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帰還

 山を抜けて田畑に掻こう林まで辿り着いたころ、晩冬の寒風が骨身に染みていた。

 この時間帯に限らず民家の数も疎らな山間の土地では外で顔見知りと出会う事も滅多にない。正しく”渡りに船”といった状況なのだが住宅地に入ると勝手が違う。一旦中に入れば皆がほぼ家族同然の知り合いなのでどこで誰が見ているかわからないのだ。素顔時ならばともかくブラスターガイトの姿で歩いているところを街の住人と出くわせば警官を呼ばれてしまう可能性もあるだろう。


 (今は女の子を背負っているんだ。もし職務質問ショクシツを受ければ即座に逮捕される可能性もあるな)

 

 鉄男は通りを過ぎる度に周囲に気を配っていた。今は夏まで地元の人間でも滅多に使わない砂利道を使っているが絶対に大丈夫という確信は持てない。鉄男は武人然とした厳つい外見に反して小心者だったし、その自覚もある。とにkく薄氷を踏む思いで焦らず、人目に注意しながら、かといって遅くならないように心がけた。

 

 「何なんだ。この‥いい事をしているはずなのどこかに後ろめたいしてはならん事をやってしまったような後味の悪さは…」


 鉄男は盛大なため息を吐いた後に自己嫌悪に陥る。心臓に毛の生えていそうな祖父、鹿賀鉄人のはた迷惑なほど向こう見ずなな性格が羨ましいと思う一瞬でもあった。

 鉄男は粉雪のように軽い寒川リョウを背負いながら山の方を見る。家の敷地に入って心が平静さを取り戻すと両手が震えていた。滅多にない命の取り合いに恐怖しているのだ。


 (生殺与奪は武人の常。俺もまだまだ甘いな)


 内心で己に叱咤する。だが今にして思えば凶剣士、鑑与四郎との死闘も夢の中の出来事だったのではないかと錯覚しそうな気持ちになっていた。転じて鑑はそれほどの力量を備えた剣士でもある。次も都合よく追い払えるかどうかなど鉄男と手わかったものではない。


 その日は運よく知り合いの誰にも遭遇することなく鉄男は自宅に戻る事が出来た。念入りに裏口に回り、少女を食卓の椅子に座らせた。

 寒川リョウは未だ気を失ったままだが、呼吸が途絶えた様子はない。心配な点があるとすれば表情というか顔つきが芳しくないというところか。例え意識が無くなった状態でも親の仇を打ち漏らした事を悔やんでいるのかもしれない。鉄男は祖母が使っているカーデガンを被せると彼女に頭を下げてから部屋を出た

  そして次に中にいるはずであろう祖父母に声をかけた。


 「ただいま、祖母ちゃん。いきなりなんだけど怪我人を拾っちゃってさ。客間を使ってもいいかな?」


 「あら、鉄男ちゃん。今帰ったの?」


 案の定、居間には祖母が残っていた。炬燵に入ってテレビを観ている最中だった。

 テーブルの上には老眼鏡とページを開いたまあまクロスワードパズルの雑誌が乗っている。祖父鉄人の姿はなく、両親の姿が見えない事から察するに仕事からまだ帰っていないというところか。

 鉄男はもう一度、部屋の中を探してみたが祖父を見つける事は出来なかった。


 (まさかジジイのヤツ、出かけてンのか?)


 鉄男は祖母に祖父の居場所について尋ねる。荒唐無稽な男だがまがりなりにも鹿賀家の家長でもあるので話を通しておかなければならない。


 「あらあら…鉄男ちゃん、怪我をしているわ」


 祖母は炬燵を出て、鉄男の右腕を取る。いつも穏やかな表情の祖母だったがこの時ばかりは驚いたような顔つきになっていた。鉄男は家族には外で戦った事を隠しておくつもりだったので気まずさを覚える。


 (受けたつもりだったが刃は掠っていたか…)


 鉄男は鑑与四郎の袈裟切りを両腕で受けた止めた時を思い出して舌打ちをする。鉄男の纏う鵺「岩鉄」自慢の装甲を抜かれた事よりも自身の防御の未熟さに腹が立った。


 「鉄男ちゃん、どこか痛むの?」


 鉄男が仏頂面のままでいると祖母は箪笥の上に置いてある救急箱を持ってきてくれていた。鉄男は黙って首を横に振る。


 「祖母ちゃん、今は俺の事より連れてきた女の子の方が大変なんだ。客間に布団を敷くから様子を見ていてくれないか?」


 祖母は救急箱から包帯と傷バンド、消毒液、打ち身に聞く薬などを出してくれる。聞いた話では祖父鉄人は若い頃は決闘の日々に明け暮れ、毎日生傷が絶えなかったという。祖母の手際のよい治療は当時に培った者なのだろう。鉄男は祖父をいつかぶん殴ってやろうと心新たにした。


