第9章 The short good-bye
1.
浅間会病院の屋上は比較的広い空間で、喫煙者のためのベンチや灰皿が置いてある。朝早くホテルのチェックアウトを済ませた圭はそこに、西東京支部のフロントスタッフの面々を呼び出していた。ここに、昨夜倒された真紀が入院していたからだ。
わざわざ来てもらったことを皆に詫び、圭は切り出した。
「隼人と千早のことを、ちゃんと説明しておこうと思って」
もちろんこんな話をするからには、隼人は呼んでいないし、千早には『公園に落し物をしてきたから探してくる。駅にいなかったらちょっと待ってて』と言ってある。
「隼人がチハヤっちを騙して捨てたっていう、あの話か?」
「もしかして、『騙して』っていう部分が、じつは違うとか?」
優菜と美紀の――今日は真紀が入院者用の服なので簡単に見分けがついた――相次いだ質問を、圭は笑って否定した。
「いや、そこはほんとのことなんだ。そこに至る過程は話してなかったでしょ? 美紀ちゃん」
ごめんね、と圭は期待を持たせてしまった双子の片割れに謝った。とたんにしょんぼりする美紀。正直な子だな、と微笑ましく思いながら、圭は話を繋ぐ。
「実は、千早が二股かけてたんだ」
そのまま、皆に自分の言葉が浸透するのを待つ。真っ先に浸み込んだらしい優菜が眉をひそめた。
「ちょっと待て。それ、全然話が違ってくるんじゃないのか?」
「それでなんで、隼人君が千早ちゃんを騙さなあかんの?」
優菜に続いた真紀の疑問をもっともとして、圭はその時の経過を説明した。
千早の二股に気付いた隼人は、千早に桜里大学を受験すると話し、一緒に行かないかと誘った。千早は願書をその大学に出したが、実際に隼人が願書を出したのは浅間大学だった。隼人は願書締め切り後にそのことを千早に話し、2人は別れた……
「その大学を、千早の二股相手も受験するって隼人は知ってたんだ。だから――」
「いやだから」
ここで理佐が口を挟む。
「どうして隼人君が身を引くのよ。千早ちゃんが悪いんじゃないの」
「ボクも当時そう聞いたよ、隼人に。そしたらあいつはこう言ったんだ。『俺より奴のほうが、千早を幸せにできそうだから』って」
「……ごめん、意味がわからない」
るいの言葉はみんなの気持ちを代弁しているのだろう。一様に頷く浅間大学生たち。圭は苦笑すると、理由が3つあることを説明する。
1つ目は、その彼が周りも認める『いいやつ』なこと。彼らが通っていた高校内で男女双方から信望の厚かった彼は、2年生時の生徒会長でもあった。
「2つ目は、その彼がお金持ちって点だね。ニイミって衣料品メーカー、知ってる?」
美紀や理佐が知っていると答えると、圭は頷いて付け足した。彼がそこの創業者の孫であること、彼自身も若くして資産を所有する財産家であることを。
るいの顔は苦々しげだ。
「それでもやっぱり意味がわからないよ。そんなことで諦めちゃえるの? 隼人君」
「そこで、理由の3つ目さ」と圭は無表情に切り替えて告げた。
「隼人は、自分や仲間を裏切ったり捨てた人間を、絶対に許さない」
それを聞いたみんなの顔色が変わったのに気付き、慌てて笑顔に戻って手を振りながら付け加えた。
「許さないっていっても、復讐するとか、仲間はずれにするとか、そういうことはしないよ。ちょっと
嘘ついたくらいなら冗談ですむし。ただの知り合い以上にはなれない。それだけさ」
女の子なら、もう彼女にはなれない。隼人を裏切って別れたモトカノがその後どんなに復縁を迫ってきても、隼人の態度は揺るがなかった。千早が3回も付き合えたのは、幼馴染だからってのがあるのだろうと圭は推測している。
