笛を吹き始めたので、圭一はバシンと扉を閉めた。
それから圭一は部屋の掃除を始めた。とりあたって下着、机の上のごみ、皿、目につくようなもの。すると、さして汚れていなかった部屋は、実にあっさりした内装になってきた。
カーテンを開けると薄黒い夕陽がさしてきて、気付けば時刻は6時を過ぎていた。
「あっはは~、幸せ気分です~♪」
そうしていると、長い入浴を経て和泉さんがバスタオル姿で風呂から上がってきた。バスタオルだけを体に巻いた、裸の状態で。
「服はどうした」
「いや、さすがの私も風呂上がりに1週間洗ってない服を着る気にはなれませんよ」
というコメントの後に、脱衣所から『ゴーン ゴーン ゴーン』という、なにか重苦しい機械が動く音が聞こえた。
「お前、脱いだ服はどうした」
「ああ、すいません洗濯機使わせてもらってますね☆」
圭一はバスタオル姿の和泉を押しのけ脱衣所を除くと、限界重量5キロの洗濯機が、悲鳴を上げながらグワングワンと動いていた。
「おまえ、着替えは?」
当然、今さっきまで着ていたものという意味ではなく、どこかに変えの服はないのかという意味である。
「家にあったのはたぶん、ぜーんぶ借金取りに押収されちゃってますね」
「どうすんだよ、」
「どうしましょうねぇ。とりあえず裸で外に出ることはできませんが?」
和泉はにっこにっこと微笑みながら、これはもうどうしようもないだろう? と今にも言い出しそうにうずうずしている。
「・・・っくそう、わかった。今日だけな」
和泉の執念に、圭一はため息交じりにそう答えることにしたのである。
「ありがとうござます!」
「服乾くまでは……あー、この毛布でも纏ってろ」
やれやれと押入れの戸を開いて、来客用の毛布をぽいっと放り渡す。家族が泊まりに来た時のため、のものだったが、いたしかたない。
「至れり尽くせりですな」
受け取った和泉はぬくぬく顔で毛布をバサッとかぶり、両端をつかんで顔をうずめていた。
「おまえ、本当に俺に感謝してるのか、利用してるのか?」
「りり、利用だなんて、とんでもない! 感謝感激大御礼にございます!」
その場でババッと素早い動作で、ははぁと圭一に向かって膝まづく和泉。おい、あんま頭下げると毛布の隙間からみえ……
『ぐ~』
「「・・・」」
はて、どこかで聞いたことのある虫の音だな。なにやら、目の前で膝まづく小娘から聞こえたような。
「・・・お腹・・・減りました」
「はぇぇよ!」
衝撃の事実だった。
たった1時間ほど前までファミレスで1万円を超す暴飲暴食を果たした16歳そこそこの少女が、俺の家に来てシャワーを浴びるだけの間のどこにそこまでエネルギーを消費する場面があったのだろうか。
「消化早過ぎだろう!」
「きゅ~@△@」
「ってまたかい!」
土下座する和泉の体勢が崩れたと思ったら、目を回してぐでっと横になった。
「また食事だな!? まってろ、レトルトのカレーがあったはずだ!」
ささっとキッチンの戸を開け、レトルトカレーを取り出した。皿にご飯を半分よそり、レトルトの口を切ってもう半分に流し込む。それをレンジに入れて3分。暖かくなったカレーを和泉に差し出した。
「生き返りましたー」
どこかの食芸人が「カレーは飲むもの」と例えていたが、まさしくそんな感じに和泉は一瞬でカレーライスをたいらげた。借金の原因は、こいつの食費にあったんじゃないだろうかと思う。
「いやーかさねがさね感謝です。私の中で圭一さんの高感度ポイントはどじょうの滝登りでやんすよ」
「お前、ほんとに明日は追いだすからな」
そうこうしていると、もう夜も更け始めていた。
和泉が食休みしている間に自分も風呂にはいって、上がった頃には自分の食欲は失せていた。
「俺はもう寝る。本来は惰眠を貪る予定だったんだ。そっちに布団敷いといたから、勝手に寝てろ」
