Intermission
フランク共和国某所。この国に梅雨はないが、雨はこの時期も当然のごとく降る。夜の闇にしょぼふる雨の中を、蠢く異形の者が4体。彼らの今夜の獲物は、今夜の寝床を確保できて安心したのか熟睡しているホームレスだった。
音もなく忍び寄り、心臓を一突き。獲物の息の根を止めた後、その体を貪り食おうとした、その時。
「ふん。グルメとは言い難い食事だな」
凛とした中に多量の嘲りを含んだ、若い女性の声が異形の者の耳朶を打つ。振り向いた異形の者たちは、路上に宿敵の存在を認めた。食事を邪魔された怒りも手伝って、4体の異形の者――『ディアーブル』は女性に襲いかかる。4対1。常識的に考えれば圧倒的な差。では、常識的でない相手の場合は?
「はっ!」
女性は気合一閃、腰に佩いた長剣を抜き放つ。身にまとうのは、夜目にも鮮やかな赤い乗馬服に似た制服。彼女たち“伯爵”家の戦士だけが着用を許される、ディアーブル退治の際の戦闘服だ。
女性は長剣を上段に構えると、ディアーブル達めがけて突進した。なんの駆け引きも、策略も介在しない、純粋な突撃。
正面衝突は望むところのディアーブルが間合いを詰め、鋭い爪――ご丁寧にも、肉を腐らせる毒の分泌付き――で女性を引き裂かんと手を伸ばす。だが、女性の太刀行きの速さは、異形の者たちの想像をはるかに超えていた。
まず上段から目前の1体を斬り捨て、身を旋回させてもう一撃、真横に薙いで別の1体を腰斬する。そこからバックステップで間合いを取ったのは、残敵を確実に仕留めるための確認作業に過ぎない。
またダッシュした女性は、瞬時に仲間を2体やられて眼を見張るディアーブルたちを、その表情のまま凍らせることに成功した。横並びだったのをこれ幸いと、2体まとめて首を刎ね飛ばしたのだ。
剣身に付いた青い血糊を振って落とし、鞘に剣を収めるのと、ディアーブルたちの亡骸がアスファルト上に崩れ落ちるのとは、どちらが速かったか。
ふう、と一息ついた女性に、耳に付けた通信器から声がかかる。
『さすがアンヌ姉様。黒水晶の力なんか必要ないくらいね』
妹のお世辞を聞き流し、5つの遺体の処理を部下に任せて、女性――アンヌ・ド・ヴァイユーは手渡されたマントを無言で羽織った。
アンヌは城館に帰り着くと、雨で濡れた制服を着替えるべく自室へと向かった。途中で佩剣とマントをメイドの1人に手渡し、足早に歩き続けていたが、彼女の歩みは途中で中断される。父である伯爵の書斎に、叔父のがニコラ・ド・ヴァイユーが入室していくのを見たのだ。
最近、父は書斎から出ようとしない。自分と妹が朝や就寝のあいさつに訪れてもどこか上の空だし、返ってくる言葉も毎日同じ。そして父の傍らには、いつもあのニコラ。確かに我ら眷属の長老格で父の参謀でもあるのだから、常に父と語らっていても不自然ではない。ないのだが――
「お姉様」
考えに耽っていたアンヌは、妹に小声で呼ばれていることに少しの間気づかなかった。
「ん、なあに? ミレーネ」
「すぐお着替えください。風邪をひきます」
着替えたら、私のお部屋にお越しくださいな。そう小声で言って、ミレーネは彼女の部屋へ続く廊下を小走りに走っていった。
30分後、シャワーを浴び室内着に着替えたアンヌがミレーネの部屋を訪れると、温めたポートワインが用意されていた。アンヌが席に座り一口飲むと、アルコールのせいだけでない温かみが体に広がる。
姉の顔に安らぎを見たのだろう、ミレーネはメイドに退室を命じた。
「どうしたの? 秘密のお話?」
アンヌは妹の表情にただならぬものを感じて問うた。ミレーネはそれに答えて細い眉を寄せる。
「父様のご様子がおかしい、そうお思いになりませんか?」
妹の不安げな問いに、アンヌは黙って頷く。そう、なんだか最近急にああなられた。
「もしかして……」
「もしかして?」
「……寿命が尽きかけているのでは」
妹の憶測は、アンヌの虚を突いた。
確かにアンヌらの眷属は長命をもって聞こえた一族だ。だが、所詮は有限の命をその肉体に宿していることについて、普通のヒトと変わりはない。例えその『有限』が200年余りというものであっても。
死。それはアンヌの聡明な知能と勇敢な心を持ってしても怖気づかざるをえない闇である。ヒトより長く生きる分だけ、他人の死を見送り続けねばならぬ。それが父親に迫りつつあるのなら――
「時間が余りない、ということね」
アンヌら“伯爵”の眷属が、有限の命を無限のそれに変える方法を探して早や1000年近くが経とうとしていた。そして、それはあともう少しのところまで来ている。
白い愚者の石。そしてそれを隠し持ち潜伏を続けているあの女。
その2つを黒い愚者の石と併せもつこと。その上で、あの極東の島国にある『地脈』を組み合わせることで、永遠の命は授かる。それが、今最も確度の高い『永遠の命を授かる方法』と推測されている。
島国の侵略は、実利も伴う。このところ不況にあえいでいるとはいえ、まだまだ世界的には経済大国である彼の国を侵略し支配できれば、エンゲランド――“伯爵”家の人間にとっていわゆるエゲリスは『エンゲランドとその属領』という認識である――とアメリゴなどに大きな面をされずに済む。
アンヌとミレーネの話は今後取るべき手段に移っていった。もはや黄色いサルなどに任せておけぬ、そろそろ我らが繰り出すべきとするアンヌと、本国の守りを固めるのが先とするミレーネ。その主張はまさに彼女らのバルディオールとしてのコードネーム、エペ=剣とブークリエ=盾を象徴しているかのよう。
そしてそんな議論を続ける2人に、いや『伯爵』家に大きな運命の波が近づいてきていることに、彼女たちはまだ気づいていない。