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第5章 この先にある未来

1.


 6月20日、土曜日。午前中にバイトが入らなかった隼人は、ゆっくり朝寝を決め込むつもりだった。

本当は蒸し暑さに負けて起き出したいのを、ぐっとこらえて無理やり眼をつぶる。いい感じにウトウトしていた隼人に、その音は正しく騒音だった。

 台所のシンクに溜まった使用済みの食器を洗い、片付ける音。掃除機をかける音。棚を雑巾で拭いて回る音。

 もう耐えられない、抗議してやるとまぶたを開けた隼人が見たのは、オフホワイトのミニスカートの中にあるピンクのショーツ、だった。片付けの動作に従って、ショーツ、というかお尻が揺れる。

「なごみ、また勝手に入ってきたのかよ」

 あら、お兄ちゃん、おはよう。朗らかに義妹のなごみが答え、またふりふり。

「おい、パンツ見えてるぞ」

 義兄の報告にも動じることなく、彼女はいたって朗らか。

「そうよ。だって、見せてるんだもん」

「お前なぁ……」

 隼人は苦々しい顔で起き上がる。もうちょっと恥じらいっちゅうもんを持てよ。そう言いかけた隼人に、なごみが拭き終わった雑巾をバケツで洗いながら言った。

「別にいいじゃない。兄妹なんだし。それとも興奮してるの? お兄ちゃん」

「いや全然」

 隼人が部屋を見回すと、床にうず高く積んでいたマンガや雑誌が、全て片付けられている。拭き掃除までされて、床はまさにピカピカ。そして妹に視線を移すと、なぜかぷうっとむくれていた。

「なんでそこで興奮しないかな。花も恥らう19歳の絶対領域を、出血大サービスで見せてあげてるのに」

「いや、花よりお前が恥らえよ」

 そう言いながら立ち上がった隼人の背中に、フローラルの香りが抱きついてきた。それはそのまま柔らかい胸を押し付けてくる。

「どうどう? けっこう成長したでしょ?」

 なんなんだ、このアピール。なごみにとってまことに残念ながら、妹萌え成分が欠片も含まれていない隼人の性的嗜好には、ちっともアピールできていないのだが。というか、知ってるはずなのに。

「で、どう?」

「ん、たしかに大きくなったような」

 いたって無難なコメントで収めて、隼人は背中に妹を張り付かせたまま、台所へと向かった。なごみが朝食の準備をしてくれていることが匂いでわかったからだ。

 なごみの手料理なんて、何ヶ月ぶりなんだろう。そんなことを思いながら、彼女の作ったコーンサラダとベーコンエッグ、味噌汁に舌鼓を打つ。すると、なごみがにっこり微笑んできた。

「1年ぶりだよ、お兄ちゃん」

「心を読むなよ」

 なごみに何度聞いても否定されるのだが、なごみには他人の心を読む力がある気がする隼人だった。おまけに、未来も時々見えてるような。

 あの実家で、いじめを繰り返す真吾になごみが言った言葉が、隼人の耳に甦る。

『きみ、潰されるよ。大きな力に』

「ところで、どういう風の吹き回しなんだ? それこそ1年ぶりじゃん、部屋の掃除してくれるのって」

 隼人の問いを当然予測していたかのごとく、なごみは味噌汁を飲む手を休めて答えた。

「だって、お兄ちゃんがあの子と付き合い始めたのが1年前じゃない」

「……あ、そっか」

 いったん腑に落ちた隼人だったが、また次の疑問が湧いてきた。じゃあなんで、あの子と別れたときに掃除に来なかったんだ?

「だって、くるみが入院してバタバタだったし。やっと少し余裕ができたのよ」

 それとね。なごみはごちそうさまをしたあと、机に肘をついて身を乗り出した。

「お兄ちゃんの周りにまたオナゴが群れ始めたから、そろそろ片付け時かな、と」

 一瞬納得しかけた隼人の心中に、またしても疑問符。

「オナゴとやらが現れたんだったら、片付けはその子がするはずじゃないのか?」

「お兄ちゃん」となごみが吹き出す。

「どうしても自分で片付けたくないんだね」

 まあほら、『小姑ここにあり』っていうアピールよ。なごみは食器を片付けながら、さらに恐ろしいことを口ずさむ。

「今度の人も片付け下手そうだし」

 そこから先は、何度隼人が問いただしても、鼻歌で逃げられてしまった。


2.


