来訪者
「鹿賀君っ‼姫ちゃんに、スーちゃん‼…捜したわよ…はあ」
田丸香津美は鉄男たちを捜していたせいか呼吸も荒く疲れた風だった。鉄男が後で聞いた話になるがこの時、田丸は複数のアクシデントに見舞われて疲労が限界近くに達していたらしい。
「カツお姉ちゃん、そんなに急いでどうしたの?」
「どうしたのって…さっき旅館に戻ったら”ちょっと鉄男の家に行って来る”って手紙を残していなくなってるから心配していたのよ…。こんな人の多いところ私だって来ないし」
香津美は人気のない通りを見ながら言う。鉄男の故郷はお世辞にも栄えているとは言えないが香津美たちにとっては”都会”に相当するらしい。実際に”都会”という単語を聞く度に鉄男は心を深く抉られる想いをしていた。
「安心しろ、田丸さん。私たちには鉄男がついている」
シュザンヌと自信満々に答える。
ざくざくっ‼鉄男の精神に100のダメージ‼
「そうだよ、カツお姉ちゃん。都会っ子の鉄男君がいるから大丈夫だよ‼」
姫子は信頼に満ちた瞳を鉄男に向ける。
(お二人の純粋な眼差しが痛い…)鉄
男は良心の呵責を覚え、既にいたたまれない心地になっていた。
「まあ鉄男君がいるから二人が都会の悪い人に騙されたりはしないとは思うんだけどね…。向こうで優作たちが御所河原先輩にとんでもない迷惑をかけてね…。すっごいキレ具合で宥めるのが大変だったのよー」
そう言って田丸はまるで奈落の底に突き落とされたかのうようなため息を吐いた。御所河原育美’いくみ)は田丸の三つ年上の天戒衆の隊員で鉄男と面識もある。初見では非常にのんびりとした気質で余程の事がない限りは感情を外には出さない人物と鉄男は考えていた。
「優作のヤツは…近所付き合いだという事を忘れているな」
シュザンヌも呆れた様子で同意する。近年においては鵺使いの総数が非常に少ないので天戒衆の構成員も自然と音乃島出身の人間が多くなる。つまり仲たがいが発生すればそのまま日常の人間関係に反映されてしまうのだ。
「ユウちゃんへのお説教は置いておくとして…そっちで何かあったの?」
事後の人間関係の悪化(御所河原育美と松本勇作は家族ぐるみで仲が悪い)を考えて気落ちしている田丸の頭をなでなでしながら姫子が尋ねる。
「んー。その話なんだけどヒメ、スーちゃん、鹿賀君。…えーと、うわっ!難しいなー。…こうで。…こう、と。…この娘、知らない?」
他或る香津美は悪戦苦闘しながら自身のスマートフォンから目的の画像を映し出した。アルバムに辿り着くまで二回ほど失敗している。
「これは…リョウちゃん⁉」
スマートフォンの液晶画面に映し出されたのは紛れもなく寒川リョウだった。髪型は今よりも長く、肩のあたりまで伸ばしている。
(寒川さんはこんな笑顔をするんだ‥)
鉄男が何よりも驚かされたのは表情の明るさだった。それこそ写真の寒川リョウは大輪の花が咲いたような笑顔を浮かべている。鉄男は鑑への怒りと寒川リョウを襲った悲しいの深さに心を打たれた。
「ええッ⁉ヒメ、もしかして寒川さん知ってるの!?いつもの勘違いじゃなくて⁉」
「ぷっ‼」
「くくっ‼」
田丸の話を聞いた鉄男とシュザンヌは同時に吹き出してしまった。
「”いつも”じゃないもん!”たまに”だもん!」
姫子は赤面しながら断固抗議した。反面、シュザンヌはツボに入ったらしく腹を抱えて爆笑している。なお鉄男は涙目になって抗議している姫子に配慮して笑いを堪えていた。
「あーごめんごめん。今度、ウチに帰ったらアイスおごってあげるからさー。この娘、寒川リョウちゃんに捜索願が出ていてさ。それでもしも三人がどこかで見かけたら教えてって持ってたんだけどドンピシャみたいワケだったね」
田丸の口から”ドンピシャ”と時代錯誤な単語が飛び出る。彼女の年齢は二十代前半との事だったが認識を改めなければいけないのかもしれに。鉄男は驚きを顔に出さないように心掛けた。
