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師弟の再会

 世良小町と寒川リョウの再会は険悪な雰囲気を既に醸し出していた。事の発端は師弟の喧嘩別れであり、小町の歯に衣を着せない物言いに寮が腹を立てたという話である。


 「小町先生…」


 リョウの端正な顔立ちに険しさが現れる。今さっきまでの明るさが一気に失われてしまった。


「…」


 リョウは反射的に久子の後ろに隠れようとする。厳しいだけの師匠よりも温和で優しい鹿賀久子の方が頼りがいがあるとリョウは感じていた。


 「ぬう…。まるで私が悪人のようではないか。最近の若者はこれだからいかん、どう思う、香津美君?」


 世良小町は弟子に掌を返したような応対を去れ、露骨に気分を害している。

 天戒衆において天地ほどの上下関係にある田丸香津美は愛想笑いを浮かべるしかない。


 「私は鉄男ちゃんのお祖母ちゃんの鹿賀久子と申します。よろしければお名前を聞かせてもらえますか?」


 久子は温和かつ毅然とした態度で小町に接する。


 すす…っ。


 女傑相手にも引けを取らない久子にリョウはすり寄った。


 (同じ年配の方でもこれほど人格というものに差が出るものなのか。ヒメ、どう思う?)


 (私はお婆ちゃんって呼ばれても良いから鉄男君ンおお祖母ちゃんみたいな人になりたいな…)


 シュザンヌと姫子は二人の老女の行動を見て冷静に見分する。

 愛弟子に敵意の籠った視線を当てられた小町の方が明らかに分が悪い。


 「コホン、失礼。私はリョウの師匠兼保護者の世良小町というものだ」


 小町は咳払いをした後にずいと前に出る。


 「ちなみにイケイケのギャルのような姿をしているが年齢は八十歳。過分の配慮をしていただきたい」


 さらに余計な年齢マウントを取りに来る。


 (この人、…本当に遠慮という言葉を知らないんだ。はあ…)


 師匠の大人げのない態度にリョウはいたたまれない気持ちになっていた。


 「私はこれからお夕飯の時間まで炬燵で寛ぐつもりですが世良さんも一緒にどうですか?」


 久子はあくまで温和な態度を崩さない。


 「ふん」


 十二歳年上の小町は久子の年長者に相応しい精神的な余裕が気に食わなかった。


 「そこまで言われては仕方ない。世話になってやるか。おい、香津美君。ついてきたまえ」


 小町は胸を反らしながら香津美を伴って部屋に入る。


 「世良さん。どうぞ、お先に」


 「ふん。邪魔するぞ」


 老女同士の意地の張り合いという緊張した空気の中、シュザンヌたちは再び炬燵を囲む事になった。


 「おい、スーちゃんや。ウチのカミさんと世良さんの間に何があった?」


 シュザンヌと姫子が炬燵に入るなり、部屋に残っていた鉄人が耳打ちする。六十八歳の現役空手家と自称するだけあって鹿賀鉄人は戦の匂いに敏感である。


 「それがリョウの所有権を巡って張り合いになってしまって…」


 見るからに勝気な性格の世良小町はともかく落ち着いた淑女然とした鹿賀久子の姿から居間の状況を想像するのは難しい。無論、身内以外の話ではあるが…。


 「ああ、なるほど。ウチの母さんはそういうのに厳しいからなあ…。若い頃は・・・いや何でもないぞ。ははは」


 久子の過去をうっかり話しそうになった鉄人は妻の刺々しい視線を受けて言葉を詰まらせる。万夫不当の武力を持つ鹿賀鉄人にも逆らえない人間というものが存在するのだ。


 「おしゃべりな男の人は嫌われますよ、お父さん。おほほほ…」

 

 久子の口は笑っているが目は全く笑っていなかった。


 「時にリョウ。氷龍を見せてもらえないか?」


 「⁉」


 席についてから程無くすると世良小町はリョウに氷龍の所在を尋ねる。

 二人が喧嘩別れする原因となったのは氷龍の所有権が原因なのだから当然のようにリョウは難色を示す。

 時を経て、現実を思い知らされてもリョウの気持ちは変わらなかった。


 「嫌です。お断りします」


 リョウは正面から小町の提案を切って落とした。近くに久子がいる為にいつもよりも明確な意思表示が出来たリョウの心情をいち早く見抜いた小町は面白く無さそうな顔をしている。