 明けて火曜日、23日。まだまだ梅雨が残る天候は、隼人の表情にも影響を与えているのか。支部の控え室で、難しい顔をして雑誌をにらんでいる。そこへ、優菜が入ってきた。

「よう、隼人。今日は早いな」

 と優菜が隼人に声をかけてきた。雑誌に目を落としたまま答えていると、るいと理佐が遅れて入ってきた。

「ふう、びしょ濡れになっちゃったね」とるい。

「やっぱり必要だったわね、傘」と理佐。

「ふーん、また降りだしたんだ」

 全然気付かなかったや。そう言いながら顔を雑誌から上げた隼人は、そのまま固まってしまった。

 眼に飛び込んできたのは、薄い赤、ピンク、水色の下着。優菜たちの着用しているそれが、机を挟んで隼人の視線にさらされている。

 ぬれねずみになっちゃった。だから着替えたい。それはわかる。わかるんだが。隼人はわざと咳払い。

「……なぜ、俺のいるところで着替えるんだ?」

 数瞬ののち、女の子たちは黄色い悲鳴を上げると、女子更衣室に飛び込んだ。

「まったく……」

 最近、男扱いされていない気がする。というか、存在自体が軽くなっている気もする。そりゃ、あれから体調に気をつけて無理しないようにして、出勤を控えめにしてるけどな。隼人がそんなことを考えていると、顔を一様に朱で染めて、優菜たちが更衣室から出てきた。

「隼人」と優菜が涙目で訴えてくる。

「忘れろ」

「みんなカラフルな下着が好きなんだな」

 隼人はあえて無視。もちろん胡乱げな目つきをするのは基本である。

「エロ猿! 忘れないと、今度こそ頭カチ割るわよ」

 理佐の表情が剣呑なものになるが、隼人はあくまで強気だ。

「なぜ自分から披露してくれたものを忘れないといけないのかね?」

「あれ? 隼人君、またバイト増やすの?」

 るいが、隼人の手元にある雑誌を見て声を上げた。それが誤解であることを説明してぼやく。

「建築現場のバイトがなくなっちゃってさ。代わりを探してるんだ」

「工事が終わっちゃったの?」

 るいが言いながら、2人にウィンクしているのを見逃してやる。

「ううん、どうも会社が潰れちゃったみたいなんだ。今月分のバイト代も出そうにないし、困っちゃったよ」

 優菜が心配顔で言った。

「大丈夫なのか? その、病院とか」

 少し蓄えがあるからまだ大丈夫なことを伝えると、優菜は心からほっとした表情になった。

「困ってる時は言ってね。その、無理されるとわたしたちも困るんだから」

 理佐も珍しく、いつものクールな対応をやめて話しかけてきた。ありがとう、みんな。隼人はそう答えて眼を閉じる。

「あ! そういえば――」

 るいが、1人でしみじみしている隼人の肩に手を置いてきた。

「隼人君、木曜日の午後って空いてるかな?」

 その時間帯は建設現場だったことをるいに伝えると、彼女は眼を輝かせて言った。

「ゼミの子がバイトしてるケーキ屋さんが、木曜日に入れる男の子を捜してるの。どうかな?」

「ケーキ屋?」「珍しいわね、男の子限定の募集なんて」

 優菜が吹き出し、理佐は訝しげだ。なにか裏があるんじゃないのか。彼女の目はそう言っている。

 理佐の視線を受けて、るいは事情を説明した。

「そこのケーキ屋さんにね、毎週ってわけじゃないんだけど、強面の人が来るんだ。奥さん連れて」

 その客はケーキを9個、10個と注文するのだが、必ず値切ってくるのだという。店主が値切りに屈したことはないが、夫の怒鳴り声と妻のキンキン声が辺りに響いて、おかげで商売上がったりなのだそうだ。

