奇縁
「小町先生ってリョウちゃんの鵺使いの先生なの?」
姫子は身を乗り出して尋ねる。勢い余って少しだけ胸が揺れてしまった。
(ちょっと動いただけで揺れるんだ…)
相手が同性ながら寒川リョウは姫子に羨望の眼差しを向ける。
鵺使いはほとんどの場合が世襲という形で祭器と”鵺使い”としての知識が引き継がれる事が多い。シュザンヌは天戒衆の一員である父親から、姫子は先代の”白檀”の使い手である祖母から教わっていた。
「はい。世良小町先生というのは私のお祖父さんの先生で、父と兄が無くなった後にお世話になっていた人です」
「世良小町…。父から聞いた事がある名前だな」
寒川リョウに剣術を教えていた世良小町とは鵺使いたちの武術の源流である冷泉疾風流の使い手であり、天戒衆においては現役を退いているが今でも強者として名の挙がる人物である。
「もしもそうだとすれば寒川さんの持つ鵺は…封神十刀の一振り”北嶺大蛇守護神氷龍”か…」
シュザンヌの表情が一瞬、険しいものに変わる。
封神十刀とは元々天戒衆の管理する祭器であり現在は長老会の首魁である松本家の宝刀”天津風朱雀丸”とその分家筋である雷霆院家の宝刀”地雷切り”以外は失われて久しい存在となっていた。
これが天戒衆の正規隊員である田丸香津美の耳に入れば氷龍の回収に奔走する事になるだろう。親の形見とも言うべき”氷龍”を今のリョウから取り上げるなどシュザンヌに出来ようはずもない、
(やはり田丸さんに何も告げずに出てきたのは正解か…)
普段から何かと世話になっている田丸香津美に心の中ですまないと思いながらシュザンヌは今後リョウとどのような人間関係を築くべきかについて考えていた。
「ええ、その通りです。言い伝えでは寒川家は室町時代から”氷龍”を祭っていたと父から聞いていました…。シュザンヌさんはお詳しいのですね」
リョウは右手を姫子に預けて鵺による治療を受けていた。姫子の鵺”白檀”は小枝を思わせる白い手でリョウの怪我をしている箇所を抑える。
”白檀”の放つ光に包まれるとリョウの身体から痛みがゆっくりと引いて行くような気がした。いつの間にか苦痛から解放されたリョウの顔から険しさのようなものが消えている。
「すごい…。これが姫子さんの”鵺”の能力なんですか?」
リョウは感動のあまり姫子の両手で掴んでしまった。
「ま、まあね。これ以外に特技とよべるものはないから…」
珍しく他人から褒められたにも関わらず姫子の表情は精彩に欠けている。
というのも”白檀”を使用された人間は最初は誰でも手放しで喜んでくれるのだが、その効用があくまで一時的なものでしかないという事に気がつくと落胆してしまう傾向にあったからだ。
「たまにみんなから治療しなくてもいいですって言われちゃうのよね…。トホホホ…」
姫子は以前に仲間から治療を拒否された事を思い出してため息をついてしまった。
「あの…姫子さん。私、何か失礼な事をしてしまいましたか?」
姫子の落ち込んだ様子に気がついたリョウは思わす理由を尋ねる。
「違う違う。これは私が勝手に落ち込んでるだけ。リョウちゃんは悪くないから」
姫子は苦笑しながら首を横に振った。
「時に寒川さん。貴女は御父上と先生から”天戒衆”という組織についてどのように聞かされていたのか教えて欲しいのだが?」
シュザンヌは姫子とリョウの会話が一旦終わったところを見計らってから尋ねる。
「えっ…」
想像通りと言うべきかリョウの顔色が急に思わしくないものと為る。シュザンヌが事前に得ていた情報の通り、寒川家は明治時代に入って間も無く”天戒衆”とは袂を分かっていたのだ。どう考えても良くは言われていないだろう。
「みなさんはもしかして天戒衆の型なんですか?」
リョウはやや狼狽したような顔つきになっていた。それまで酔い雰囲気で話していた姫子はどう答えて良いものかと困惑している。逆に話をする前から批判される事をある程度覚悟をしていたシュザンヌは動じることなく話を進めた。
「末端ではあるが私と姫子は天戒衆の本拠地”音乃島”から来た人間だ。この鉄男は先にも話した通りついこの間までこちらの世界とは何の関わりも持っていなかった人間だから信用してやって欲しい」
