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紅のナイトメア -Saga of the Vengeance-  作者: 七鏡
Birth of the Vengeance
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かつては輝いていた薄い蜂蜜色の髪も年のせいか、もはや白髪に変わってしまった、と彼女は笑って話す。ぴんと張った背筋と、老いを見せてはいるが実年齢以上に若く見える肌の瑞々しさのせいで、彼女はまだ老人、という印象ではなかった。膝にブランケットを駆け、長椅子に腰掛け、彼女は孫娘の淹れてくれたお茶を数口吞み、そっと横の台に置いた。上品に老女は笑った。その顔からは、若かりし頃は美貌であったことがうかがえる。

何かを思い出したように、彼女は窓の外を見る。広がる街々。人の活気あふれる街に、太陽が燦然と輝いている。この街で過ごしてきた日々を思い出し、老女は刻まれた皺を更に深くした。


「おばあちゃん?」


孫娘は首をかしげて老女に言葉を駆ける。ハッと思い出し、「ごめんなさいね」と彼女は思い出す。年のせいか、昔のことを思い出しては一人、物思いにふけるようになった。そんな祖母に笑いかけ、孫娘は体面の椅子に座った。彼女は自分の分のお茶を飲み、カップを持ちながら祖母をまっすぐに見た。

老女は孫娘を見る。自分の若いころにそっくりで、娘よりも似ている。あどけなくて、まだ世間を知らない少女。フフ、と意味もなく笑った。


「また私ったら」


そう笑い、ふう、と彼女は息をつく。


「おばあちゃん、また昔話を聞かせてよ」


「いいわよ」


おばあちゃん子の孫娘は学校のない日や放課後、こうして祖母に昔話やおとぎ話をねだってくる。幼いころから老女はそれを騙り聞かせてきた。孫娘との時間は楽しいものである。他の孫たちはもうこういった話を聞きたがらないだろうから、余計にこの孫娘は可愛かった。


「いいですよ。さあ、今日は何をお話しましょうか」


「ううん・・・・・・」


唸る孫娘。その様子に、また老女は笑う。穏やかな笑み。

やがて孫娘は「それじゃあ」と口を開いた。


「おばあちゃんの親友だった、っていう人の話を聞きたいな」


親友。その言葉を聞き、老女が思い浮かべる人物は、ただ一人である。彼女にとって忘れられない存在。

おそらく、彼女がいなければ、今の自分はない。そう断言できる存在だ。

祖母の夫との再会、それから出産。それはある一人の人物がいたおかげであったのだと、かねてより祖母から聞かされていた娘。だが、その人物については今まであまり話に聞いたことはなかった。あえて娘の法でも聞かなかったし、祖母の方でも触れては来なかった。

だが、昔を思い出すようになった祖母は時折、その時のことを思い出しているのか口に出していることも多々あった。娘としても、そろそろ聞きたい、と思っていたのだ。

老女は孫の顔を見る。孫娘ももう、十五歳。来年には成人とみなされる年になる。もう、子どもではない。この話をしても、問題はないだろう。

老女は目を閉じ、頷いた。


「いいわ。けれど、長い、長いお話よ。それに、これは優しい物語ではないわ。現実の、辛くて残酷な物語。復讐に生きた、美しいひとのお話よ」


それでも、聞きたい?

祖母の問いに、孫娘は頷いた。強い好奇心を秘めた瞳。緑色の瞳はまっすぐに老女を映している。瞳の中の自分は随分年を取ったようである。時が流れるのは早いな、と思った。

思えば、長年連れ添った夫がなくなってもう数年がたっている。

昔が懐かしい。最近は特に、そうだ。


「なら、話をしましょう・・・・・・」


老女は語りだす。鮮明な、今なお色褪せない、あの忘れえぬ日々の物語を。そして、老女自身が親友から聞いた、彼女の物語を。



――――――――――――――――――――




当時のリクフェル共和国は、王政から変わってまだ十数年しか経過していなかった。王の血筋が絶え、有力貴族たちによる共和制が成立し、しかしまだその体制が整っている、とは言えなかった時代。

