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アラフィフ女の入院日記  作者: 橘 塔子
シーズン1
6/13

初めての決断

この作品の大筋はノンフィクションですが、個人の特定を避けるため一部に脚色・創作を加えています。

 翌日の金曜日には微熱が取れ、シャワーの許可が出た。

 入院以来ずっとお風呂に入れていなかったため、これには大喜びした。体は毎日拭いているものの、髪と頭皮のベタつきにストレスを感じていたのだ。


 当然ながら、シャワーの間、点滴はいったん止める必要がある。針は刺したままで、途中の接続部で管を外してもらった。

 挿入部が水で濡れないように、左腕のその部分をラップやテープでぐるぐる巻きにされた。ちなみにこの防水処置をしてくれたのも新人看護師さん(前日のボクとは別の人)で、かなり不格好な仕上がりとなった。

 相棒のボーちゃん二号には悪いが、点滴を外して歩き回れるのはすごい開放感だった。


 シャワールームは一人用のこぢんまりした作り。ナースコールのボタンが設置されていて、もしもの時に備えて内鍵は掛けないようにと言われた。他に、介助者が一緒に入室できる浴槽付のバスルームもあるみたいだ。

 五日ぶりに浴びるシャワーは爽快の一言だった。

 備え付けのボディソープやリンスインシャンプーはいかにも業務用だったが、贅沢は言っていられない。点滴の挿入部を気にしつつ、体も頭もゴシゴシ洗った。


 全身さっぱりして新しいパジャマに着替え、借りたドライヤーで髪を乾かす。

 すぐに点滴をつけられてしまったけれど、体が温まって髪がサラサラになると、何というか、ものすごく気持ちに余裕が生まれた。病室にいるにも拘わらず心が和んで、優雅な気分にすらなってくる。

 同時に、毎日お風呂に入れる日常を、私は改めてありがたく思った。




 併せて、その日の昼から、食事が『きざみ食』に格上げされた。

 ペースト状だというのでベビーフードを想像していたら、味付けはしっかり大人向けだった。

 肉の炒め物はピリッと胡椒がきいているし、粉吹芋(こふきいも)はほんのりバター風味、大根サラダはちゃんと食感が残っていた。そしてお味噌汁――具はないけれどお出汁が美味しい。

 ビジュアルこそペーストだが、立派な定食だ。一度普通に調理したものを細かく刻んでいるのだと思う。しかも低脂質、低塩分。


 「病院の食事は味がない。マズい」と、入院経験のある人からよく聞いていた。

 今回、私はそうは感じなかった。薄味でも美味しい。自分で調理する時も塩分控えめを心がけているせいだろうか。

 ただひとつ閉口したのは、お粥の量が多いこと。重湯(おもゆ)からラックアップしたのはよかったが、大きめのお茶碗に満々(なみなみ)とつがれていて、メニュー表によると二百五十グラムもある。脱・点滴のために、頑張って残さずに食べた。


 その後、管理栄養士さんが来てくれて、今後の食事指導をしてくれた。

 要約すると『脂質ダメ。ゼッタイ』である。

 これまでもそれほど脂っぽい食事を好んで食べていたつもりはないのだが、よりいっそう気を遣うこと、そして疝痛(せんつう)がきたら絶食することを心に刻んだ。




 さて、石が取れ、腹痛が治まり、食事が摂れるようになると、入院生活は急に快適になる。

 何しろ、一日中ノーメイクで、ノーブラで、パジャマのままで、三食昼寝付きの毎日だ。仕事も家事もしなくていい。闘病中の患者さんもいるのに不謹慎極まりないが、ストレスがなさすぎて怖かった。

 

 ゆっくり流れる病室の時間に身を置きながら、私は早く日常に戻らねばと考えていた。

 (せわ)しなくて(やかま)しくて目まぐるしくて、嫌なことや腹の立つことや理不尽なことが多くて、それでも楽しくて、誰かから必要とされる日常に――。

 そういう雑然とした日々が好きなんだなと、緩いモラトリアムの中で、再認識させられた。

 