「何か気のせいかもしんないけど、生暖かい視線を感じるな―。とにかく見つかって良かったよ、寒川リョウちゃん。何せ彼女を探しているのは三連星の鵺使いの大先輩なのよね‥。はあ、本音を言うと複雑だけど」
田丸は安心しながらも愚痴をこぼす。三連星とは最高位の鵺使いの事で現在は天戒衆の最高責任者、幹部を含めて八人存在する。若手の実力者として名を馳せる田丸香津美だが相手が三連星の鵺使いともなれば話がちがってくるというものだ。
「田丸さん。ここだけの話になるが三連星の御大尽は寒川さんにどのような用事があるのだ?」
シュザンヌは鉄男の家でリョウが”氷龍”を手放す事を拒絶する姿を思い出しながら田丸に尋ねる。ここでの田丸はあくまで組織の人間であり、私人ではない。上層部に命令されれば本人の意志とは関係なく氷龍の譲渡を訴えて来るだろう。
もし例えそうなったとしてもシュザンヌと姫子はリョウに味方するつもりだった。
「ん?スーちゃん、何か深刻そうな顔をしているね。ひょっとしなくてもワケあり?」
「寒川さんは氷龍は両親の形見なので天戒衆に渡すつもりはないらしい。正直、私は彼女の味方になってやりたい」
シュザンヌの苦悩する姿を見た田丸香津美は思わず困惑する。まるで自分がリョウから親の形見を取り上げようとしている悪役になった心境だった。無論、田丸香津美にその意図はないし、仮に上層部から命令を受けても従うつもりはなかった。
「あははは…。何か私、知らぬ間に悪役になってない?それは確かに組織としては”氷龍”欲しいわよ?でもね、元の持ち主の冷泉院宗家が途絶えてしまっているからね。多分、当代は寒川さん以外は”氷龍”使えないと思うわよ?」
田丸は手をひらひらさせながら、いつものように屈託のない笑顔を見せて二人を安心させようとする。この場合、シュザンヌたちが既にリョウと知り合っていた事はみしろ好都合だった。
「あの表情は露骨に怪しいね。カツお姉ちゃんが腹黒い事を企んでいる時の表情だよ」
姫子はわざと聞こえるように耳打ちをする。姫子が香津美に言いくるめられてお年玉を巻き上げられた回数はゆうに十を超える。
「わかっているさ、ヒメ。決して油断するなよ、鉄男?女は…騙す生き物だ」
「は、はいっ‼」
シュザンヌに凄まれて鉄男は反射的に返事をしてしまった。有無を言わさぬとはこの事だろう。
(ああ…これって昔の悪事の蓄積というか。”因果応報”ってヤツなんだな)
そう考えた途端に香津美はガクンと頭を下げる。
「はいはい、どうせ私は腹黒い女ですよ。…それはともかく今回は寒川さんの保護者に捜索を依頼されているのよね。知っているかもしれないけど彼女、その人以外に身寄りいないのよ」
寒川リョウを取り巻く現状を鉄男たちも全て把握しているわけではない。鑑与四郎という親の仇がいて、氷龍という稀有な力を持った鵺使いであることくらいだ。
「もし可能ならばその人物からも話を聞かせてもらいたいな。寒川さんは今、怪我をしていて心身ともに健全な状態ではない」
シュザンヌは沈痛な面持ちでリョウの状態について打ち明ける。
仇敵に鑑に為す術もなく敗れたリョウに無理強いはさせられない。場合によってリョウは傷ついた身体を引き摺って鉄男の家を出て行ってしまうだろう。いくら出会ったばかりとはいえ彼女が無念の死を遂げるのは忍びないというものだ。
「はっ⁉怪我してるの、寒川さん⁉何で何で⁉」
寒川リョウの負傷は想定外だったらしく田丸香津美はかなり驚いている。
「実はその鉄男の話では…我々に会うよりも先に彼女の仇、鑑与四郎と戦ったらしい⁉」
「いいいいいいいッッ‼‼‼‼…って‼‼鑑与四郎って賞金首にもなっている危険人物よ⁉もしも出くわすような事になれば逃げるようにって言いに来たのにいいい‼‼」
田丸香津美は慌てふためき、顔面蒼白になっている。
(あの鼻につく死臭…やはりあの男はそういう人種か。放っておくわけには行かんな)
鉄男は鑑の纏う底知れぬ”凶”の気を思い出しながら得心した。