陵辱の蛆
グロテスクな表現、過激な描写がありますので、苦手な方は気をつけて下さい。
1997年3月25日
ある一人の青年が、発狂して精神病棟で舌を噛み切り自害した。
彼は死ぬ寸前まで
「蛆虫が沸いている、蛆虫が沸いている」
と叫び続けていた。
周りは彼を単なる異常者としてしか処理しなかったが、事の発端はこうである。
【陵辱の蛆】
彼の名は、森田英雄。26歳。無職。
内気な性格が災いしてか、職場では上手くいかず、自主退職。
付き合う女性も、気が強くて我侭なタイプが多く、上手くはいかない。
何もかもが上手くはいかない現実に、フラストレーションが溜まるばかりの毎日。
退職金も底をつき、かといって世話をしてくれる女がいるわけもなく、自暴自棄になるしかない状況であった。
「はぁ?何言ってんの?アンタに貸す金なんてあるわけないでしょ。金が欲しけりゃ働きなさいよ。大体女に金借りようなんて、よく出来るわね。プライドないわけ?とにかく迷惑だから。もうかけてこないでね。」
彼の最後の頼みの綱は、甲高い暴言とともにプツリと切られた。
錆びた欄干から、暗い海の底のような夜の街を見つめる。
築25年の木造アパートの二階。
この安アパートの家賃さえ、今月は払えそうもない。
いっその事、目の前の夜の海に飛び込んでやろうかとも考えた。
打ち所が悪ければ死ねるだろう。
そう考えて、またこんな考えも浮かんだ。
もし、死ねないまま半身不随にでもなったらどうなるだろうか?
医療費も払えず、自ら死ぬ事も働く事も出来ず。
そう考えて、彼はやはりここから飛び降りるべきではない、と思った。
結局の所、彼は小心者なのである。
かと言って、死ぬ事は出来なくとも、今の状態では生きる事も困難だ。
あの女は、俺を見殺しにするのだ。付き合っている頃は、俺から当然のように金を奪っていたくせに。
男の頭は、被害妄想に近い女に対する憎悪でいっぱいになった。
黒い空にはポツンと月が満ちている。
それに自分の憎悪を重ねて、彼は憎しみで満たされていった。
ふと視線を落とすと、女が一人、タクシーから降りて向かいのマンションに入って行くのが目に入った。
自分には、タクシーに乗る金すらないのに。
そう思うと、全ての女に対する苛立ちが、彼を覆った。
それから彼の起こした行動は素早かった。
向かいのマンションに視覚を集中して、明かりの点く部屋を確かめた。
二階の角部屋。それを確認すると何かに憑かれたように、部屋を漁り、昔に一枚写真を撮ったきりのインスタントカメラを探し当てた。
そしてそのまま目深に帽子を被り、夜の闇の中へと駆け出した。
彼の企みは成功した。
現金と、満たされた欲望が彼をニヤけさせた。
泣き叫ぶ女を征服する快感と、一方的な力の誇示による陵辱。
それは、彼の嗜好を確立させた。
安物のインスタントカメラでは、ろくな写真は撮れていないだろうが、それでもその後の女の行動を制限させるには十分だった。
味を占めた彼が、その後数件の同じ罪を犯しても、それが彼を断罪することはなかった。
彼は初めての、スリルとそれのもたらす快感に酔いしれた。
自分のこれまでの人生は、なんてちっぽけでつまらないモノだったのかと大笑いしたくなった。
そして、この夜も彼は、自分を満たすべく行動を始めた。
場所は、彼の家から2km程離れた高級マンション。
オートロックの高級マンションの上層階に住んでいる女は、施錠を怠る事を彼はこの数ヶ月の経験上知っていた。
そして、カーテンの色、洗濯物などで、女であろうとチェックを付けておいた部屋へと侵入する。
ドアノブを静かに回し、薄暗い部屋へと足を踏み入れる。
女の住む部屋、独特の柔らかい空気の中に、包まれると言い様のない恍惚に包まれた。
しかし、その日、侵入した部屋は、いつもとまた様子が違っていた。
麝香を焚きつめたかのような、独特な香気の中、薄闇の中に女が一人ソファへとしな垂れている。
寝ていると思っていた獲物が、起きていた事に瞠目し、思わず彼は玄関口でガタリと大きな音を立ててしまった。
女はゆっくりと立ち上がり、淡いオレンジ色の間接照明を点けた。
