散策
「鉄男、せっかくお客様が泊って行かれるというのだ。今日の晩飯は奮発せんといかんぞ?そうだな…すき焼きとかどうだ」
(それはジジイが食いたいものだろう…)
鉄男は数日前、家族の前で「すき焼きが食べたい」と駄々をこねていた祖父の姿を思い出しながらため息をつく。最近は物価が高く、鹿賀家の懐事情も思わしくない為に贅沢は控えていたのだ。
そもそもどんな必要性があるかはさておき体型を気にしている姫子とシュザンヌが肉と砂糖を牛脂をふんだんに使っているすき焼きを喜ぶはずもない。
「すき焼きなんて駄目に決まってるだろ。今日は焼き魚か、刺身だって…」
鉄男は同意を得ようと姫子たちを見た。
「すき焼きか…。昨年の誕生日(シュザンヌの誕生日は12月25日)以来食べていないな…」
シュザンヌは口内で涎をジュルルと鳴らしながら夢見心地の顔つきになっていた。
「お誕生日でもないのに好きっ焼きが食べられるなんてやっぱろと買いは違うわねえ」
姫子もまた今まで見た事がないくらい嬉しそうな顔をしている。
「…」
正直な話、鉄男には彼女らに「今日はすき焼きじゃないよ」と告げる勇気は無い。
鉄人はしてやったとばかりにニヤケ顔になっていた。
「祖父ちゃん。肉代、半分出してくれる?」
鉄男は鉄人に向って右手を出した。祖父の鉄人はこの年齢(68歳)になっても人並みに肉を食べるので鉄男のお小遣いだけでは相当の出費となる。それ以前に一矢報いなければ立つ瀬がないという心境でもあった。
「いくらだ?」
祖父に言われて鉄男は冷蔵庫の中身を考えながら料理にかかる簡単な材料費を計算する。鹿賀家において家事の要である鉄男は台所事情を全て把握していた。
(野菜は…ある・豆腐と白滝は開封済みのがあるけど凌駕心配だな。で肝心な肉の種類だが豚肉にすればジジイが文句を言って来るだろう。牛肉、国産は高価だから無理、――当然アメリカ産の牛肉だな。合計五千円くらいか)
一通りの計算を終えてから鉄男は資金を要求する。
「二千円で良いぜ」
鉄人はしたり顔でポケットから財布を取り出す。財布の絵柄は一体いつ手に入れた物かは知らないが「超ドラゴンボールZ」のキャラグッズだった。
「牛肉は当然の事、”締め”のうどんも忘れるなよ?」
鉄男はなるべく祖父と目を合わせないようにしながら部屋の出入り口に向う。特に鼻歌を歌って上機嫌なところが気に食わなかったのだ。
鉄男は姫子とシュザンヌに気を遣って怒りを抑えていたが普段なら壮絶なケンカになっていただろう。
「それじゃあ姫子先輩、スーちゃん先輩。俺はちょっと買い出しに行って来るので居間で待っていてもらえますか?」
「買い物だと?」
「ねえ、鉄男君、買い物ってどこに行くの?もしかしてマルフクさん?」
姫子とシュザンヌは期待に目を輝かせながら鉄男の返答を待っている。
「ええ、まあ…。マルフクの中にあるイオンに行くつもりなんですけどね‥って‼」
鉄男は行く先を告げた事に後悔する。シュザンヌと姫子も電光石火の速さで外出用の外套を羽織っていたのだ。
「滞在中にマルフクに行けるとは何という僥倖。このシュザンヌ・ヴァンホーテン、喜んで同道させてもらおう」
「マルフクさんに行けるなんて私も頑張って外に出た甲斐があったものだよ=。ねえ、鉄男君。お洋服売り場とダイソーさんにも行っていいよね?」
確かにマルフク百貨店の中にはダイソーとイオン、携帯ショップのテナントなどが入っている。ただ家の中にはリョウがいるので買い物は早くに済ませる算段が鉄男にはあった。
「留守なら安心しろ、鉄男。この俺がしっかり守ってやるからな」
