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アラフィフ女の入院日記  作者: 橘 塔子
シーズン1
2/13

初めての救急外来

この作品の大筋はノンフィクションですが、個人の特定を避けるため一部に脚色・創作を加えています。

 救急車の後部に窓はなく、道順は全然分からなかったが、軽快なスピードで走っていたように思う。

 横たわっているにもかかわらず、振動はほとんど伝わってこない。やはり普通のワンボックスカーとは作りが違うのだと実感した。右左折の際の横Gも気にならなかったのは、ドライバーの腕だろう。


 渋滞に巻き込まれることもなく、十分か十五分くらいで目的の医療機関に到着した。大きな施設なので名前くらいは知っていたが、今まで受診したことのない総合病院だった。

 救急車の後部ハッチが開くと病院の入口で、すでに数名の看護師さんたちが待機していた。正面ではなく、救急専用の搬入口らしい。

 ストレッチャーで運び込まれる私の頭上で、手際よく救急隊から問診内容の引き継ぎが行われる。医療ドラマで見たやつだ。

 ドラマでは「いち、に、さん!」で患者をベッドに移すシーンが定番だが、私は普通に意識があるので、よっこらっしょと自力でベッドに移動した。


 ここはいわゆる救急外来――ERという所らしい。三つか四つのベッドがカーテンで仕切られていて、通路は広々としている。私の他に患者がいるかどうかは分からなかった。

 看護師さんから氏名、生年月日を確認され、救急車の中で問診された内容に間違いがないか、再度問われる。

 今は痛みがだいぶ治まっていると言うと、


「いちばん痛かった時を十として、今の痛みは十段階でどのくらいですか?」


 と訊かれた。この問いかけはこの先ことあるごとに繰り返されるので、医療現場では定番なのかもしれない。その時は、


「三……くらい……?」


 と答えた。自分の体のことながら、なかなか確信を持って答えられないものだ。


「採血と点滴をしますので、お洋服着替えてもらえますか。ブラジャーは外してくださいね。あ、上だけでいいですよ」


 Tシャツを脱いで、検査衣に着替えた。下はチノパンのままなので結構マヌケな格好である。

 看護師さんはてきぱきと私の右腕で血圧を測り、左腕に点滴の針を刺した。採血はいつの間にか終わっていた。点滴と同じ場所から採ったのかもしれない。まったくお見事な手際。

 実は点滴も初体験だった。腕の内側ではなく、腕の外側、しかも手首のちょっと上あたりに針を入れられたのでびっくりした。関節のある肘なんかに刺すと中で針が曲がってしまうから、当然と言えば当然だ。

 そうこうしているうちに夫が到着した。処置室には入れず、受付前の待合で待機しているらしい。


「胆石の可能性があるとのことなので、CTを撮らせてください。承諾書を読んで署名をもらえますか?」


 夜間なのにそんな検査もできるのか! とまたしても驚いた。てっきり今夜は痛み止めを渡され、昼間にまた来てくださいになると思っていたのに。

 ベッドに寝たまま、私はへろへろした字で承諾書に署名をした。


 念のため車椅子に乗せられて、点滴スタンドをがらがらと押しながら、CT検査室に連れていかれた。

 途中で受付を横切った時、夫が不安そうにソファに座っているのが見えた。他にも何人か待っている人たちがいる。患者かその付き添いか分からないが、大きな病院は夜も忙しそうだな、と感じた。


 検査が終わり、また処置室のベッドに戻ってきて、画像の診断がつくまで四十分くらい待つことになった。


 ぼんやりと点滴のパックを見上げると、600CCと書かれている。まだ余裕で500は残っているようだ。これが終わらないと帰れないのか。100CC落ちるのに一時間かかるとして、今夜中に終わるのかこれ? 