「何から何まですみませんねー」
いい気なもんだ。かつてここまで無遠慮なやつがいただろうか。気のいい友達だってこんなことはなかった。一体何を間違えてこんな境遇に陥ってしまったのだろう自分は。と圭一は考え始めたが、考えるだけ無駄だと気づき、そういう運命なのだろうと諦めた。
和泉が布団の上にドサっと飛び込む(周りの住人に迷惑)のを確認してから、圭一はベッドの上へと落ち着いた。
さて、寝よう。
・・・
・・・
・・・
静かだ。
あんだけ騒いでいた和泉が、夜とはいえ、やたらと静かだ。
部屋を物色してそうなものだが、そんな物音も聞こえない。さしもの和泉も疲れたか。
彼女が言うには、1週間飲まず食わずで風呂にも入らず、雨風がなんとか防げるところで過ごしていた……らしいのだ。やっと安心して眠れる場所を確保できて、ぐっすり寝入っているのだろう。
そう考えると、自分にもどっと眠気がやってきた。
とりあえず、和泉の服は干しておいたし、明日は朝一で追っ払ってやろう。まぁ、朝食ぐらいはくれてやるか。。
もそ・・・スススッ
「・・・寝てますね。んふふ。このままでは追い出されるのは目に見えてますからね。この際、既成事実でもなんでも作って、きっちりがっちり面倒見ていただきますよ」
圭一の寝返りの音が静まると、和泉は布団から静かに這い出てきた。そして圭一が寝始めているのを確認すると、彼女の肉付きはよくも、細い腕が圭一の布団へと伸び、
「んなこったろうと思ったよ!」
「ぅわお起きてたんですか!」
泊りこむ為に無断で服を洗濯機に突っ込むようなやつが、なんもなしに一夜をやり過ごすなんて思っちゃいなかったさ!
和泉は俺の手渡した毛布を今にもはだけさせようとしていた。
「いい加減にしろ! ほんとに今すぐ放りだすぞ?!」
「それだけは勘弁してください、この季節に濡れた服で深夜の星空のもとに立たされたら凍死しちゃいます!」
「じゃあ大人しく寝てろ」
「ええ、一緒に寝ましょう。凍死しないために」
「やめいと言うに!」
今にも毛布をはだけさせ(もはや半分見えている)ようとしている和泉から視線を逸らしつつ、圭一はにじり寄る和泉を足でけん制する。
「心も体も寒いんです、一肌恋しい年頃なんです」
和泉は目をうるうるとさせて両手を胸の前で合わせる。
うっ。
部屋の中は電気を消しているが、月明かりだけはきっちり入って来てるから、和泉の姿もよく見える。
視線を戻してよく見てみれば、ミディアムとショートの間くらいに伸びた髪は、風呂上がりのせいかまだ少し湿っていて、自分のものではあるがシャンプー?の匂いがする。
食事で回復したのか肌つやもよくなったらしく、出会った当初の美少女度が3割増しに見える。
そして、服で押しとどめられていた胸が、毛布に包まれるだけという状況になることと、俺の目線が高いところにあることが相まって、より強調されて見える。あれでも着やせしていたらしい。
考えてみれば、一週間も飲まず食わずなら、体型にも影響は出ていたのかもしれない。
圭一は、そんな美少女に関係を求められようとしていることに気づいてしまった。そう考え始めてしまうと、いろいろもやもやしてしまう。
和泉はふっとベッドに手をついてきて、その造形の整った顔を近づけてきてこう呟いた。
「だから、どうか私を買ってください」
「てめぇ若干いい雰囲気になったと思ったら結局そっちに向かうのか! しかも事もあろうに人身売買じゃねぇか!」
今にも抱きつこうと飛び込んでくる和泉を、ルパンに襲われそうになる不二子ちゃんもびっくりするくらいのカウンターパンチで迎撃した。
そして、きゅ~っとダウンした和泉を、圭一が使っていた毛布で包んでビニールテープで簀巻きにして押し返してやった。
ふむ。これならどうせ夢だったのだとでも思うだろう。そして覚えていてもテープを解くまで手出しできまい。
