「あなたを一言で表すと何ですか?」
俺って何だろう。
FキーとJキーに指を添えたまま、キーボードから指が動かなくなった。
自分が何者で、何になりたくて、そのためにどうしたくて、何がしたいのか。
「あなたを一言で表すと何ですか?」
分からない。俺は俺としか答えられなかった。
俺って、何なんだろう。
その答えが見つからないまま、答えを投げ出すように。
―――布団にダイブした。
ざぶん。と大海原に飛び込んだような気がした。
よっぽど疲れていたのかもしれない。
こぽこぽと水泡が口から漏れるのを感じる。
泳ぐつもりなんてない。ただ胎児のように丸まって沈むだけだ。
深い深い深い水底のさらに奥のもっと遠くへ眠るように潜るように。
―――俺は、深い眠りについた。
……。
…………。
………………?
誰かの話し声が聞こえる。
ゆっくり目を開けてみると、ぬいぐるみが動いていた。
三匹のぬいぐるみは俺が起き上がったのを見ると、一目散に逃げだしてしまった。
……なんだ、あの生き物。ぬいぐるみじゃないのか。
潮のにおいがする。さざなみの音も聞こえる。手の平に砂の感触がある。
振り返れば、大破した船が見えた。
俺はこれに乗って来たのか?
……。
あれ、覚えてない。
俺は、何だったっけ。
ふと、足元の端末に目がいく。
スマートフォン……じゃないな。不思議な薄型端末が光っている。
『塔が鍵になっている。木が真実を握っている』
と書かれている。
どういう意味だ?
わからない。
何が何だか、分からない。
俺は自分の体を見下ろす。
麻で編んだような布を身に纏い、背にはトンカチやフライパンなどの道具が入っていた。
……単語の意味は覚えている。これが「服」とはいえない貧相な格好だということも分かる。しかし、俺がどこから来たのか、まるで思い出せない。
何も分からないまま、しかし足は動く。
こんな大自然を歩くのは久し振りな気がする。
心なしか、体は自然に帰ったことで歓喜しているような気がした。
とりあえず、目の前の階段を上り切った。
『風立ちの丘』
端末にそう記載された。ここの土地名だろうか。
風立つって確か、秋の季語だよな。今は秋なんだろうか。
確かに、日差しは暖かいが風は涼しい。夜は冷えそうだ。
ふらふらとそのまま歩いていくと、焚火と人の姿が見えた。
俺のほうは見ていないと思う。サングラスだから視線が読めない。
彼女は焚火を見つめて、じっとしている。
「あの、すいません」
思い切って声をかけてみた。
「ここって、どこですか?」
「…遭難者か? パルの匂いがしない人は久しぶりだ」
「どんだけ嗅覚に頼って生きてんの?」
っていうか、『パル』って何だ?
俺の知識にはない単語だ。
それに、遭難? 俺は、遭難したんだろうか。
……とても迷っていた、ような気はする。
それが人生だったか、海の上だったのか、もう覚えていない。
俺がそう考えていると、やがて彼女は酷くくたびれたように息を吐いた。
「この島は地獄だ…私と来た者たちはもうこの世にはいない。獰猛なパルに、一人残らず命を奪われた。お前も油断するな」
「地獄なのかこの世なのかハッキリさせてくれよ。とりあえず、俺は生きてるってことでいいんだな?」
それさえも曖昧だった俺に向かって、彼女は静かに頷いた。
「じゃあ、俺はこれからどう生きていけばいい」
「最低限の物資なら、お前にも分けてあげられるが…生き延びるには、お前が力をつける必要がある」
「これ……木の枝じゃんか。こんなんでどうしろと」
俺の頭の中に、サバイバルという単語が浮かんだ。
ここは文明の行き届いていない無人島みたいなもので、その中で生きていかなければいけないということだろうか。
なら、こんなところで、じっとうずくまっているやつが、生き残れるわけがない。
「で、あんたは、休憩中か?」
「…もう疲れた。最初はみんなの墓を作っていたが、数が100を越えた時、すべてを諦めたんだ」
俺は、彼女の手に持っている銃を見た。
「ずいぶん大所帯だったんだな。で、そのパルってのが、そんなに凶悪なのか?」
「ここでは、無知が即座に死に繋がる。パルを手なずけられれば一縷の望みがあるけど、それができた仲間は一人もいなかった…」
ペンは剣よりも強しってことか。
「パルねぇ……。あ、そうだ。こいつで検索できないかな」
俺は先ほどの端末を取り出す。
焚火を眺めていた彼女は、ハッとしたように端末に食いついた。
「おい、それは…古代端末を所持しているのか!?」
「古代端末? これが? どー見てもただのスマホにしか……」
端末を小馬鹿にしようと、コンコンと貰った木の枝で小突くと、ぎゅんと端末の中に木の枝が吸い込まれていった。
『木材×10を入手』
あ、これ木の枝じゃなくて木材らしい。
っていうか、物質を許容量無視で格納できるスマホなんて聞いたことないぞ。
マジか、この端末。オーパーツやん。
「それがあれば、パルスフィアを作れるはずだ。パルスフィアがあれば、パルを捕獲することができる」
「パルスフィア?」
「お前にはパルテイマーの資質がありそうだ」
「まだ端末持ってるだけだぞ。パルテイマーが何か知らんが買い被りすぎだろ」
ツッコミを入れる俺を他所に、彼女は力強く俺に語りかける。
「パルスフィアをクラフトし、パルを捕獲して戦力にしろ。パルテイマーは、パルを捕まえるほどレベルが上がる…」
「ちょ、ま。矢継ぎ早に単語ぶっこんで来るんじゃないよ」
「力をつけるまで、あの塔には近づかないほうが良い。…あそこは凶悪な“レイン密漁団”が支配している。行けば、間違いなく殺される。私の仲間がそうだったように」
「はぁ……まぁ、わかったよ」
よく分からんが、彼女の気持ちは分かった。
熱意、とでも言おうか。
自分が生きた証を残したい、ということだろう。
焚火の傍から歩けなくなった自分の分まで、人間が生きた証を残してほしいと。
彼女の口調は変な箇所が多かった。固い口調かと思ったら急に「けど」とか口語を使い始めるし、パルを「手なずける」のか「捕獲」なのか意味なく言い分けてるし、「所持している」なんて英語の教科書のガバ翻訳くらいでしか出てこない。
「あ、お前ペン所持してる?」なんて普通聞かねぇよ。どういう口調だよ。
まぁでも。
人と話すのが、よほど久し振りだったんだろうな。
だから単語の使い方なんて忘れてるんだ。
それでも必死に、俺に色々と教えてくれた。
「よーわからんが、わかったぜ」
託されたものを胸に、俺は眼下の世界を見下ろす。
丘の上から、広大な世界が広がっていた。
奥に見える塔らしきもの。
巨人の手の平のように広がるドーム状の何か。
まったく整備されていない地面。なのに都合よく拵えられた木の橋。
道を歩く、見たこともないような……いや、どこかで見た覚えのあるような生き物。
「この世界で生きる、か……」
俺は何者なんだったっけ。
『お前にはパルテイマーの資質がありそうだ』
彼女の言葉を思い起こす。
俺がパルテイマーとやらになったのなら、俺が何なのか、答えも出るのだろうか。
「……生きてみるか」
俺が何者なのか、それで分かるかもしれないから。