放浪少女
『シャチョー募集中』
そんな張り紙を見かけたのが、今から3日前だった。
遅刻しそうになりながらも、高校の授業にまにあうために通った近道(裏路地)に張られていたものだ。急いでいたから、ちらっとしか見ていなかったが、気になって帰りに立ち寄ってみると、はがされていた。
『御主人様募集中』
こんな張り紙を見つけたのが、二日前だった。
今度は時間があって、じっくり見てみたのだが、連絡先(おそらく携帯の電話番号)が下に書いてあるだけだった。
『飼い主募集中』
こんな張り紙があったのは、つい昨日のことだった。
捨て犬の飼い主でも探しているんだろうと、見過ごすことにした。
女の子が空から落ちてきた。そんな摩訶不思議な事態に遭遇したのは、つい10秒ほど前のことだった。
今日も授業が終わって部活にも入っていない西条圭一は、バイトもないし、ちょーっと早めに帰って惰眠を貪ろうかなんて考えて、例の近道を通りがかった時だった。
「ぅぬ、ぅぁ~……」
なんていう、弱々しい声が頭上から聞こえて、見上げるとなにかが墜ちてくるのが見えた。
ゆらゆらと揺れる人影がぐらりと横になり、日の影になったビルの黒から人影が切り離される。
それを呆然と見ていると、まるで重りを付けた釣り糸のごとく、真っ逆さまに転落してきた。
「むぐぅ・・・」
人が3回から落下する速度には、1秒を要するかどうかである。そんな瞬間的な時間に反応することもできず、ぼうっと見上げていた圭一は落下してきた者に押しつぶされてしまった。
人一人が自分の真上に落ちてきたにしては、思ったほどの衝撃はなく、むしろ柔らかい感覚が顔面に伝わっていた。
とはいえ、人間が高所から落下してきたのに変わりはなく、その体重に耐えることができずに、圭一の体は地面に埋め込まれていた。女の子は気絶でもしているのか、圭一の上から動く気配がない。
さて、いかがしたものか。
とりあえず、このままでは重いので、どかす。よっこいしょっと。
ごろんと地面に転がった女の子の素顔を、そこで初めて目にした。整った顔立ちに長い髪の毛が相まって顔が小さく見える。
目がまわって
(@△@)
みたいになっているが、瞳は大きく血色の好い白い肌色をしている。
身長は目算で160そこそこ程度で、なにより目を見張るのは、仰向けに寝そべるその体に、突飛した山が彼女の胸元に2つあるところである。
「でっけーなー・・・」
そんな場合ではないのに、つい口から洩れてしまうほどである。
服装は冬の終わりごろのこの季節にしては薄く、ジーパンにフード付きのパーカーという格好である。寒くないのだろうか。
「んぅ……」
と、くだらないことに考えを巡らせていると、女の子がむくっと起き上がった。
「……ぅん?」
落ちてきた彼女がきょろきょろと周りを見渡すと、ボーっと空を見上げ始めた。そして。
「……天国って、生きてた時とあんま変わらないんだねぇ」
「いやあんた生きてるよ。それは」
突っ込まずにはいられなかった。突っ込むや否や、女の子は俺を見つけると、じーっと見てきた。
「な、なんだよ……」
しばらく無言で視線を向けられていると、どこからともなく「ぐぎゅぅ~」と心もとない音が、彼女の腹部から聞こえてきた。
・・・これは
「腹、減ってるのか?」
「……(バタリ」
「って、返事する前に倒れるな! いや、それがつまり肯定の意思表示なんだな!?」
女の子は俺の言葉に倒れながらも、うんうんとうなずいて見せた。
ちぃぃ、なんだってんだ!
そうだ、まずは食料だ!
少女を抱き起こすと、また目を回していた。
圭一は少女を背中に担いで、近場のファミリーレストランへと駆け込んだ。
店に入った当初は店員から妙な視線を受けたが、気にせず席についてピザやらグラタンやらハンバーグを頼むと、名も知らぬ少女は突如として目を輝かせて起き上がった。やがて商品が運ばれてくると、
「はぐはぐ……んぐ………、もぐ……ジュゴゴゴゴゴー、もぐもぐ……んぐ?! げっほえほ…はむ………っぷはー、・・・・・生き返ったー」
「がっつき過ぎだろ!」
その注文した商品を、ものの4分で食べきった少女は腹をぽんぽんと手のひらで叩くと、満足したように眼を閉じてぐっすりと……
「寝るな―!!」
そのまま椅子に横になって寝ようとしている少女の頭をたたいた。
ポコン
なんだなんだと振り向く客がいるが、そんなことは気にしない。いまはそれより重要なことがある。
「なによぉ」
「なによぉ、じゃないだろ。おまえは……あー、俺は西条圭一。君は何者だ」
相手の名前を聞く前に自分から名乗るなどと言う律儀なことをしながらも、彼女の素性を尋ねる。こんだけ食べさせてやったんだ。質問にくらい答えてもらうぞ。
「あーこれね。ありがとう。私は和泉亜希。ここ1週間くらい何も食べてなかったから助かったよー」
和泉さんは俺の手つかずのお冷を手に取ると、一気に飲み干した。
「一週間って・・・年齢を聞くつもりはないけど、その歳でそんな状況に陥ってるって、家出か何かか?」
おそらく、彼女と圭一の歳の差はさほどない。
16歳前後。そんな娘が行き倒れ(?)ということは、何か事情があるのだろう。倒れてたというよりかは、実際には空から降ってきたわけだが。
「えぇ、えぇ、家出ではないのですけどね、ちょっと悪質な借金を親が背負ってしまいまして」