「そこ、カフェもあるところだからさ、大迷惑なんだよね。それで、そいつらが来る確率が高い木曜日に男の子に入ってもらって、牽制しようと思ってるみたい」

「なるほど」と優菜が手を打つ。

「図体だけはでかい隼人なら、うってつけだな」

 優菜を横目で軽くにらんで、隼人はるいの話に乗ってみることにした。バイト代はダウンしてしまうが、遊んでいるよりマシだからだ。



「ふーん、そんな奴がおるんや。しけたチンピラやな」

「チンケなシノギしてんなぁ。どこの組のもんや」

 夜9時30分。バイトが終わってオーガ退治の現場に直接来たイエローとグリーンが、例の『強面の人』の話を聞いたそれぞれの第一声がこれだった。

「……なんか、この2人が言うとリアリティが増すね」

 永田が面白げに双子を見やる。

「関西弁補正がかかってるだけですやんか。うちら、純真無垢な清純派で売ってますねんで?」

「ねーやん――」

 イエローがグリーンににツッコミを入れる。

「清純派はカレシの家にお泊りしたらあかんのやで?」

「おーい」と横田チーフがみんなを呼んだ。

「支部長から報告があるから、早く撤収して支部へ来てくれって」

 一同は無駄口を止め、急いで車に分乗した。

 支部長が待っていたのは食堂ではなく、3階の第1会議室でだった。フロントスタッフが変身を解除した後全員が着席するのを待って、支部長が話し出した。

「まず、長谷川さんのことなんだけど」

 その名を聞いて、隼人の心が痛む。そして話の内容は、さらに彼の心を痛めつけるものだった。長期休養する旨、本人からメールが来たという。

「しばらく旅に出ます。探さないでください。だそうよ」

 それを聞いた一同は、様々な表情を顔に浮かべた。納得、悲しみ、意外、などなど。

「メールで済ませちゃうところが、明美ちゃんらしいわ」

 永田は力なく笑う。長谷川が抜ける分、正規職員である横田と永田の負担が増してしまうのだが、そのことに対する愚痴は2人の口からは出なかった。長谷川との付き合いが長いだけに、あきらめているのだろうか、と隼人は思う。

「それから――」

 と支部長は話題を変え、しばらく口ごもった。その眼が理佐に向いていることに、隼人たちはしばらくして気づく。その理佐が無言で頷いたことで、支部長は、それでもやや言葉を選びながら話し始めた。

「彼……バルディオール・フレイムの借りていた部屋の家宅捜索が、あの日の翌日、警察によって行われました」

 彼女がぐっと唇をかみしめていたのは、彼の死の衝撃だけではないだろう。自分が彼の部屋を訪れていた痕跡まで、残らず赤の他人の目にさらされてしまったのだ。

「それで、なにか出たんですか?」

 相変わらずなるいに促されて、支部長は捜査の結果を話してくれた。

 彼と『伯爵』のつながりを示すような物的証拠は、何もなかった。パソコンは押収できたため、内部に残るデータから、事実関係を洗っている段階である。衣類等の私物は、警察が彼の家族に連絡を取って引取りを依頼する予定だが、どうも連絡が付かないようだ。

「それでね、理佐ちゃんのものらしき私物もあるから、警察が取りに来てほしいそうよ」

 支部長の申しわけなさそうな声に、理佐は沈黙したままうつむいている。優菜がそれを見て助け舟を出した。

「警察のほうで捨ててもらうわけには行かないんですか?」

 だが、支部長の説明によると、そういうわけにもいかないらしい。所有者が判明している物を本人からの依頼とはいえ、処分することはできないのだそうだ。

 理佐が顔を上げた。

「……わかりました。今週中に、取りに行きます」

 ごめんね、と支部長が理佐を気遣ったその時。支部長の携帯が鳴りだした。確認した支部長の顔が驚愕に歪む。

「ばかな……また現れたというの?」

 いぶかしむ一同に、支部長は告げた。

「出動よ。また、妖魔が出たわ」


3.