リョウは反射的に布団の隣に置いてあった”氷龍”を抱き寄せ、シュザンヌ太刀と距離を取った。その表情は心なしか以前よりも冷たいものに変わっている。
「みなさんは私から”氷龍”を取り上げようとしているのですか?」
リョウはシュザンヌに敵意を含んだ視線を向ける。
彼女はシュザンヌの想像の通りに父親から天戒衆についてはあまりよい話は聞かされていなかった。
即ち全盛期までの天戒衆の”強硬な手段で怪異を調伏し、一般人を犠牲にする事も厭わない組織”とリョウは記憶している。
元より鵺使いは怪異に対抗する力を持たない者たちを守る為にその力を振るうと師匠と父親から教わり、正義感の強い性格の持ち主でもあった寒川リョウは天戒衆に好んで協力する気にはなれなかった。
「残念ですがこの”氷龍”は亡き家族と私を繋ぐ最後の架け橋。お渡しする事は出来ません」
リョウは俯きながら氷龍を深く抱き締める。
「寒川さん、私には貴女から氷龍を取り上げるつもりはない。また氷龍の所持を上層部に伝えるつもりもないから安心して欲しい」
シュザンヌは予想していた事とはいえリョウの冷然とした雰囲気に戸惑う。
「後生です!ここで氷龍と引き離されるくらいなら私は死を選びます!」
亡き家族への想いと煮えたぎるような復讐心が怒涛のように溢れ出す。感極まったリョウは涙を流しながらシュザンヌに訴えた。
「安心してくれ、寒川さん。私とヒメにそのつりはない。鉄男には傷ついた貴女を助けるように言われただけだしな…」
シュザンヌはリョウに向って首を垂れる。これが天戒衆という組織に身を置く事になった者の宿命だという自覚があった。
例え当事者ではなかったとしても以前の天戒衆という組織はやり過ぎた。組織の拡大の為に、鵺使いの威信を守る為に、なりふり構わす他者を犠牲にしてきた事は許されるべきではない。
その一方で鵺使いたちは他の人間に比べてごく少数派である。天戒衆のような組織に所属しなければ異端として狩られてしまうだろう。
ならば現代に生きる鵺使いの末裔として己のすべきことは何かと問われれば過ちを繰り返さぬよう、未来の子孫たちに誇れるように道を築くことぐらいだ。
「頼む、寒川さん。私たちを信じてくれ」
シュザンヌはさらに頭を下げる。如何に傷心のリョウといえど彼女の厚意を無下にするわけにもいかなく態度を改める事にした。
「頭を上げてください、シュザンヌさん。私も短い間に色々な事がいっぺんに起きて混乱していました。姫子さん、鹿賀さんも取り乱してしまってごめんなさい‥」
リョウは落ち着きを取り戻し、治療は再開された。二人のわだかまりがほぐれて鉄男もまた安心する。
「鉄男、そろそろどういう経緯で寒川さんを保護する事になったか説明してくれないか?…人の命が関わっていると聞いて急いできたわけだがこの事件。不明瞭な点が多すぎて何から手をつけてよいものかわからん」
シュザンヌは口をへの字にして鉄男を睨んでいる。
「そうだよ、鉄男君。私もここまで協力したんだから教えてよ」
姫子も同意とばかりに何度も首を縦に振っている。
「すいません。俺も気が動転してすっかり忘れていました。最初から話しますね…」
鉄男はまず山で修行をする為に近所の裏手の山に入った事から説明した。そしてリョウを助けた後に謎の骸骨武者の一団と交戦した後、家に帰ったというところまで話す。
「一応こんなところですけど…質問はありますか?」
「「「…」」」」×3
気まずい沈黙が流れていた。鉄男の話が終わったあたりからシュザンヌと姫子の顔が渋面に変わっている。
「これはどこから突っ込んでいいものか…。ヒメはどう思う?」
シュザンヌは沈痛の面持ちで姫子に尋ねる。
「まずこの前『なるべくおとなしくしていてね』って言ったのに何で外に行こうとするのかなーってところだね。私としては」
姫子はジロリと鉄男を睨んでいる。鉄男の鵺”岩鉄”は能力的によくわかっていない部分が多いので半ば謹慎状態で待機せよとシュザンヌと姫子から念を押されていた。
「それは俺がヒーローとして新必殺技の一つでも引っ下げて…」
「要らぬ気づかいだ。君もいい年齢なのだからそろそろ妄想と現実の区別くらいつけたらどうだんだ?」
「すいません…。以降、気をつけます」
話の受けの悪さに鉄男はショックを受けていた。