50年前、大貴族たちによる反乱をきっかけに周辺諸国も介入し、リクフェル王国は戦乱の時代に突入していた。当時はまだ若かったヴェストパーレなどの有力貴族は、状況的に不利であった国王に協力し、各国や大貴族に対処し、どうにか混乱を収拾し、再び王国として統合を図ろうとした。

その最中に国王は暗殺。また、国王の弟も戦中に戦死しており、妹である姫も消息不明となっていた。王に子供はいなかったし、妻も王の死後、そのショックで死亡していた。

王家の血をひく者は、ほとんどがいなくなっていた。大貴族たちは早紀の戦争の責任を取らされ多くが処刑されていた。わずかに王家の血を残す家々も、血は薄く、どの家も王を出すことをためらった。

国王に忠実であった若きシメオン公爵らは王政から貴族による共和制への移行を決定し、国王の助言機関元老院を政治決定機関へと作り替えた。

こうして共和制リクフェルは再始動したが、その後の国内の混乱が収まるのはまた先の話となった。

戦争の傷跡の癒えぬ地方ではいまだ大貴族の残党や各国のスパイがいたためだ。

野盗や傭兵崩れは問題を起こした。

旧王都以外では殺人など日常茶飯事。悪は裁かれることなく蔓延っていた。


そんな時代に、彼女は生きていた。しかし、彼女はそういった悪に一切かかわることなく、家族や友人たちに愛されて育っていた。

そんな彼女の運命が狂ったのは、十六歳の成人の日であった。






無邪気に生きていたあの頃、彼女はまだ、憎しみとも負の感情とも無縁であった。その手は優しく糸を紡ぎ、野菜を採取し、花々を愛でていた。およそ、血なまぐさいこととは無縁であったし、彼女が持つ刃物と言えば、農具や調理器具、裁縫道具程度であった。

地方領主の一人娘であった彼女は、両親や使用人、領地の民から愛情を注がれた。決して裕福とは言えない生活。領民に紛れ、農作業をし、質素堅実な生活、と名ばかり貴族ではあったが、不満はなかった。畑仕事をして、子供らしく外で遊んだ。男の子に交じって野を駆け巡ってはよく泥だらけになっていた。

年頃になっても幼少期のお転婆の残る彼女だったが、皆彼女を愛し、温かく見守っていた。美しく、心優しい領主の娘を、誰が嫌うのだろうか。彼女の笑顔は、領民たちの宝物であった。

そんな日常に彼女は満足していた。それ以上を望まず、ただただこの時間が続くこと。それが彼女のささやかな願いであった。小さな片田舎での、平凡な人生。それに不平を抱いたことはなかった。

しかし、それは世間知らずの娘が抱く、幻想でしかなかったのだ、と後に彼女は回想している。




彼女が十六歳の誕生日を迎えた日。その日は春の穏やかな日差しのおかげで過ごしやすく、雪もすっかり消えてなくなっていた頃であった。小さな領地は軽いお祭り状態であった。祝い事を、領民全てが楽しみ、笑い合っていた。愛すべき領主の娘の成人の祝い。領主夫妻も領民に娘の祝い事だから、と普段はしない豪華な催しをしていた。領主夫妻は孤児院などの建設に資金を回したり、と領民からは慕われていた。私生活に使う金はほとんどなく、使ったとしてもそれはこうして領民のため、娘の為なのだ。だからこそ、領民たちは領主を慕っている。他の領地では、今なお搾取され、酷使されている者たちはたくさんいるし、治安も悪いという。共和制になっても、まだその機能はきちんとしておらず、地方は苦しい。

こうして心の底から楽しめることを、領民たちは感謝していたし、娘も幸福に思っていた。


だが、そんな幸福な時間は突如、終焉を迎えた。


祭に浮かれる人々の隙を突き見慣れぬ男どもが紛れ込み、街に火をつけ、略奪の限りを尽くしたのだ。

今までは治安がしっかりしていたし、警備体制も万全であった。だから誰もそんなことが起こるとは思っていなかった。しかも、領主の娘の成人の日に、とは。

故に、誰もが不意を突かれた。一方的に虐殺されていく人々。領民たちとともに談笑し、祝われていた娘は突如のことに身を震わせ、怯えた瞳で周囲を見る。燃え上がる炎、響く悲鳴。泣き叫ぶ声に紛れ、下卑た男どもの声が響いた。