「特に、ケンカして隼人を突き飛ばしたりすると、もうテキメンだね。すうっと冷めちゃうみたいなん
だ。だからね」
圭はみんなをまっすぐ見る。
「みんなが、隼人とどういう関係で行きたいのかはお任せするけど、お願いだから、隼人を裏切ったり突き放したりするような真似はしないでほしいんだ。あいつが延べ8人と付き合ったっていうのは、それだけの回数裏切られたり捨てられてるんだよ。カノジョだけじゃない。実の親からも、継母からも」
了見の狭い奴って思うかもしれない。でも、それが隼人のルールだから。合わせるかどうかは、それぞれ次第ということで。圭はそう言って結びとした。
しばしの沈黙。そののち口を開いたのは、美紀だった。
「昨日千早ちゃんが言ってた『いつも自分を犠牲にして』って、もしかして……」
美紀が昨夜のことを思い出しているのだろう、目線を上げながらの質問に圭は答える。
「そう、利他的、って言えばいいのかな。あいつ言ったことない? 『女の子がピンチになると、身体が勝手に動く』って」
身に覚えがあるのだろうか、優菜と理佐がやや気まずげにお互いを見やっているのを見ながら、圭は言葉を繋いだ。
「そういう隼人の性格を利用されて、また裏切られて。その繰り返しなんだ」
るいが遠くを見てつぶやく。
「隼人君、長生きしないね」
圭は寂しげに笑って、女の子たちを見回した。以前るいが言っていた“志願者”の顔を観察する。その視線に気づいたのか、理佐が顔を赤らめながら聞いてきた。
「圭ちゃんは、隼人君とは付き合ってないって聞いたけど、どうしてなの?」
「ボク?」
圭は眼を伏せて、微笑んでかぶりを振った。
「ボクも隼人もお互いが好みのタイプじゃないからだよ。ボクはもっとほっそりした人がいいんだ」
「なるほど、真逆だな」
優菜のコメントに圭は薄く笑う。
「じゃあじゃあ、隼人君の好みのタイプって、どんななん?」
真紀が身を乗り出してきた。体力切れの副作用で身体がだるいはずなのに、実に楽しそうに圭には見える。
「顔の好みは特にないんじゃないかな。あ、でも、どっちかというと大人っぽい子が好みかな。年上の彼女もいたし」
圭の言葉は、美紀と真紀に衝撃を与えたようだ。そろってしょんぼりし始めた童顔の双子を優菜が見咎めた。
「待ておい、美紀ちゃんはともかく真紀ちゃんまでなんで萎れてんだよ」
「「いや、ここはユニゾンとして萎れとかんと」」
「なんで2人で弁解してるのよ」
と理佐が吹き出した。なんだかちょっと余裕が態度に出ている気がするのは、圭の気のせいだろうか。
そのあと、隼人が料理の類をまったく作れないため食事で釣れること、ただし生活費がなくなると食費を削ってしまうためできればおごらせず割り勘にすることをみんなに教えて、圭は立ち上がった。
「じゃ、そろそろ帰るよ。いつまで探し物してるんだ、って怪しまれちゃうし」
「いろいろありがとう。参考になったわ。とても」
理佐も微笑みながら立ち上がったが、すぐに怪訝そうな顔になった。るいや優菜も圭の顔を凝視している。
(やば、顔に出ちゃったかな)
圭はふと、病室でのなごみのリアクションが頭をよぎっていたのだ。動揺が顔に出ないように取り繕いながらごまかす。
「横浜に来ることがあったら連絡してよ。飲み屋くらいしか案内できないけど」
わーい、とうれしそうに歓声を上げるるいと、飲むことしか頭にないのかと左右からツッコむ双子と。
賑やかさに救われて、圭は別れの挨拶に手をあげた。
「じゃ、またね」
2.