すいませーん、フライドポテト追加お願いしまーす、と店員に叫びながら話す彼女は、とてもそんな境遇にいるとは思えない。というか、財布の中身が怖くなってきた。
ポケットから財布を取り出して確認すると、よかった、諭吉さんが生き残っていた。
「それでですね、両親が借金取りの目を引いて海外へ行ったはいいんですけど、私は行く当てもなくさまよってたというわけです、はい」
速攻で運ばれてきたフライドポテトを、今度は一本ずつゆっくり食べながら一息ついた。
「ん、まぁ、理解した」
そのあたりは、あまり深く詮索しないほうがいいんだろう。でも、
「いや、今の話、ひとつ理解できないところがある」
「なんですか?」
「両親は高跳びしたのに、なんでお前が置いていかれてるんだ?」
すると、和泉さんはキョトンとした様子で。
「やだなぁ。だから、両親がおとりになって海外へ行ってくれたんですよぉ」
「それはお前、立場が逆じゃないのか?」
「え?」
どうやら、自分のいま置かれている状況が理解できていないようだ。そりゃ本当に彼女の言うとおりかもしれないけど、普通に考えてみれば、
「つまり、和泉さん、あなたね、貴女に借金取りの注意をひきつけてる間に、両親は高跳びしたんじゃないかってこと」
「あっはははは、まさかそんなぁ」
「ご両親と連絡は?」
「そりゃ勿論電話で・・・」
和泉さんはポケットから携帯電話を取り出した。
「まぁ今はもっぱら充電がなくて連絡つかないんですけど」
パカッと折りたたまれた携帯電話を開くが、その画面は真っ暗なままだった。
「ちなみに、両親と別れてから今日で何日目・・・?」
「もう一週間になりますかね」
「一週間も飲み食いしてなかったのか?」
「飲み食いどころじゃないっすよー。いっそのこと起業したり就職したり飼ってもらおうとしたんですけど、まったく引っかかりがなくてですねぇ・・・」
起業、就職、飼う・・・・この3つのキーワードが圭一の頭の中で引っかかった。たしか、この一週間見かけた張り紙に書かれていたのが
シャチョー募集中(起業)
御主人様募集中(就職)
飼い主募集中(飼う)
「あんただったのか……」
圭一は呆れて頭を手で支える。
しかも3つ目に関してはいろいろと問題がありすぎる気がする。いや、あるだろう。
圭一が通りかからなかったら、地獄か天国かは知らないけど本当にお陀仏だったやも知れない。
「そ、そうか。まぁ、大事がなくてよかったよ」
よくよく考えると、3階建てくらいの屋上から落ちてきた人間の下敷きになった圭一が無傷ってのは、結構奇跡だ。
はて、その要因はなんだろう。
目の前で「はもはも」とフライドポテトを口にする和泉さんの胸にあるでっかい何かだろうか。残念であるのは、事件が唐突過ぎて感触をほとんど覚えていないことだ。
ああ、なぜ俺は細部にまで気を張っていなかったのか。嘆かわしい。
その少女も、ようやく食事を終えたようだ。
「満足満足」
それだけ食えば、そうだろうな。ふと伝票に手を伸ばしてみる。
計:11304円
諭吉さんは殉職なされるようだ。和泉さん、野口先生と諭吉先生の両先生に感謝するんだぞ。
「それじゃ、もう大丈夫だな。まぁ、大変な状況だとは思うが、死なずに頑張ってくれ」
圭一はこれ以上の面倒事はごめんだと、勘定だけを伝票と一緒に机に置いて立ち上がった。今回のことは、無償の人助けだと思って固唾をのんで我慢するとしよう。
「あ、ちょっと待ってください」
ガシっと服をつかまれる。和泉さんは食事でパワーを取り戻したようで、引っ張っても離れない。
「・・・なんだ」
「日本のテレビには、田舎へ泊〇うという番組があります」
「ああ、あったな。それがどうした」
和泉さんは決死の覚悟の瞳で覗き込んでくる。
「その番組ではなかなか『泊めてください』の一言が言えないものなんですがね、ええ私は言います。あなたと出会えた運命を信じて」
そして少女は一呼吸ついて、満を持して宣言した。
「あなたの家で私を飼ってくだ、」
「断る!」
「あ~んもう即答しないでくださぁ~い!」
圭一は最初から断るつもりではいた。いや、一泊二泊なら、まぁ泊めてやっても問題はないと思っていた。
圭一はアパートに一人暮らしだから、ここまで関わってしまったからには、それくらいの情けはかけてやってもいいだろうと考えてはいたのである。
しかしどうだ。出てきた言葉は「泊めてください」ではなく「飼ってくだ」である。
なんだか好意で泊めてあげようと思っていたのに、それが貶された感がしたのである。
「後生ですから飼ってください! もう財布の中はすっからかんで携帯のバッテリーも底をつき、お風呂に至っては一週間入ってないんです!」
「それは汚ぇぞおい!」
それを聞いてすぐさま手を振りほどき後ずさる。がしかし、その境遇が、圭一の心を少しだけ揺さぶった。このわずかな心の揺さぶりが後の後悔になることなど、もちろん圭一が知るはずもない。
「……しかたねぇな。泊めはしないけど、シャワーくらい貸してやるよ」
「ほんとうですか!?(ニヤリ」
「風呂だけだぞ。それが済んだらさよならだからな」
和泉さんの一瞬見せた不気味な笑みに懐疑心を踏まえながらも、諭吉さんの犠牲を背に、家に案内することにした。