彼は、すぐさま逃げ出そうとしていたが、その薄明かりに照らされた女を見て、思わず放心してしまった。
泣きはらした目は、この世の終わりを見据え続けるかのような、黒い光を帯び、空梅雨の中に咲く紫陽花のように、
身体からは、生気が消えうせ、触れればすぐにでも手折ってしまえそうな、危うさが滲んでいた。
「あなた、帰って来てくれたの?」
鈴のように、可憐な声には、どこか少女の名残がある。悲しくも美しいその女の存在に、彼は一瞬で見入ってしまう。
その時、男は今までにないほどの欲情よりも激しい何かが自分の中に湧き起こるのを感じた。
勢いに任せて、女の華奢な肩を掴むと、桜の散るように、その肢体はソファの上へと沈んだ。
「慎一さん?」
不安げな縋るように女が小さく声を漏らす。
大方、男にでも捨てられたのだろう、そう彼は判断して、女に対する愛着と、それ以上の加虐心の入り混じった不思議な心地を覚えた。
「残念だったな、俺はシンイチなんて男は知らねぇよ。」
吐き捨てるように笑い、乱暴に女の身体に触れる。
女は、あぁと力なく声を上げて柔らかいソファの上で乱された。
彼はいつも以上に愉快になり、自分がポルノの主演男優になったかのような気持ちで女を辱めた。
「なんだ?身体は悦んでいるじゃないか。この淫乱め。」
自分が今までに夢見た台詞を得意気に吐きながら、男というものに従順な女というものに、溺れた。
女は、彼の全てに反応を返し、彼は、恐怖や力以外のモノで女を支配しているという初めての感覚に酔った。
行為の後、女は静かに泣き崩れた。
頬を伝う涙も、小さく肩を震わせる様も、彼の心を大きく揺さぶった。
「私、寂しかったんです。ずっと。あの人がいなくなってから。」
女は何を思ったか、白く細い指先で、男の服を掴んだ。
「誰も、訪ねてきてはくれないと思っていたから。」
男は、初めて自分が必要とされたかのような気分になって
「なんだ?また来て欲しいのか?」
と女の絹糸のような黒髪を撫でた。
女はコクリと頷いて、恥ずかしそうにはにかんだ。
その女の部屋を出たころには、空は静かに朝を迎えていた。
彼は、あの薄闇の中の出来事は、夢だったかのようにケロリとした。
あれは、あの麻薬のような麝香が見せた幻覚だったのではないか。
骨抜きにされたかのように、ぼんやりと彼は、夢見心地の抜けないまま空を見上げた。
次の夜も結局、彼は女のもとへと出かけた。
もう一度行くのは危険かもしれないという考えがなかったわけではないが、要はその女に嵌ってしまっていたのである。
「嬉しい、来てくださったのね。」
女は、予想以上に温かく彼を出迎えた。
部屋は、昨夜とは違い明るく、白い蛍光灯の下で見る女のハッキリとした実像は、想像以上に美しかった。
「夕飯を、作っておきました。よろしければ。」
ソファの前のテーブルには、豪華なディナーが用意されている。
彼は、昨日の情事の場所でもあるソファにどっしりと腰を据えて、まるで自分がこの家の主人になったかのような気分で
女の注ぐ酒を飲んだ。
「誰かのために、料理を作るのはとても楽しい。」
嬉しそうにそう笑う女の顔には、昨日の悲しげな影はどこにもなかった。ふいに寂しげな色をする瞳以外は、幸せな女の姿そのものである。
男は、自分が、不幸な女を笑顔に変えたのだ、といよいよ得意な気持ちになった。
この女は、俺がいなければダメなのだ。
そう思えば、なんとも自分が立派な男であるかのように錯覚した。
ディナーはどれも立派なものだった。
彼が今までどうあがいても手の届かないような高級な食材を使った本格的なコース料理で、特にポトフは絶品だった。
食後、ほろ酔い気分で、また女を抱いた。
昨夜とはまた違う味の、気分のよいセックスだった。
女は、情事の後、
「また明日も来て下さる?」
と彼を見つめた。
それから彼は足繁く女の元に通った。
女は、日々明るく笑うようになり、温かい夕食で、彼をもてなした。
男は、全てにおいて満たされていた。
優しく自分を迎え入れてくれる女がいる。
彼は、その女と会うために生きているような気さえした。
静かに雨の降る夜だった。
水滴は確かに男とその道を濡らした。
しかし雨音はかすかにしか響かない。