こうして、圭一はようやくの睡眠に就けたのである。
翌朝。
前日、非日常な出来事があったにしては嫌に目覚めのいい起床を果たした圭一は、洗顔と歯磨きを手っ取り早く済ませると、さっそく和泉を簀巻きから解放した。
「おら起きろ。今日はあんたの旅立ちの日だぞ」
いつまでも居座られるわけにもいかない。服は乾いてるし、居残る理由はないはずである。
それに、家出少女だろうが借金少女だろうが、女の子を一人暮らしの男部屋に連れ込んだなんて噂が流れたら、高校の教師どもやクラスメイトに何を言われるかわかったもんじゃない。こちらにも事情はあるのだ。
「ほら、早く起き……」
と、彼女にかぶさっている敷布団に手をかけたところで昨日の記憶が頭を駆け巡る。たしか、昨日寝る前に、『裸になって夜這いにきた和泉を毛布にくるんで押し返した』のである。そして服は洗濯機で揉まれたまま。
つまり今この布団をどかしてしまえば、大変な事態になる。
あぶないあぶない。体の関係を作ってまで居座ろうとするやつが、そんなアクシデントを無視するわけがない。
すんでのところでとどまって、俺は2~3回和泉の顔をペシペシと叩いてやった。
「ほら~。起きろ~」
しかし反応はない。
むしろなぜか笑顔になって、「焼き肉1000円食べ放題~・・・」なんて寝言を言い始めた。
どんな夢みとるんだ。と、4度目の往復ビンタでふと手が止まる。一週間か。
ろくに食べ物も食べれず、寝どこも風が吹きさらしの春前の屋外。風呂にも入れず、一週間過ごしてきて、やっと人らしい生活をしているのだ。
昨日はあんな手段をとってきたが、肉体的にも精神的にもかなり来ていたのだろう。もう少し……いや、もう一晩くらいは泊めてやるか。場合によっては。
そう考えて、圭一はもう一枚和泉の上に毛布をかぶせて、学校に向かうことにした。
圭一が高校に出かけて誰もいない部屋にて、正午のこと。
「あー・・・。まさかこの歳になってお昼の町のチャイムで起きるとは思いませんでしたよ」
和泉は寝過したことに若干の感慨深いものを覚えながら、布団から体を起こした。なにせ今までは朝が来れば日差しで朝早く起きてしまうし、朝起きなければ日中の活動時間が削られてしまう。
着の身着のままで両親と別れて4日目を過ぎたあたりから、空き缶拾いなんかで小銭を集める作業を始めた彼女にとって、早起きが習慣になり始めていたはずだったのだ。
「う~ん……なにやら顔面が痛い気が……」
昨夜圭一にカウンターパンチをくらったところをさすりながら立ち上がると、ああ、そういえばとても親切な青年に泊めてもらったんだったと思いだし、洗面所へと向かった。
顔を洗ってから寝床に戻り、見渡すも家主のいない部屋からは物音ひとつせず、二人だけとはいえ、昨日の賑やかさがもう懐かしく思える。
これまで何一つ不自由なく家族と過ごしてきた和泉には、いきなりの孤独な一週間のサバイバルは、和泉にとって人の温かさがこれほどまでにしみわたるのに充分な時間だったのである。
ふと視線を目の前のテーブルに向けると、何やら豪勢な(彼女にとって)食事と、その皿の下に挟まれている紙切れを発見した。
皿の上に乗っているおにぎりを手に取りながら、紙切れを引っこ抜いて読む。
『これ食ったら出てけよ。鍵はポスト底に』
紙を引き抜くときに、チャリっとした音がしたので、皿をどけてみる。そこには、何の装飾もアクセサリーも付いていない無骨な鍵が置かれていた。
和泉は段々申し訳ない気持になって来て、なんとなくおにぎりを皿の上に戻した。
冷静になって考えてみると、昨日はかなり無茶をした。勝手に洗濯機を使い、飯は食らい、挙句の果てに夜這いまで・・・
「これ以上は、イカンですね」
和泉はベランダの選択干しに吊るされた自分の服を取りこむと、圭一の家を後にした。