 そこは、るいからの情報によると、隼人がバイトを斡旋されたケーキ屋からさほど遠くない場所だった。警察の監視カメラの映像から『あおぞら』に通報が入ったのだが、支部長はじめスタッフは困惑の色を隠せない。イエローとグリーンの物問い顔にブラックが答えられないでいると、ルージュが説明してくれた。

「バルディオールが妖魔を呼び出すスキル“レイズ・アップ”は、一晩に1回しかできないはずなんだ」

 つい1時間ほど前にオーガを退治しているのだから、ミラーに増援が来たということになる。

「なんや知らんけど、盛り上がってまいりました?」

「ねーやん、なんで観客気分やの? 戦うの、うちらやで?」

 双子の掛け合いが続くこと数分で目的地に着いた。そして、車から降りて目標物を視認した支部長の最初の一言は、意外なものだった。

「……横田君、撮影して。あれを」

 疑問を取りあえず封印して指示通りに動くサポートスタッフ。続いてフロントスタッフたちに、支部長からの指示が出た。

「いい? あれは、バルディオールの作り出した妖魔じゃないわ。たしか『長爪』っていう軽量級の妖魔よ。1体だけしかいないけど動きが素早いから気をつけて」

 なんでそんなものが。誰もが支部長に問うより早く、その長爪が吼え、こちらに向かってきた。たしかにオーガより速い。

「よし! いくぜ、みんな!」

 ルージュの掛け声で長爪を取り囲むように移動したブラックたちは、攻撃を開始した。

 ブラックの三段ロッドが長爪の胴を横薙ぎに払う。だがその攻撃を、長爪はその名の通り長く伸びた爪で受け流した。思わぬ流れに身体が泳いだブラックを、長爪のもう一方の爪が襲う。爪の鋭い切っ先がブラックのわき腹を斬り、ブラックは痛みに顔をしかめながら後退した。

「こいつ!」

 ブランシュが氷槍で長爪に挑み、ブラックへの追撃を封じた。続けて氷槍を突き込むが、これも爪に弾かれる。

 逆に懐に飛び込もうとする長爪であったが、その足元にルージュの火球を打ち込まれて立ちすくんだところへイエローの電撃がその身体を捉え、痺れて硬直している長爪をアクアのトライアドが貫き、長爪は倒れた。

「やれやれ、1体だけだったから、早く済んだな」

 大丈夫か、ブラック。そう声をかけられて、ブラックは苦笑いして答えた。

「ああ。まさかあんなかわし方されるなんて思わなかったぜ」

 確かにオーガとは違う、とイエローに治癒してもらいながら反省する。斬りかからずに、スライスアローか何かで攻撃したほうがよかったのかもしれない。

 向こうでは、グリーンが落ち込んでいた。

「はあ、うちの出番はなしですか」

「しゃあないやん、ねーやんは飛び道具ないんやし」

 そうよ、とブランシュもフォローしている。

「なにか得物を装備して戦うしかないわね。わたしの槍みたいな」

「そない言うてもやね、釘バットなんてどうやって普段持ち運んだらええの?」

「なんでプライマリーチョイスが釘バットなのよ……」

 呆れるブランシュ。けらけらと笑うアクア。支部長から撤収の号令がかかったのは、そのあとすぐだった。その帰り道の車中で横田が支部長に問う。あれは、いったいなんなのか。

「……あれはね、この国固有の妖魔、と言うべきものよ」

 言葉も出ない一同に、支部長はそれ以上説明しなかった。ごめん、また後日。そう言ったきり、黙りこくる支部長の横顔を隼人は見つめたが、何かを考え込んでいるらしい支部長が気付く様子もなかった。



 スタッフが全て帰った西東京支部で、支部長は会長に先ほどの顛末を連絡していた。

『それで、映像はもう鷹取家に送ったの?』

 会長の声に、僅かな震えがあると感じながら、支部長は返事をした。

「はい。もちろん、うちのスタッフが映っていないように修正はかけましたが」

 そう。ご苦労様。そのまま、会長が通話を終了せずに、押し黙っている。

「なぜ、鷹取家と提携しないのですか?」

 答えが返ってくるはずのない質問を、あえて支部長は会長にぶつけた。22年前、絶対に返ってこなかった問いを。

『……ごめん。いずれ、時が来たら』

 答えが返ってきた。そのことに驚き息をのむ支部長の耳元で、通話が終了した。

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