領主の娘を守ろうと使用人たちが身を盾にする。領主への恩から、とっさにそう言った行動をした。そして、娘を両親のいる屋敷へと命を懸けて逃がしてくれた。屋敷に行けば、領主を守る兵がいる。そうすれば、領主の娘は助かる。彼らはそう考えた。そして、役目を遂げた彼らは無残に殺されていった。

必死に娘は走った。後ろは見ない。見れなかった。昨日まで一緒だった人々の死に顔。それを視たくなかった。認めたくなかったのだ。成人が十六歳とはいえ、まだ彼女は子供であった。涙を浮かべ、それでも逃がしてくれた彼らのために父母のもとへ向かうことしかできなかった。


(どうして、どうして・・・・・・・!)


心の中で、問いかける。相手は天上にいるという神に。けれど、答えが返ってくるはずはない。息を吐き、吸いながら奔った。家へ、屋敷へ。そしてそれが見えた時、娘は安堵する。まだ炎は上がっていないし、賊が入った形跡はない。少なくとも、見た様子では。

助かった。これで、父母に事情を言えば、皆助かる。そのはずだ。

そう思い、彼女は扉に手を駆け、開いた。


「お父様、お母様!」


そして、両親の名を呼び、危機を知らせる。そのまま勢いで入った娘が見たものは。


八人の男たちに嬲り殺しにあっている、敬愛すべき父親と無残に命を奪われた美しき母の姿であった。


美しい母は、涙の跡があった。抵抗の跡があった。無理矢理、尊厳を奪われたのだ。ドレスは乱れ、床には男たちの欲望の跡があった。下卑た瞳の男たち。服は乱れている。何があったのか、など言うまでもなかった。

逞しい父は、両手両足を切り落とされていた。そして、じわじわとその命を散らしていた。私が見た時、父はすでに虫の息であった。妻が男たちの慰み者になるのを無理やり見させられ、それが終わったとなると始末されようとしているのだろう。男たちのその残忍さに娘は怒りよりもまず恐怖を感じた。恐ろしい殺意と欲望の気配に、娘は吐き気を憶え、涙を溢した。母の死にようやく哀しみが追いつきてきた。

膝をつき、呆然とする娘の姿を認め、八人の男は娘を見た。


「ほう、これがこの領地の珠玉と言われた娘か」


男たちが舌なめずりする。娘は後ろに下がる。よろよろと、力なく。父が「娘に近づくな」と弱い声で言い、近くにいた一人の男に殴られる。鼻と口から血を吹き出し、父は床に伏せった。父の名を呼ぼうとしたが、娘の喉から声は出ない。辛うじて出た声。


「来ないで・・・・・・」


弱弱しい声。小鳥のさえずりよりも小さなそれは、男たちの耳に入りはしなかった。

やっと金縛りから解放され立ち上がり走って逃げようとした娘の背後から、何者かが押さえつけた。


「!?」


「そう嫌がるなよ、お嬢ちゃん」


九人目の賊が娘の耳元でささやいた。ゆっくりと、悪魔の呟きを。欲望に満ちた、その血走った瞳を向けて。


「さぁ、俺たちと楽しもうぜ、お嬢ちゃん」


欲望にぎらつく瞳。それが彼女を見た。娘は組み敷かれる。そこに、男たちは群がってくる。その目に狂喜を宿らせて。

そして、娘の長い、永遠にも感じる悪夢は始まった。

全身を不快な視線と感触が襲う。彼女の体の中を異物がかき乱すように暴れ狂う。男どもの乱暴な行為は、まだ幼い彼女の心身を攻め続けた。助けを請う娘。それを見て絶句する父親。それすらも男たちにとっては興奮を高めるものでしかなかった。

叫ぶ娘の口を押え、男たちは饗宴を繰り広げる。


「お誕生日おめでとう、お嬢ちゃん!」


「ほうら、贈り物だ!」


ぎゃははははははは、わははははは。


薄ら笑いを浮かべ、呟く。おめでとう、おめでとう、おめでとう、と。

涙を溢す少女に男たちはキスをする。無理やり奪われるファーストキス。やめて、と泣き叫ぶ声は、かき消された。



(いやだ、いやだ)