「ああ。任せたよ、祖父ちゃん。俺たちが留守の間、田丸さんっていう女性が来たら買い物に出かけたっておしえてあげてくれ」
「応ともさ。すぐにLINEしてやるから安心しろ」
鉄人はスマートフォンの液晶画面を眺めながら笑っていた。鉄人は最近知人に勧められてLINEを使い始めたが家族の中では鉄男以外はメールを打つことが出来ないので滅多に使う機会はない。
いつも何かの機会を見つけてはLINEを使ってやろうと張り手切っていた。
(本当に大丈夫かよ…)
祖父のいつもながらのマイペース加減に鉄男は深いため息をついた。その後、鉄男はがっくりと肩を落としながら玄関に向かう。
シュザンヌと姫子は当初の寒川リョウの護衛という目的を覚えているかどうかさえ怪しい。
そしてマルフク百貨店に到着。
一世代前の古めかしい総合デパートを前に姫子とシュザンヌは期待に目を輝かせていた。
「まさか帰る前にもう一度、マルフクさんに来る事になるなんてねー」
姫子は一階の色褪せた洋服売り場を楽しそうに眺めている。シュザンヌもワゴンに入っている年季の入った洋服を手に取っていた。
鉄男がチラ見してもどの商品も売れ残ったそれにしか見えない。街から少し離れた比較的新しい商業施設に出来たユニクロの方がまだマシだろう。
「流石は都会。これほどの品ぞろえは音の島では期待できないな」
見方を変えれば異国のお金持ちの令嬢にも見えるシュザンヌが鉄男の住む町を都会呼ばわりする度に心が痛む。
(ウィンドウショッピングにつき合うしかないんだよな…)
鉄男は覚悟を決めて小一時間ほどシュザンヌと姫子の買い物につき合うことにした。
「すまないな、鉄男」
シュザンヌは真珠の如き白い肌を朱に染めながらうつむきがちに呟く。両手に紙製のバッグを持った鉄男は苦笑いをしながら相槌を打った。
「ごめんねー、鉄男君。私たちお財布、旅館に老いて来ちゃったから。後でお代金、返すからねー」
姫子もまた恥ずかしそうにしながら頭を下げる。結局自らの欲望に屈した彼女たちは結構な買い物をしてしまったのだ。
「でも買い物はこれで勘弁してくださいね。これ以上、買ったらお肉が買えなくなっちゅから」
鉄男たちはいそいそと地下一階に向かう為にエスカレーターを目指す。その道中、予想通りというかエスカレーターに乗り慣れていない二人は危うく怪我一歩手前の状態で食品売り場に到着する。
「いやー怖かったねー。エレベーター」
姫子は額に浮いた汗を拭きながらエスカレーターを見ている。降りるタイミングがわからなくて立往生してしまったのだ。
鉄男がおろおろする姫子を持ち上げて何とか降りる事に成功したのだが周囲から悪目立ちしてしまったのである。
「都会人にしてみれば便利な乗り物なのかもしれないが我々文明に取り残された田舎の人間にしてみれば脅威以外の何物でも無いな、エレベーターというヤツは」
シュザンヌは階下にいる鉄男の手を取って三段抜かしくらいで飛び降りた。何事かと訝しむ警備員の目が痛い。
「何かと迷惑をかけるな、鉄男。これも偏に不慣れゆえの無作法だ。許して欲しい」
鉄男は苦笑いをしながら食品売り場に向った。ひたり。その時、鉄男の中に居座る”岩鉄”が異変を察知する。即ち、鵺の襲来だった。
鉄男はすぐさまこれをシュザンヌに伝えようとするがいうよりも早くシュザンヌは豪華な装飾を施された細身の剣を出していた。
流石は本職の「鵺使い」といったところだろうかシュザンヌに続いて姫子も”白檀”を召喚している。天女の如き羽衣がその象徴だった。
「せっかくの買い物を邪魔するとは…」
「本当。TPOとか考えてよね」
姫子とシュザンヌは私怨たっぷりに呟く。二人はどうあっても買い物を優先したいらしい。




