これは或魔法協会の会員、――協会序列第8位が誰にでもしやべる話である。其の壱
今も鮮明に思い出すことができる。中学2年生の夏、母方の実家がある田舎でのことだ。
ゲームセンターやゲームショップなんてない田園風景が広がる田舎は、中学生の頃の私にとって拷問に等しいものがあった。今みたいにスマートフォン一つで無限に娯楽が享受できるわけでもない時代、田舎の遊びを楽しむことは退屈しないために必要なことの一つだった。
とはいえ、小学生のころから毎年の夏休みの大半は必ず祖父の家に泊まっていた私は粗方それらを網羅していた。故に習熟が必要になってくる遊びがここ数年のトレンドだった。
この日、私は昨年の夏に見つけた小川で水切りをしていた。石を投げてどれだけバウンドできるかを競うのが水切りだ。当然昨年は競争相手がいた。彼は一歳か二歳下ぐらいの腕白な少年で、水切りは昨年彼から教わった。彼も私と同じように夏の間は祖父母の家に預けられていた。普段の生活しているのは私より自然豊かな町らしく、所謂田舎での遊びに精通していた。一方で昨年、全く初めてだった私はボロボロに負けた。遊びだからこそ悔しかったし、普段の生活では練習できなかったから久しぶりに夏の到来を待ちわびていた。
中2の夏、祖父母の家について最初にやったことが水切りだった。昨年、負けたことが悔しすぎてコソ練のために祖父母の家の裏に小さな川を見つけていた。今年もそれなりの水量と水切りにちょうどよい小石があるようだ。数個投げやすい小石を拾い、投げてみた。幸い体が覚えており、小川の対岸まで小石がはねていった。それから少しして、周りにちょうどいい小石がなくなったころ、ふと私の中の中二病が目を覚ました。跳ねていった小石に向かって、腕を伸ばし手のひらを向けこう言った。
「Bullet's!我が手に戻れ!」
言い訳をするなら、何か起きるとは思っていなかったし最近流行っていた漫画の技でもあったのだ。投げナイフを投擲し自在に回収できる、そんな能力を持ったクールなライバルキャラのセリフを場に適したものに変えたセリフ。あの頃の自分には、そんなキャラクター性がとても刺さった。
だから、最初に手の中に感じた感触を私は生涯忘れないだろう。鳥肌が立つ。怖いような興奮するような奇妙な精神状態。しかして、握った手の中には予想通り水切りに適した小石があった。最初は自分が投げ忘れた小石を持っていただけと考えていた。しかし、もう一度投げてからもう一度同じように唱えるとやはり手の中に小石がある。投げる。唱える。投げる。唱える。何度繰り返しても同じように手の中に小石があった。投げずに周辺に捨てたり、水面に投げ入れたりしても手の中に戻ってきたから、恐らく回収したのだろう。困惑と興奮を感じたのを覚えている。
実際に魔法の存在は知っていたし、憧れて魔法科のある高校・大学に進みたいと言っていた友達もいた。とはいえ、非魔法使いの家系には縁遠いものだったし人並み以上の興味も持っていなかった。
だから、興奮から覚めた私はこの日以降の変化を恐れてしまった。魔法に憧れた彼は滅茶苦茶羨ましく思うだろうし、何なら魔法が原因でいじめられるのではないだろうか。そんな益体のない被害妄想は日に日に増していった。来た当初は元気いっぱいだった私が、その日の夕飯時には随分意気消沈していたようで、日に日に元気がなくなる様子を見て祖父母は随分気を揉んだようだ。数年後の夏に聞いた話である。
最も、この魔法をどうしたらいいかということと魔法が生み出す影響の二つが私の心を随分かき回していたから、あまり伝わっていなかったのだが。
斯くして、私のスーパー被害妄想ネガティブ状態は数日後、彼がこの町に来た事で解決することになる。