(助けて、たすけて、タスケテ・・・・・・)



(痛い、キモチワルイ)



終わりの見えないそれに、少女の心は耐えきれなかった。泣き叫び、助けを求める。だが、そんなものはない。悪夢の饗宴は無限の時間に感じた。

神に助けを求める。けれども、彼女は知る。神は決して救ってくれない。誰も彼女たちを救えないのだ、と。

終わりのないそれが終わったのは、夜も更けようとした頃であった。

饗宴に夢中だった男どもは、父親のことを頭から忘れていたのだ。

死に体であった父親は、娘の終わりのない地獄を終わらせるため、今の暖炉に近づいていた。手足が切り落とされていたため、芋虫の様にはいずり、ようやく彼はたどり着いたのだ。

彼は男どもに群がられる娘を見ると、意を決した。彼は体を暖炉の中に投げ込んだ。


(お父様!)


目を見張る娘に、父は最後に笑った。その口が微かに動いたように見えた。

彼は暖炉に入る前に、周囲に油を撒き散らし、そして自分も油を被っていた。


故に。


暖炉の日は勢い良く燃え上がり、屋敷を巻き込む大火へと変貌した。爆音が響き、火の粉を男どもを襲った。

燃え上がった火炎に、男どもは饗宴の終了を感じた。


「やべえぞ、おい!」


こんなことをしている暇ではない。誰かがそう言い、男たちは慌てて衣服を着て、奪った財宝やらを抱えて逃げ出す。

最後の男は、床に倒れ、髪を乱した裸の娘を見る。


「殺すにはもったいねえが、まあ、依頼は果たさねえとな」


そう言い、持っていた剣で少女の胸を貫いた。剣が娘の右乳房を抉った。血が吹き零れ、娘は震えた。口から血を吐き出し、せき込む。それを見届け、男はニヤリと笑った。


「楽しかったぜ」


そう言い、男は少女から離れていった。手を伸ばし、助けを請う娘を振り向くことなく。




少女は朦朧とした意識の中、炎を見る。胡乱な瞳は、虚ろであった。

父はいない。母はそこで死んでいる。自分は、血を流している。永くはないだろう。時期、火が包む。それより先に死ぬか否か、それだけの違い。

渇いた涙が零れる。散らされた純潔、奪われた幸福。信じていた未来は今、永遠に失われた。


(どうして、こんなことに)


少女は問う。神に、運命に、自分自身に。

平凡な幸福。それすらも、赦されないのか。

父母は死に、皆死ぬ。訳も分からずに。

そんなことが、赦されるのか。人は、理不尽に死ぬために生きているわけではない。

父はそう言った。その父は死んだ。少女を守るために。

少女は拳を握りしめる。爪が食い込み、血が出る。不思議なことに、血を流しているのに少女の力は衰えるどころか、むしろ強くなっているようにさえ思えた。胸の痛みも、心の痛みも、感じなくなっている。これは、死が近いからか。わからない。少女はただ、死にたくない、と願った。

哀しみ、喪失感、そして、怒り。理不尽に対する、強い憤り。復讐心が彼女の中を覆った。

これほど強く他人を恨んだことは彼女はなかった。


(憎い、憎い、憎い!)


復讐しろ、と彼女の中の誰かが叫ぶ。それは父の姿であり、母の姿であり、見知った領民たちであった。血を流し、苦しむ彼らは一様に彼女に言う。


(血の贖いを、復讐をッ!!)


(復讐を!)


(復讐を!)


(復讐を!!!)


娘は立ち上がる。汚れた体をゆっくりと。血が流れる右胸を強く抑え、少女は立ち上がり叫ぶ。


「死んで、堪るかァ!!」


そして、彼女を包まんとする周囲の炎を見る。強い意志が籠った瞳は、深い蒼。その奥で、燃え上がる怨念。その目が映す炎の向こうで、何かが動く。影が動いた。そしてゆっくりと影は頭を上げた。

その時、彼女はそれを見た。ゆっくりと近づいてくるそれは、少女と同じくらいの背丈であり、身体もそっくり瓜二つであった。彼女はそれが何かを悟る。そして、この場に不似合いな、美しく、そして不気味な笑顔を浮かべその影に手を伸ばす。影もそれにシンクロするように手を伸ばした。