 明日の月曜日はとりあえず会社は休まないといけないだろうな。あの件とあの件、先週片づけておいてよかった。あそこにメール出すのだけ、他の人に頼んでおかないと……。


 他にすることもなくつらつらと考えていたら、救急車のサイレンが聞こえてきて、別の患者が運ばれてきたのが分かった。ベッドの周囲にカーテンがあるので、様子は見えない。

 新しい患者は、どうやら高齢女性のようだった。漏れ聞こえてくる救急隊員からの引き継ぎによると、自宅で転倒して頭を打ち、目眩や吐き気を感じるとのこと。

 頭は怖いからなあ、ちゃんと検査しないとな……などと他人事ながら心配していると、医師か看護師かどちらか分からないが、その患者さんを叱っているのが聞こえてきた。


「……だからね○○さん、頭の検査はしますけど、腰はかかりつけの病院に行ってください。救急車の中で、救急隊員の人からもそう言われてますよね?」


 相手の耳が遠いからかもしれない。はっきりした、厳しい口調だ。

 諸々推測するに、隣のベッドのご婦人はもともと腰が悪く、それが原因で転倒した。頭の検査をするついでに腰の方も診てほしいと、そう頼んできたらしいのだ。


「ここはね、緊急の患者さんが運ばれてくる場所なんですよ。そんな、何でもかんでもは診てあげられないんです」


 刺さる指摘である。私の方も、さほど急を要する状態でないという検査結果になったら、無駄に医療リソースを食い潰してしまったことになる。

 やっぱり明日まで待ってきちんと昼前の診察時間に来ればよかったかしら。


 待っている間、それ以上急患が運ばれてくることはなかった。

 今夜のこの状況が多忙なのか暇なのか分かりかねたが、ERの医師と看護師はわりと雑談が多く、カーテン越しに会話や笑い声がよく聞こえてきた。その日常感は私をほっとさせてくれた。

 何となく若くてちゃきちゃきしたスタッフが多い気がする。活きが良くなければ務まらない職場なのかも。


 やがて、担当の医師が検査結果の説明に来てくれた。旦那さんも一緒に、と、夫もベッド脇に通された。


「やっぱり胆嚢に石がありますね。ほら、これ、胆嚢がだいぶ大きくなってるでしょ」


 先生は、タブレット上で画像の胆嚢と思われる部分を差しながら言った。ちょっと茶髪の若い先生だ。

 私は夫と顔を見合わせて溜息をついた。ノーマルのサイズはよく知らないが、確かに画像で見る私の胆嚢は肥大しているように見える。


「血液検査の方も、数値が結構悪いです。おそらく石が詰まってしまって、胆汁が肝臓に逆流してるんだと思います。肝機能障害を起こしかけてますね」


 肝機能障害! こわ!


「胆管……胆嚢と肝臓、十二指腸を繋ぐ管ですね、ここ。ここに石が押し出されてる可能性もあるんですが、この画像では詳しく分かりません。石の成分によっては写りにくいこともあるんですよ。改めて検査をする必要があります」


 ふむふむ、じゃあ検査の予約を取って……。


「胆管の中に石が詰まっているのなら内視鏡で取れますが、胆嚢そのものが炎症を起こしているのなら摘出も選択肢に入ります。まあいずれにせよ、これだけ悪くなっていますから、緊急まではいかなくても、準緊急くらいだと思ってください。今夜から入院してもらって……」


 なんて?


「消化器内科に引き継ぎますんで、そちらで治療方針を決めていきましょう。じゃ、あとは看護師の方から入院の説明をさせてもらいますね。お大事に」


 点滴が終われば帰れると思い込んでいた私は、予想外の展開に唖然とした。最悪入院は覚悟していたが、今すぐだとは考えてもいなかったのだ。

 すでに看護師さんが書類一式を準備してスタンバイしていた。




 車椅子に乗せられ、病棟に案内された時、時刻はもう二十二時を回っていた。

 夫は病室までは入れず、同じ階にあるロビーで必要書類を書いてから帰ることになった。明日、着替えを持ってきてくれるという。必要なものがあったらLINEで送ってと言って、夫は病室へ続く廊下まで見送ってくれた。


 もう消灯時刻は過ぎているらしく、病室は暗かった。四人部屋で、ベッドは二つ埋まっている。私は三つ目のベッドの住人になった。

 時間も時間なので、私はあまりごそごそとせず、大人しく布団に横になった。点滴のせいで寝返りが打てないのが不便そうだ。


 えらいことになってしまった――私はしみじみと思った。

 あれよあれよという間に病人になってしまった。病院のベッドに寝ている状況がいまだに信じられず、何だか現実ではないように思える。


 退院までどのくらいかかるんだろう、と不安になってきた頃、看護師さんがやってきた。夫が記入してくれた書類の控えを持ってきてくれたのだ。それから、ペットボトルの水と麦茶。


「旦那さんが渡してくださいって。ロビーの自販機で買われてましたよ」


 そういえばとても喉が渇いていた。少し泣けてきた。




 二十四時を過ぎた頃、夫からLINEがきた。

 夕食用に炊いていたご飯を、小分けにして冷凍しているとのこと。明日は休みを取ったから大丈夫だよ、と。

 私はお礼を言ってから、とりあえず四泊分の下着を持ってきてくれるように頼んだ。

 四泊で帰れるかどうかはまだ分からない。

【今回の学び】

命の現場でこそ日常感は大事。

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― 新着の感想 ―
 SNS無精で常時出遅れる鵜狩です。  ご入院、ご退院の件はXで拝見していたのですが、ポストに気づくのが大分に遅れまして、「お大事に」とか「快癒おめでとうございます」とか声をおかけするのもおかしいかな…
すでにほとんど通常に戻られたそうで、良かったです。 点滴を受けながら、仕事の進捗や手配を考えてらっしゃる場面、出来る社会人、理想の上司、頼れる同僚と惚れ惚れでした  麦茶と水をとっさに託ける夫さま…
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