 「お布団はお祖母ちゃんが敷いておくから鉄男ちゃんは少しでも休んでおきなさい」


 祖母は駆そう言うとけ足で客間に向った。

 鉄男は祖母に向って頭を下げると右の掌と左腕の切り傷を水で洗う。傷口に水が入って少しだけ痛い思いをしたが、五体をッ研磨する事により文字通りの鋼の肉体を作り上げる鹿賀流空手の継承者たるものにとっては…。


 「イダッッ‼‼…痛いモンは痛いよ」…らしい。


 それから約三十分後、無事客間の布団で寒川リョウは規則正しい寝息を立てていた。

 鉄男は祖母にリョウの事を任せて森川姫子とシュザンヌ・ヴァンホーテンの宿泊先である名神めいしん荘という旅館に向った。


 (昔から在るのは知っていたけど”連れ込み”旅館だと思っていたんだよな…)


 鉄男はどことなく昭和感漂う木造建築を前に考え込む。

 ほんの一週間前、姫子とシュザンヌに出会った時にここを紹介された時はどう答えたものかと悩んでしまったほどだ。しかし、その失礼な妄想も旅館の主人から直に”健全な宿泊施設”である事を説明されて氷解した。


 (さっき電話をかけた時には誰も出なかったけど…今はいるかな?)


 鉄男は一瞬だけ”天戒衆”の連絡員である田丸に電話をしようと思ったがシュザンヌから「田丸さんは例外として天戒衆は信用のおけない組織なので何かあった時はシュザンヌたちを頼れ」と言われていたのを思い出し、あえて連絡は取らなかったのだ。

 そして寒川リョウの持つただならぬ雰囲気と思いつめたような瞳の色はやはり忘れがたい。放っておけば死の際まで戦うつもりだったろう。鉄男は彼女の悲壮感溢れる姿に復讐鬼のそれを見ていた。


 「すいません。この前、森川姫子さんとシュザンヌ。ヴァンホーテンさんのお世話になった鹿賀鉄男というものですが…今お二人はここにおられますか?」


 旅館に入ってすぐの受付で鉄男は二人の所在を尋ねた。

 二人は先日、任務で追っていた”鵺”を倒した後に本拠地である音乃島に戻るまで暇を持て余しているような話をしていたが罰の”仕事”で出かけている可能性も否定できない。

 受付所にいた中年の女性は愛想よく「今呼びに行きますね」と言って階段を上がって行った。


 鉄男は目の前にある椅子には座らずに立って待つことにした。

 それから十分と立たないうちに階段からジャージ姿のシュザンヌが姿を現した。


 (あの凛々しい姫騎士みたいなスーちゃん先輩が田舎のヤンキーみたいな格好をしている。まあ。これはこれで似合うような気もするが…)


 鉄男は銀髪の凛々しいくも可憐な風貌と田舎のヤンキーが好んで身に着けるジャージ姿のミスマッチさ加減に絶句する。要するに似合って入るが場違い感が半端では無かった。


 「‼」


 一方シュザンヌは鉄男の顔を見るなり驚きを隠せない。灰がかった青い瞳をこれでもかというほど大きく見開いて彼の顔をじっと見ていた。


 「鉄男…ッ‼そうしてここに…。私はてっきり田丸さんが尋ねてきたとばかり」


 真珠のようにきめ細かく白い肌が一瞬にして種に染まる。シュザンヌは武人然とした豪胆さをを持ち、さらに男女の心の機微に無頓着な性格だが人並みの羞恥心を持ち合わせている年頃の乙女でもあるのだ。


 「に、似合っていますよ…。この前、マルフクに行った時に買っていたヤツですね…」


 「皆まで言うな。クソッ‼大体アポも取らずに訪ねてきたお前が悪いのだからな。私とて行住坐臥、”出来る女”を演じてるわけではない‼」


 顔どころか耳まで赤くしているあたり余程のイレギュラーな事態なのだろう。鉄男は何度も心の中で謝っていた。


 「すいません…」


 精巧な西洋人形ビスクドールの如き美貌が今は目を三角にして怒っている。すっかり気圧されてしまった鉄男は平身低頭で従うしかない。


 「私は着替えて来るから君は玄関ロビーで待っていたまえ」


 シュザンヌは足早に自分の部屋に戻ってしまった。鉄男怒り心頭のシュザンヌににもうしわけない気持ちでいっぱいになりながら一階ロビーの待合室で彼女らを待つことにした。

 

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