千早がチェックアウトのためにホテルのロビーに降りて行くと、そこには隼人が待っていた。
「な、なんであんたがここにいるのよ?!」
「ん、駅まで送ろうと思って。どうせまた取っかえ引っかえの服でデカい荷物だろうな、と」
着道楽の千早はぐうの音も出なかった。
チェックアウトを済ませて、気温が上がり始めた駅までの道を2人で歩く。千早の大きなカートが
隼人に引かれていると普通サイズに見えなくもないのがちょっと可笑しい。
怪訝そうにこちらを見た隼人に首を振って、くるみのお見舞いに行く道すがらでは聞けなかったことを千早は尋ねることにした。
「なんで、あのボランティアになったの?」
「ん、まあ、なんだ、あの子たちを護りたくなったから」
隼人の返答は、千早にとって予想どおりかつ予想外だった。
相変わらず誰かのために自分の身を削っていることが予想どおり。
予想外なのは――
「あんた、変わったね」
「何がだよ」
「自分から女のところに飛び込んでいくなんて」
昔は黙ってても女が寄ってきて、そして散々なことになってたのに。
「最初はボランティアのほうから勧誘されたんだぜ? サポートとしてだけどな」
「それで“あれ”まで手に入れちゃって。おまけにエストレに魂を売っちゃうとはね」
「めちゃくちゃ言ってんな。しょうがないだろ、ライバーに光線技ないんだし」
隼人の渋い顔に少し笑いながら、千早は無理難題を押し付ける。
「徒手空拳で戦いなよ、そこは」
「なんでそんな縛りプレイをせにゃならんのだ。そりゃお前は縛られるのが好きごふぉあっ!!」
にやけ始めた隼人の顔を引き締めるべく、右わき腹にフックをお見舞いする赤面の千早であった。
「日中はエロトーク禁止! まったくもう……で、誰狙いなの?」
千早としては奇襲をかけたつもりだったが、幼馴染には通じない。
「さあな。またペラペラ言いふらされてもかなわねえし」
「理佐ちゃん? 優菜ちゃん? それとも……はっ! まさか、双子の姉妹丼がっ!!」
調子に乗った千早の脳天に、隼人のチョップがさく裂した。
「エロトーク禁止って言ったのはお前だろうが。まったく……」
そのまましばらく無言で歩く。時々の、隼人の視線を感じながら。
千早にはわかる。こういう表情の時の隼人が尋ねたいことが。
『いま、幸せ?』
付き合っていたとき隼人がよく尋ねてきた、言葉。
そして、これも千早には分かっている。隼人がなぜ口を開かないのかも。
ふいに鼻の奥がつんとしてきた千早は、根負けしたように語りだした。
「彼がね、最近具体的になってきたのよ」
どこに住もうか。
お前のアルバムに載ってる全員を呼ぼうか。
旅行、どこに行こうか。
「そっか。良かったな」
そう言われて隼人の顔を見た千早は、急いで顔を彼からそむけた。おそらく心から祝福してくれている、モトカレの微笑みから。
なんでそんな顔するのよ。なんで、怒らないのよ。
「千早――」
「……何よ」
涙声にならないよう目いっぱいの自制をした千早に、隼人は言った。
「どこ行くんだよ。駅、こっちだぞ?」
顔をそむけていたため駅への曲がり角を通り過ぎようとしていた。これ幸いと別れを切り出す。
「ここでいいよ。荷物、ありがと」
「ん、じゃあ、またな」
手渡されたカートの持ち手の暖かさに、また鼻の奥につんとくるのを我慢して、千早は言った。
「くるみちゃんのお見舞いは、最低でも月1で行くから」
「ああ、火曜日にこだわらなくてもいいぞ。別の曜日に来たほうがあいつも喜ぶだろうし」
モトカノにからかわれたくないんだな、意中の人の前で。それはそれで面白いかも、ね。
千早はそう思いながら隼人に手を振り、踵を返して駅の改札へ向かった。