 翌日、また早朝に採血された。今回は前もって聞いていたので心の準備ができていた。

 この結果で退院できるかどうか決まる。そして()()()も、そろそろ答えを決めなければならない。

 午前中の回診で、担当医から退院許可が告げられた。


「血液検査の結果は問題ありませんでした。食事も摂れているようだし、点滴は今日の夜で終わります。明日一日だけ様子を見て、明後日の月曜の朝には帰ってもらって結構です」


 私はありがとうございますと頭を下げた。


「胆管に残っているステントを外すのであれば、月曜の処置になりますので、もう一日延びますけど……」

「それって、どのくらいの期間残しておけるものなんですか?」

「うーん……一般的に、ですが、二ヶ月くらいですかねえ」


 内視鏡手術の際に胆管に挿入したステント――プラスチックの管を、近いうちに胆嚢摘出手術を受けるのであればそのまま残しておく、という話である。しばらく胆嚢を温存するつもりなら、抜き取ってからの退院となる。


「抜去だけなら外来でできますから、いったんそのまま退院して、後日決めていただいても構いませんよ」

「いや……手術受けます、早いうちに」


 私はそう答えた。


 重要な決断を先送りにしがちな自分の性格はよく知っている。救急車を呼ぶかどうか迷った時も、痛みが治まったからまあいいか、と流しかけた。あのまま放置していたら大変なことになるところだった。

 ここで決めずに後回しにすると、どうせまた「まあいいか」になってしまう。二ヶ月以内というリミットができれば、面倒臭がりの私だって否応なしに行動するだろう。


 摘出手術は外科の担当になるとのこと。先生の方から外科の外来予約を取ってもらえることになった。

 ということで、私の胆嚢さん、別れの日は近いよ。




 その日の深夜に、点滴が外れた。

 ボーちゃんともここでお別れ。また次の患者さんを支えてあげてほしい。

 やっと寝返りが打てるようになったのに、一週間で身についた癖のせいか、朝まで仰向けで寝ていたようだ。


 最終日の日曜は、本を読んだりテレビを見たりしてのんびり過ごした。点滴がないとシャワーも楽々だった。

 明日は、夫が午前中休みを取って迎えに来てくれることになった。公共交通機関もあるのだが、どのくらい体力が落ちているか分からず不安だったので、非常に助かった。


 同室の、言葉を交わした患者さんは、言っていた通りその日に退院していった。空いたベッドはすぐに消毒され、整えられ、夕方には次の患者さんを受け入れた。

 時間がゆっくり流れているのは患者の方だけで、病院にとっては、これもまた目まぐるしい日常の一部なんだろう。


 夜、大河ドラマの地上波放送を観つつ、長いようであっという間だったなあとしみじみ思った。

 ちょうど一週間前、このドラマのBS先行放送を観ていて胆石発作を起こし、救急搬送でERに運び込まれ、そのまま入院となった。

 検査をして、症状が分かって、内視鏡手術を受けて、回復して……いったいどれほどの『初めて』を経験しただろう。というか、アラフィフになってこんなに未経験が残っていたとは驚きだった。

 人生、何が起きるか分からないものだ。


 まだ全部解決したわけではない。おおもとの治療は残っており、これから計画を決めていかなければならない。

 しかしとりあえず、とりあえずは娑婆(しゃば)に出られる――謎の達成感で私は高揚していた。




 退院の朝、先生が外科の外来予約票を持ってきてくれた。

 何と、明日、だった。

 外科の外来がある曜日で、いちばん早い日を取ってくれたのだろう。

 今日退院した私は、明日、またここに戻ってくる。




 俺たちの戦いはこれからだ!




To be continued in Chapter2

【今回の学び】

入浴はメンタルに効く。

健康問題に関して決断の先送りはしないこと。


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― 新着の感想 ―
入院体験記、ありがたく読ませていただきました。 去年今年と家族が相次いで入院したので、他人事とは思えず、患者側の視点がわかったのがわたしの何よりの学びでした。お元気になられて何よりです。
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