影が何事かを問う。少女は沈黙した。

めらめらと焔が燃える音がした。揺らめく火の中、二人は視線を交わし、





そして少女は頷いた。



影が消え、それは彼女の中に入ってくる。




それから彼女は―――――――――――。








次に目覚めた時、彼女が見たのは、屋敷の燃え跡であった。領地もほとんどの家々はなく、田畑は荒らされ、燃えてなくなっていた。生きている者はだれ一人いなかった。彼女を除いては。

全身は痛み、不快な穢れに吐き気を覚えた。だが、少女はそれよりも生きようとした。ただ必死に。

両親の死体をみつけることはできなかった。無残なそれを、きちんと葬りたかった。だが、それすらできない。

少女はゆっくりと歩き出す。ボロを裸の身体に纏い、裸足で歩く。

もはやここに彼女の幸福はない。幸福の残滓だけ。ここにいる意味はもうない。

彼女の視線の先に広がるのは闇。光はもはやない。彼女の中で起きてからずっと響いている声が、彼女を導いてくれる、様な気がした。

嘆きの声、怨嗟の声。それが彼女を突き動かす。右胸の傷はなぜか見当たらない。ボロボロの穢れは残っているというのに。

男どものあの、忌々しい記憶もともに消し去ってくれればよかったのに。それどころか、機能がもう一度来ればいいのに。

だが、彼女は知っている。昨日はもう、永遠に来ないことを。



少女は当てもなく、声に従い彷徨った。森に入る。食べるものがほしかった。空腹。それは今までは無縁であった。

不思議と食べ物に困りはしなかった。その気になれば、毒でさえ耐えられた。その頃には彼女の身体はもはや、ニンゲンを越えていたのかもしれない。人間ではない何か、死神に魅入られているかのように。

涙は出ない。もう枯れてしまった。彼女が泣くことは、二度とないと思うほどに。夜の闇、月を眺める少女は哀しみを抱きつつも泣けなかった。

森の泉で水浴びをし、大きな木の根元に寝込む。裸の身に、服だったものを身にまとうだけ。

動物の目を恐れ、明りとなる火はつけられなかった。完全な眠りにつくことも許されなかった。

彼女はそうして夜を過ごした。


朝日が眩しい。目は重い。光がひどく、鬱陶しく思う。つい数日前までなら、彼女は無邪気に朝の到来を喜んだろう。

彼女は動き出す。そうしなければ、心が折れそうだった。彼女は森を抜け、街道に出る。

この格好で街道に出るなど、正気ではないだろう。だが、少女に選べる手段はなかった。

少女は運が良かった。たまたま通りがかった行商が彼女を見つけたからだ。彼女は言った。賊に襲われ、すべてなくした。親兄弟も死んでどうしようもない、と。

商人は心配そうな顔をしていた。だが、彼女にはわかった。その顔は、瞳は、あの男たちと同じ、欲望を映し出していたからだ。

商人は彼女を歓迎した。汚れてはいるが、元は悪くはないからだろう。ちょうどいい玩具を見つけた風に。彼女は無邪気に感謝するふりをした。そして、心の奥底で暗い笑みを浮かべた。

そうだ、こいつを利用してやろう。利用して、奴らを見つけ出す。何としても。そして、購わせるのだ。

奴らの犯した罪を。自分の中でつぶやく声は、この男を利用すれば、彼らを殺した損じ亜にたどり着くと言う。ならば、それに従おう。

復讐のためなら、この身は惜しくない。奴らに復讐さえできたらそれでいい。

商人は厚い毛布を少女にかけ、馬車へと促す。そして、少女に聞いた。


「お嬢ちゃん、名前は?」


彼女は言う。


「ヴェルベット」


血のように鮮やかな紅い髪を揺らして、彼女は告げた。





かくて、ある者にとっては忌まわしく、ある者にとっては女神ともいえる存在がその時、誕生したのだ。

後世、リクフェルはおろか、世界各地にその名を知られることとなる一つの伝説が生まれたのだ。

この時、彼女自身も含め、そのことに気づいたものは誰一人いなかった。




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