初めての内視鏡
この作品の大筋はノンフィクションですが、個人の特定を避けるため一部に脚色・創作を加えています。
ズンチャッ、ズンチャッ――MRIのアイドリング音はけだるい4ビートだ。
外来での予約が空くのを待っていたため、検査は午後遅くになった。
待合室で流されていた注意喚起の動画で、様々な金属製品が強力な磁場に引っ張られる様が見られて結構面白かった。トレーニング用のリストウェイトを着けた人がガントリー(MRIのドーナツ部分)に貼り付けになるのは、かなりの衝撃映像だった。
MRIはうるさくて狭くて窮屈だけど、別に痛くないからへっちゃらだ。二十分ほどで検査が終わり、結果の説明は明日ということになった。
夕食は十八時半。もちろんスルー。夜の検温があって、消灯時刻は二十一時だった。
そんな早く寝られるかよ……と思ったが、灯りが消されて静かになると、案外眠気がやってくるものだ。点滴パックの取り替えの度に目が覚めるものの、普通に眠れた。
が、翌日は早朝五時に起こされてしまった。
「橘さーん、お休みのところすみません。採血です」
他の患者さんに気を遣ってか小声でそう言いながら、看護師さんはすでに私の右腕にゴムチューブを巻き始めている。
「え? は、はい……」
「掌、親指中に入れて軽く握ってくださいね。アルコールでかぶれたことはありませんか?」
「ええ、はい……」
寝惚け眼の私からパパッと血を採って、看護師さんは去って行った。びっくりしたー。
その後、朝の検温の際、
「今朝は起こしちゃってごめんなさいね。昨日採血があるってお伝えしてなかったんで、驚かれましたよね」
と謝られてしまった。朝イチの採血といえば五時なんだそうだ。とんだ早朝ドッキリである。
日中の病棟は、存外に賑やかである。
やっぱりと言うか、入院患者にはご高齢の方が多い。私より年下と思しき人にはお目にかからなかった。とはいえ、お揃いのレンタルパジャマを着ている人がほとんどなので、何となく一体感がある。点滴スタンドを押して歩いているおじいちゃんと擦れ違うと、お互い頑張ろうぜ、という気持ちになる。
必然的に長期入院者が多いのかもしれない。病棟の廊下はリハビリの場だった。理学療法士さんが患者の歩行訓練に付き添っている姿をよく見かけた。病室のベッドにいても廊下の話し声が聞こえてきて、静けさとは無縁だった。
舌を巻くのは療法士さんたちのコミュニケーションスキルである。
彼らと患者との会話に耳を傾けると、症状の話から世間話、患者さんの好きな食べ物や身の上話まで、実に巧みに話題を広げているのが分かった。
耳が遠かったり、受け答えが胡乱だったりするじいちゃんばあちゃん相手に、お喋りが途切れることがなかった。楽しい気持ちにさせて、リハビリへのモチベを上げるのだろう。勉強になる。
担当医は午前中にやってきた。
「胆嚢と十二指腸との間の総胆管に石が見つかりました」
私が前日の説明で描いてくれた絵を出すと、先生は胆嚢の下の管にポツポツと黒い点を足した。
「なので、口から十二指腸に内視鏡を入れて、こういう先が網になっているカテーテルを使って石を除去します。鎮静剤を使いますし、体への負担は少ない手術ですよ」
お腹に針を刺して膿を出すかもと聞いていたため、それよりはマシだと安堵したものの、内視鏡――いわゆる胃カメラを飲むのは初めてだった。人間ドックの際にオプションでつけられるのだが、毎年躊躇していた。だって気持ち悪そうじゃん。
手術のリスクについても詳しく説明を受けた。特に膵炎の合併症は低くない確率で起きているらしく、術後に十分な管理が必要らしい。
「手術の時に、ステント……プラスチックの管を胆管に通します。胆汁の流れを良くして石が詰まるのを防ぐための器具なんですが……橘さん、近いうちに胆嚢を摘出するつもりはありますか?」
んんん?
想定外の質問に、私はとっさに返事ができなかった。石だけ取るんじゃなかったの?
