3.握手
メロンソーダ1本くらい。
たったの150円。
なかったことにしようと思えば、いくらでもできた。
……それが、相手が“同じ側”の人間だったらの話。
でも、あの日、自販機の前で私の前に現れたのは——
“特別な側”にいる人間だった。
煌びやかな世界に片足を置いて、教室でもどこか浮いている、あの人たち。
だから根に持った。
だから許せなかった。
名前も知らない彼を見つけるのは、簡単だった。
人だかりの真ん中。笑い声の中心。
開けた視界の先に、彼はいた。
周囲の女子たちが、どこか遠慮がちに見つめている。
まるで近寄ってはいけない、どこか別の世界の人みたいに。
少し考えれば分かることだった。
でもその“少し”に、私は辿り着けなかった。
気づけば私は歩み出ていて——
「ちょっと! そこのキミ!」
彼らの輪が、わずかにざわついた。
一斉に視線が私に集まる。
「誰?」という無言の問い。
でもそれは、私だって同じだった。
「メロンソーダくん! 150円返して」
「……あ! この前の!」
「奢ってないから。150円返してってば」
私が手のひらを差し出すと、
彼はほんの少し驚いたような顔で、それを見つめた。
そして——なぜかその手を、包むように握ってきた。
「……なにこれ、握手?」
唖然とする私に、彼はふっと笑って言った。
「ごめん、今お金持ってなくて」
「……は?」
「これで、チャラじゃダメ?」
周りの男子たちが笑った。
その笑いが、どうしようもなく不愉快だった。
なにが面白いの?
怒りの沸点は一瞬で限界を超え、
私は繋がれたその手を勢いよく振り払った。
「芸能コースだかなんだか知らないけど!」
「……調子乗んな!!」
言い捨てて、その場を飛び出す。
しばらく走って、ようやく立ち止まったとき。
肺が焼けるように痛くて、息がうまくできなくて、
同時に、頭の中で冷静な自分が呟いた。
……やってしまった。
あの日、心の奥にそっと描いていた“平凡”と“普通”。
その静かな理想が、ガタガタと音を立てて崩れていくのを、確かに感じた。