 普段のリョウならばなら黙って退席していただろう。


 「そう邪険にするな。外で鉄男君と話をした時に氷龍の所有権の一切はお前に一任するという条件で動向を許されたのだ。別件だ、冷泉院一門の尊厳に関わる問題でもある」


 小町の顔にいつもとは違った厳しさが宿る。


 「どうぞ…」


 その意図を理解したのか定かではないが”冷泉院一門”と聞いては黙っているわっけにもいかずリョウはしぶしぶと氷龍の収まった鞘袋小町に渡す。


 「ふう。見た感じはこれといって…ふむむっ⁉」


 鞘を装飾する龍の姿が金細工に変わっていた。否、鞘自体が金色に光り輝いていたのだ。先ほどまで布団に入りながら何度か鞘を眺めていたリョウ自身も、変容に驚きを隠せない。


 「あの…、これは…⁉」「想定される事態の中でもこれは最悪だな。…氷龍の封印が解けかけている…」


 小町は”南無三”と呟いてから氷龍の鞘を手にかける。


 スラリ…。金細工の施された鞘から抜き放たれた刃は凍てついていた。

 暖房器具によって温められていたはずの部屋の中に木枯らしが吹く。古の伝承通りの氷龍だった。


 「見ての通りだ。香津美君、シュザンヌ君、姫子君。先ほどイオンの中で”院”が顕現したのは偶然ではない。氷龍に施された封印が解除されようとしている前兆だ」


 氷龍の所有者である寒川リョウも衝撃の事実に戦慄を禁じ得ない。

 リョウが14歳の時(今は17歳)氷龍を鞘から抜く解放の儀式を終えた後に父親から聞かされた話が真実なら氷龍の覚醒は災厄そのもであり、数多くの犠牲者を生み出す事になるだろう。

