私の先生
私には昔、先生がいた。
きっかけは中学の小テスト、テスト前日に当時人気だった新作ゲームにハマってしまい、徹夜したことで0点を取ってしまったことだった。
この結果に両親は大層お怒りになり、
「こんな点数を取るようじゃ塾に行かせるしかない」
という勉強嫌いな私にとって、事態が悪い方向に進むことになったのだ。
私は一縷の望みをかけて姉に助け船を求めた。
「ねえ、お父さん、お母さん」
私のSOSが届いたのか、姉が二人に対して提案した。
「それなら、私の友だちにいい人がいるんだけど」
………。
「はじめまして、高木豊といいます。よろしく、歩くん」
「よ、よろしく……」
こうして姉の男友達の高木さんが私の家庭教師となった。大学生である姉の同級生なら、中学生に教えるのも大丈夫であろうと、両親は了承してくれた。
「はい、じゃあ最初は軽くテストでもしようか」
そう言って出されたテストは、ほとんど分からなくて、高木さんに渡された答えを見ながら採点をしたら、ひどい結果になってしまった。
「なるほど、これは教えがいがあるなあ……」
苦笑いをされてしまった。
それから高木さんは小学校の問題集を取り出して私に問題を解かせた。「さすがにこれくらいの問題は解けるよ」と私はさくさくと解いていったが、高木さんは問題集を解くたびに「うん、ばっちりだね」と必ず褒めてくれた。今思い返すと、これが高木さんの狙いだったと思う。ある意味馬鹿正直な私はそれに気分をよくしてどんどん問題を解いていった。
しかし、小学校の問題といっても難しいものは難しいのである。私はついに、分数につまづいてしまった。
「ふむふむ、ここが歩くんの苦手なところかー」
そう軽く笑って高木さんは私に分数について分かりやすく教えてくれた。
高木さんがすごいのは教科の内容を教えるのがうまいだけではない、私が高木さんの説明が分からないとき、必ず高木さんは気付くのだ。
「大丈夫、歩くんが分からなくても、分かるように僕が教えるから」
その言葉通り、高木さんは私が分かるようにいろんな手段を用いて教えてくれた。
そのおかげか、小学校の分野が終わり、中学の分野に突入しても私が勉強が嫌になることはなかった。
特に歴史は高木さんが好きみたいで、紙芝居方式やゲーム方式、果ては一人で数十人を身振り手振り声色を変えて演じ分ける演劇方式と果たしてこれは勉強をしているのだろうか?と考えるほど高木さんの間違った熱がこもりまくりだった。
けれども、高木さんの目的は最初から最後までぶれたことはなかった。
「先生との勉強って楽しいなあ」
ある日、なんとなくそんなことを口にした。
「そうかい?楽しいなら僕も頑張りがいがあるよ」
「たまに脱線するけど、その話も面白いし、最近、学校の成績もよくなってきてるんだ」
「あはは、そんなに褒めても何も出ないぞ」
実は高木さんが家庭教師として来る日は姉がお菓子を作ったり、妙に機嫌がよかったりするのだけど、それは言わないでおく
「お世辞じゃないって、先生ならいい教師になるんだろうなあ」
「……うーん、どうかなあ、それは」
高木さんは私の発言に少し、困ったように答えた。
「え、先生、教師にならないの?」
「そうだね、昔は教師になりたいなあとはなんとなく思ってたけど、やっぱり難しいかな」
「なんで?先生は教えるの上手だよ?」
「それは歩くんが頑張ってるからだよ。それに、教師になるとこうして一人一人に教えるのも難しくなるし、授業の進み具合も考えなくちゃいけなくなったりするからね」
「でも、俺は先生に教師になって欲しいよ」
「あはは、ありがとう」
そう言って高木さんは私の頭を撫でた。今になって考えると、高木さんの言ったことは表面的なことで、他にもいろんな理由があったのだと思う。
私はそういったことには気づけなかったが、高木さんが悩んでいることは分かっていた。だからこそ、なんとかしたいと感じていた。
「先生、見てください」
私は高木さんに期末テストの結果を見せた。すべて90点以上だ。
「歩くん、よく頑張ったね。おめでとう!」
「先生の、おかげです」
そういうと先生は困ったような顔をして、
「ううん、前にも言ったけど、頑張ったのは歩くんだよ。これは歩くんの努力の成果だ」
と言った。けど、そうじゃない。
「違うよ、先生。確かにテストの点数は俺が頑張ったからだけど、そうじゃないんだ」
だって、
「俺が頑張れたのは、いや、頑張ろうと、勉強する気になったのは」
「歩くん……」
「先生が、勉強するきっかけを、学ぶことの楽しさを俺に教えてくれたから」
そう、高木さんは私に学ぶことの楽しさを教えてくれたのだ。ただ単にテストの点数を上げるなら、テストの範囲を教えるだけでよかったのだ。
学校の教師が教えることが分からなくて、馬鹿だから仕方ないと諦めていた私に、学ぶのが楽しい、分かるって面白いと私に自信を取り戻してくれたのだ。
そんな高木さんが自信を無くしている姿なんて、嫌だ。
だから私は、高木さんに自信を取り戻してほしい。
「……分かったよ、歩くん。僕が悪かった」
まったく、困った生徒だな、と高木さんは笑って、そして言った。
「約束するよ、絶対に先生になるって」
しばらくして、高木さんは就職活動のために私の家庭教師を辞めることになった。
もともと勉強の仕方は習っていたので、これからは一人でも大丈夫だろうと高木さんは言った。
それから高木さんは一般企業に就職し、徐々に疎遠になっていった。
「おーい、忘れ物はないかー?」
「うん、ないよー」
「じゃあこのドリルはなんだ?」
「……あ、あれー、忘れてたー、ごめんお父さん」
「まったく」
あれから何年経っただろうか、私も一児の父親になった。
息子は私と同じく勉強嫌いで、小学校のテストで0点を取ってしまったので塾に通うようになってしまったのだ。
息子はそれが嫌なようで、唇をとがらせていた。今でも何かしらの理由をつけて行くのを嫌がっている。
でも、まあ大丈夫だろう。
「じゃ、義兄さんによろしくな」
彼なら、息子の勉強嫌いをたちまち治してくれるだろうから。