「胆嚢の摘出手術の前にも、やっぱりステントを入れる必要があるんですよ。だから近々摘出を考えているのであればそのまま残しておきますし、決めかねているのなら退院の前に抜去します」
つまり、すぐに外科手術を受けるのなら二度手間になるから残しとくけど? ということらしい。やれやれ今回はお腹切らずに済んだと喜んだとたんに、この選択。
「やっぱり胆嚢取らないと根治にはならないんですか?」
「石を溶かす薬はあるんですが、全部なくすのは難しいでしょうね。橘さんまだお若いから、この先また石が胆管に詰まる可能性が十分ありますよ」
うーん……。
私が悩んでいると、先生は、退院までに決めてくれればいいですよ、と締め括った。もともとこの場で決断を迫るつもりはなかったみたいだ。
石だらけとはいえ、大事な臓器、自分の一部である。できれば温存したいと思っていた。詰まっている石が取れれば、今後は心を入れ替えて胆嚢に優しい生活を送るつもりだった。
けれど、再発可能性の指摘は、とても刺さった。
その日の午後、病棟を移ることになった。
緊急入院だったため、とりあえず空いているベッドに入れたが、内科の病棟で受け入れ準備ができたという。
ここ内科じゃなかったんか! とその時初めて知った。あの病棟が結局何科だったのか、今現在まで分からずじまいだ。
荷物をまとめて、ボーちゃんをがらがら押してお引っ越しをした。
移動先の病室はやはり四人部屋で、ベッドは窓際だった。明るいし、階が上がったので見晴しも良好。
しかし病棟ごとに備品を管理しているらしく、点滴スタンドを交換されてしまった。
ボーちゃん! 退院するまでの相棒だと思っていたのに。
新しいスタンドの名前は、もちろんボーちゃん二号。
「内視鏡手術は、明日の十時からの予定です。三十分くらいで終わりますよ」
新顔の看護師さんは、手術の承諾書の控えを返しながらそう伝えてくれた。時間がはっきり分かったので安心した。少なくともMRIみたいに半日待たされることはなさそうだ。
内科の病棟も、やはり廊下はリハビリ勢で賑わっていた。ボーちゃん二号とともにあちこち歩き回って、トイレや洗面所、ロビーの位置を把握しておく。
清拭と着替えの際に、ちょっとした変化があった。旧病棟では看護師さんが介助してくれていたが、ここでは補助(?)の方が担当する。なので点滴の管を外すことができず、着替えの時に点滴パックごと肌着とパジャマの袖を通すという珍しい経験をした。
だが、最も大きな違いを感じたのは、夜の消灯後だ。
何か、あちこちの病室からやたら声が聞こえる。鼾などまだ可愛い方で、呻き声や、「助けてくれぇ! 殺されるぅ!」という絶叫まで。
噂に聞く譫妄というやつかもしれない。それか認知症か。長期に渡る入院はすごいストレスになるのだろう。気の毒ではあるが、同室にああいう人がいなくてよかったと思ってしまった。
寝られるかな……と心配したのも一瞬で、やっぱりすぐに眠りに落ちた。
予定通り、朝九時五十分頃に看護師さんがお迎えに来た。
ボーちゃん二号を連れて、内視鏡検査室に赴く。検査室は外来と共用で、待合フロアには外来の患者の姿が多かった。
検査室では医師と看護師数人が待っていた。人間ドックで見るような、ベッドと胃カメラとモニターだけがある小部屋かと思っていたら、広い。いかつい機材がたくさんある。その非日常感に、一気に緊張してしまった。
「はい、じゃあうつ伏せに寝てくださいね。腕はここに乗せて、顔はこっちに」
点滴をつけた状態でのうつぶせ寝、しかもベッドが硬く、かなりきつい姿勢だ。力を抜いて楽になんてとてもできそうになかった。首と肩がぐぎぎぎ……と軋んでしまう。
これで三十分とか絶対無理だ――と困り果てていたら、
「眠くなるお薬入れますねー」
と、鼻にチューブをつけられた。
呼吸を続けて、一秒か二秒――すこーんと眠りに落ちた。
一瞬、自分の背中を見下ろすような映像が見えたような気がしたが、きっと夢だろう。幽体離脱はしていないはず、たぶん。
そのまま意識が途絶えていたのだが、麻酔ではないのでやはり感覚は残っていたらしく、途中から眠りは浅くなっていた。
シンプルに痛かったのだ。鳩尾のあたり、ちょうど胆石発作で疝痛を起こす部分に疝痛とそっくりの痛みを感じる。ゴリゴリゴリゴリ……中を鑢で擦られているような。
普通に痛いんですけど……これほんとに薬効いてる……?
かといって覚醒はしていない。腹痛を抱えたまま眠っているような、非常に不安で不快な状態が続いた。もしかしたら呻いていたかもしれない。
突然ものすごい吐き気が込み上げてきて、私はウエッと嘔吐してしまった。うわ吐いちゃった、と焦ったが、口から内視鏡が抜かれたのだった。
「はい、終わりましたよ。大丈夫ですか」
「は、はい……」
私はぼんやり返事をした。口の中に胃液の味がする。
病室のベッドが運び込まれていて、私はごろっと転がってそちらに移動した。まだ体が動かないので帰りはベッドごと運んでくれる。
病室に着いた時、時刻を訊いたら十時半だった。わずか三十分の処置である。
受け答えはできるものの、意識の輪郭が曖昧だ。休日の早朝に目覚めて、ああ今日は休みだったわと二度寝する前に似ている。
心電図の電極を着けられながら、私は再び眠ってしまった。
大きな窓から差し込む柔らかな日差し、暑くも寒くもない気温――時間が止まったみたいだった。働く人たちの気配を遠くに、心地よい音楽のように感じる。
ここ数年で最高に快適なお昼寝となった。
【今回の学び】
朝の採血は本当に早いので心の準備を。
病棟は昼も夜も賑やか。
鎮静剤が効いていても痛いものは痛い。