初めての救急搬送
この作品の大筋はノンフィクションですが、個人の特定を避けるため一部に脚色・創作を加えています。
2025年5月25日、十八時過ぎ、私は突然の腹痛に襲われた。
いや、実のところ突然というわけではない。予兆は十分すぎるほどあった。
三月頃から胃の上、ちょうど鳩尾のあたりにキリキリする痛みを度々感じていた。少し食べ過ぎたり、脂ものを摂りすぎた日の夜中、それはよく起きた。
原因には心当たりがありすぎた。胆石である。
もう十年以上前に、別の検査でMRIを撮ったところ、胆嚢に石が写っていた。ただ、自覚症状として痛みが出ていなければ経過観察で良いと言われ、治療はしていなかった。
胆嚢というのは、肝臓の右下、肋骨の下あたりにある臓器で、肝臓で作られた胆汁を溜めておく器官。消化の際、胆汁を十二指腸へと流している。
この胆嚢に石ができるのがいわゆる胆嚢結石――胆石で、中高年女性に多いらしい。胆汁を流そうと胆嚢が収縮すると、石が食い込んで疝痛を引き起こす。めちゃくちゃ痛くなるというわけだ。
言われてみれば確かに該当箇所が痛くなる経験はあったが、本当にごく希で、まあ一年に一度あるかないかだった。当時の私は手術など頭にもなくて、そのまま放置状態だった。
それが、今年の三月くらいから頻繁に疝痛が起きるようになったのだ。
平日は何事もないのだが、週末ちょっとこってりした食事を摂ると途端に痛くなる。その頻度も徐々に高くなってきて、さすがにこれはヤバイのではと思い始めていた。
とはいえ、間の悪いことに三月四月は仕事の超繁忙期だった。特に四月はまるまる一ヶ月、新入社員研修の担当業務が詰まっていた。この時期だけはどうしても休むことができない。
五月になったら必ず受診しようと心を決めて、過食や飲酒を避け、定期的にやってくる痛みを騙し騙し、何とか繁忙期を乗り切ることができた。
ゴールデンウィークが終わって、近所の消化器内科クリニックに検査予約をし、来週に検査を控えたその矢先だった。
その日は日曜日で、日中は近くのショッピングモールに出かけていた。昼食はあっさりとした蕎麦で済ませ、そのかわり夕方にテイクアウトでシナモンロールを食べた。そこまでは特に異常はなかった。
夕食の準備をしつつ、BSで大河ドラマの先行放送を観ていた私は、鳩尾を内側から刺されるような痛みに悶絶した。
痛みはなぜか肩や背中にも伝播し、仰向けに寝ることができない。体を「く」の時に曲げて床に蹲るのが精一杯だった。明らかにいつもの痛みとは違う。
救急車を呼ぶという夫を制し、私はまず♯7119の「救急電話相談」に電話をしてみた。
確かに激痛ではあるが意識はあるし、自分でスマホも操作できる。「救急車の適正利用」という言葉が脳裏を過ぎり、この程度でお世話になるのは忍びない気がした。
救急電話相談のオペレーターさんは、私の症状と住所を聞き取って、夜間診療を受け付けている病院を何箇所か教えてくれた。もっと事務的にあしらわれるかと思っていたが、親身になって相談に乗ってくれた。そして、もし夜間診療を断られたら救急車を呼んでくださいと言われた。
ここから先が大変だった。
結論から言うと、うまくいかなかった。
最寄りから順に四箇所ほどかけたのだが、どこも担当医の不在や緊急の対応のため、来院されても診ることはできないと言われた。非常にドライに拒否されたり、丁寧に症状を聞いたうえで申し訳なさそうに断られたり、対応は様々だったが、再三報道されているとおり救急外来が逼迫しているのを想い知った。
腹を押さえながら電話をしているうち、不思議なことに痛みが徐々に治まってきた。まだ鈍痛は残っているが、我慢できないほどではない。最初は床に這っていたのに、起き上がって倚子に座れるようになった。
もうこのまま一晩寝て、明日の朝にクリニックに行くか……と考え始めた。
八割くらい諦めモードに入っている本人を尻目に、心配した夫はさらに遠い医療機関にまで電話をしていた。そこで対応してくれた内科の医師が、かなり真剣にアドバイスをしてくれたらしい。
「本当に胆嚢結石なら甘く見ない方がいい。たとえ今痛みが治まっていたとしても、夜のうちにまた悪化する可能性もある。ためらう気持ちは分かるが、勇気を持って119番をしてください」
取り返しのつかないことになったら悔やんでも悔やみきれない。救急車を呼ぼう――夫の言葉に背中を押された。
結局、119には夫が電話してくれた。
念のため一泊分の着替えを用意してバッグに詰めた頃、外から救急車のサイレンが聞こえてきた。到着まで十分くらいだったと思う。
自力でマンションのエントランスまで降りるつもりだったのだが、その前にストレッチャーを押した救急隊員がエレベーターで上がってきた。私が普通に歩いているので、あれっという表情をされてしまった。ひたすらに申し訳ない。
実はこの時点で痛みはほとんど消えていた。今さら「やっぱりもういいです」とも言えないので、せめて痛そうな顔をしておく。
ストレッチャーに乗せられて、健康保険証と、通院歴のある病院の診察券を確認された。それからお薬手帳。こちらはバッグに入れ忘れていたので、夫に取りに戻ってもらった。
マンションのエレベーターは奥行きが狭いのだが、奥の化粧板の一部が取り外せるようになっていて、爪先を壁に突っ込むような形でストレッチャーが収まった。救急隊員の人たちは、職業柄こういう施設の構造にも詳しいのだなあと、地味に感心した。
エントランスから出ると。マンションの前に回転灯をつけた救急車が止まっていた。
ストレッチャーごと乗せられて、まずは血圧を測られ、心電図の電極を着けられる。すぐに出発するのかと思ったら、問診が始まった。その間に搬送先を決めるらしい。
お薬手帳を持って後を追ってきた夫も車に乗せられ、一緒に話を聞く。氏名と生年月日から始まり、これまでの受診歴や、かかりつけの病院、持病の有無も聞かれた。
「今日、最後に食べたのは何時頃でしたか?」
「ええと……十六時頃におやつを食べました」
「おやつは具体に何を?」
「……シナモンロールです」
ちょっと答えるのが恥ずかしかったが、隊員の方は真面目にカルテに記載していた。
近隣の病院に打診する声が聞こえていて、二箇所に断られているのが分かった。続く三箇所目で幸いにも受け入れOKの回答が得られた。
搬送先は、隣の市にある総合病院に決まった。車で十五分ほどの距離だ。先ほどの電話相談ではなぜか挙がらなかった病院である。
夫は同乗せず、自家用車で後を追うことになった。帰りの足を考えての判断である。
ナイス判断。帰りが遅くなるかもしれないものな――その時の私は、当然夫と一緒に帰れると考えていた。
【今回の学び】
本当にヤバイと感じたら迷わず救急車を呼べ! 夜間診療窓口に個人で問い合わせるのはかえって迷惑。
病院の診察券とお薬手帳はすぐ出せるようにしておくこと。特にお薬手帳は大事。この先も出番が多い。