 そして現時点ではリョウはこの宝刀を鞘から抜くことぐらいしか出来ない。

 氷龍の権能の一部を解放するにはさらなる修行が必要となる。


 「どうにかする事…はできないんですか?」


 世良小町は首を横に振る。


 「不可能だな。前例が無い。まあ、いざという時は私がお前を殺してカタをつけてやるから安心しろ」


 りん、――。


 小町はどこからともなく柄に五十鈴のついた日本刀を出現させる。彼女の持つ祭器にして鵺たる朱酉あけすだ。


 「そんな‥」


 「悪いな。これが鵺使いの巷というものだ」


 小町は至極当然とばかりに言い放つ。その言葉の音調にいつもの明るさや温かみといったものは一切感じられなかった。


 ――、とんっ。


 「むうッ⁉」


 何の前触れもなくそこに、世良小町の背後に立っていた鹿賀鉄人が彼女の手首を軽く叩く。ただそれだけの事で小町の背筋に電撃が走り、身動きが取れなくなってしまった。


 からん。


 同時に赤塗りの鞘に収まった日本刀が地面に落ちた。鉄人は刀を拾おうとしたが触れる前に朧月のように消えてしまった。


 「母さん、これでよいかのう?」


 鉄人は妻の久子の顔を見ながら問いかける。久子はいつものように落ち着いた様子で頷いていた。

 孫である鉄男がこの場にいれば「今の祖母ちゃんは頭のネジが二、三本外れて切れているような状態だ」と言っただろう。


 「小町さん。私にはあなた方の事情というものを察する事はできませんが、もう少し言い方というものがあるのではないですか?」


 「…」


 己が師によって衝撃の事実を突きつけられて打ちひしがれる寒川リョウの頭を鹿賀久子は彼女の心の負担を少しでも軽減してやろうと撫でていた。


 「いっそ縄で縛っておこうか?」


 鉄人は半ば怯えながら久子に訊く。


 「そこまではしなくとも結構です」「久子さん、ご忠告悼み要る。齢八十にして他人からものを教わるとはな。いやあ人生とは奥深い」


 小町はそう言いながら久子と鉄人から距離を取って田丸香津美の陰に隠れる。

 身体の痺れはすぐに収まったが、右手首の先は感覚に乏しくまだ動かせそうにない。

 問題はいつそれをやられたか小町自身に自覚がないという事だ。


 「おわかりになっていただければ結構です。リョウちゃん、もう大丈夫よ」


 久子は聖母のごとき微笑をたたえながらリョウを抱き寄せる。


 「ありがとう。お祖母ちゃん…」


 リョウは涙をこぼしながら久子に寄り添った。


 「リョウ。貴様、よそのババアに抱きつきおって‼何というふしだらな娘だ‼」


 小町は思わず憤慨する。彼女とリョウと出会って数年が経過しているが少なくとも今の久子のように頼られた経験は一度も無い。


 「いやアンタの場合性格の問題だろう」


 「ぬうッ‼若造、何かぬかしたか⁉」


 小町は返す刀で鉄人を睨みつける。自分がきつい性格の持ち主である事くらい彼女にだって自覚はあるのだ。

 鉄人は二人の迫力に気圧されて炬燵から出てしまった。


 「リョウちゃんは短い間に悲しい事がたくさんあって傷ついているんです。もう少し優しく接してあげてくれませんか?」


 久子はあくまでリョウの心情に寄りそう姿勢を崩さない。

 リョウもまた久子の優しさに触れたせいで両親と兄との温かい記憶を思い起こし涙を流す。


 「鹿賀夫人の言う事ももっともだがな。我々は鵺使いだ。時として一個人の感傷よりも鵺使いとしての責務を優先しなければならない時がある。心苦しい話だが、居間がその時なのだ」


 小町とてリョウの気持ちをないがしろにするつもりはない。だが父祖より受け継いだ「一般人を怪異の脅威から守る」という信念を軽んずるわけには行かなかった。


 「リョウよ、仮に氷龍が復活して鹿賀夫人の見に禍がふりかかった時にどうするつもりだ?――今訊きたい事はそれだけだ」


 小町は真剣な表情で問いかける。


 「その時は、自分の意志で自分の命を断ちます。私はもう目の前で大切な誰かをうしないたくはない」


 リョウもまた真摯な眼差しで小町に答える。これは小町のもとを飛び出した時に結論付けていた答えだった。だがその時とは一つだけ違う点がある。

 当初は己の命と引き換えにしてでもと考えていたが、今は命を賭して宿願を果たすという思いがあった。


 (全く誰に似たのやら…)


 小町は覚悟を決めたリョウを見ながら懐かしい顔を思い出す。

 あおのうちの一人はリョウの祖父、寒川雷蔵。そしてもう一人は…。


 (いや、もう思い出すまい。それがあいつとの約束だ)


 そう心で念じて嘆息する。世良小町の人生とは一言で語り尽せるほど容易なものではない。彼女の飄々とした風貌にはいくつもの闇が隠されていた。


 「そうか。そこまでの覚悟があるならばもはや何も言うまい」


 「はい。私は私の復讐を、鹿賀さんに委ねます。その上で氷龍の覚醒が収まらないなら…」


 リョウは改めて一呼吸置く。


 「私は、氷龍の継承者として自分の意志で命を断ちます」


 リョウは自分の胸に手を置いて鼓動を確かめる。彼女の心臓は確かに動いていた。


 もしも運命を変える事が出来ないなら、せめて自分の意志で焼く際を最小限に止める。それが冷現代の氷龍の所持者として生まれた己の宿命さだめなのだと己に言い聞かせていた。


 「好きにしろ。おい、香津美君、灰皿」


 小町は呆れた様子で、されそ内心では満足しながらポケットから煙草を取り出した。

 そしてライターで先っぽに火をつける。ふうと煙を吐いた後、唖然とする田丸克Mに向って手を出した。


 「あ、あの…。小町さん?せめて鹿賀さんの許可を取ってからにしませんか…ひいっ⁉」


 勝手に煙を吹かす小町を止めようとした田丸香津美は一睨みで黙らされてしまった。


 その後、久子が用意してくれたガラス製の灰皿のおかげで丸く収まるはずだったが今度はリョウが小町の傍若無人な振る舞いに説教を始める。



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