不気味な夜だった。
男はいつものように女に会いに行っていた。
女の部屋は、初めて彼が入った時と変わらず、麝香の香がたちこめていた。
女は、雨に濡れた彼を優しく迎え、いつものように、ソファに沈んだ。
彼は、女を抱きよせながら、この世にこの女以上に愛しいものはない、と感じた。
次第に空が白みだし、男がいつものように帰り仕度を始めると、女はいつかのように男の服を華奢な指で掴んだ。
「どうした?」
「いつも、終わったらすぐに帰ってしまうのね。そういうのって寂しいわ。」
女はすねたように口をとがらせる。
たしかにそうだと男は思った。
今までは、つい癖でセックスが済むと逃げるように帰っていたが、今はそんな事をする必要はない。
「じゃあ、もう少し居よう。」
彼はまた、ソファへと腰を下ろして、女の肩を抱いた。
窓から、ゆっくりと朝日が差し込み始める。降り続いた雨は止んだらしい。
朝日に照らされる女は、朝露の精のように清らかで美しい。
そのたおやかな身体をゆっくりと堪能し終わった頃には、朝日はすでに昇りきっていた。
女はしっとりと汗ばんだ額に手を当て、彼の白濁の体液をそれよりも白くなだらかな太ももの上に散らしたまま、
未だに恍惚の表情を浮かべている。
穏やかな新しい時間が、二人をゆるやかに包んでいた。
その夢のような時間を壊すかのように、チャイムが鳴る。
「俺が出よう。」
裸のままの女を制して、男は手早く衣服を身に付け立ち上がった。
新聞の勧誘か何かとタカをくくっていた彼は訪問者を見て蒼褪めた。
「どちら様ですか?」
訪問者は、グレーのスーツをきっちりと着こなした中年の男だった。
威圧的な低い声で、彼をマジマジと見つめてそう問う。
(もしかして、コイツがあの女の恋人だった男か?)
すぐに、その考えに至った彼は、元々の気弱な性格が災いして、目を泳がせたままモゴモゴと口ごもってしまう。
中年の男は、不審気にその男を一瞥し、
「ちょっと失礼しますよ。」
と男の肩を乱暴に掃って部屋の中へとずかずかと入っていった。
彼は突き飛ばされた体制のまま、中年の男が、引き攣った声を上げるのを聞いた。
「ひっ、なんて事だ、これは。」
先程の威圧的な態度から想像もつかないほどに、動転して震えた声色。
それから、ボソボソと何かを話している声が聞こえる。
女の返答は聞こえない。
どうしていいかわからず立ち尽くしたままの男の腕を、蒼褪めた顔の中年男が部屋から出てきてひねりあげた。
「どういう事なんだ?これは。」
男は後ろ手で拘束されたまま、前のめりになりながら、引き摺られた。
反射的に、助けを求めるように女へと視線を向ける。
白日に晒され、夢の覚めたような部屋を見据え、男は思わず、嘔吐した。
女の横たわるソファから、フローリングにかけて、褐色の影が広がっている。
その影は、女の華奢な首筋で止まり、それが女の乾いた血液であることがわかった。
女の顔には、乱れた黒髪がかかり表情はわからない。
髪の隙間から覗く色のない唇からは、無数の白い蛆がうごめいていた。
そして、彼の体液も、蛆へと変化して、女の太ももから膣の間で犇いている。
ソファの隣にあるテーブルの上には、原型を留めていない肉塊が、散り散りに敷き詰められていた。
彼は、その猟奇的な現場を一通り見ると腰を抜かした。
中年の男は、男の腕を力任せに引っ張る。
いつの間にか、数人の男がやって来ていて、彼の手に手錠をはめた。
引き摺られながら、彼は下半身にふと違和感を感じた。
目をやると、彼のズボンの裾から、ポロポロと白い米粒のようなものが零れ落ちている。
良くみれば、それは無数の蛆だった。
それからしばらくの間、世間のテレビでは、その話題で持ち切りなった。
「26歳の男が、夫婦を刺殺。夫を食べつつ、妻を死姦。」
真相究明は困難であった。
犯人とされた青年は、蛆が沸いているとうわ言を繰り返すだけだったから。
結局青年は、精神病棟へ送られ、
事件は、精神異常者の猟奇的殺人事件として幕を閉じた。
青年はその後、自らの性器を切り落とすなどの奇行を繰り返し、10年後に逝った。
真相は青年自身もわからないまま。
了




