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ヒーローは遅れない

ヒーローは遅れたくない

作者: 眼鏡ぐま

『ヒーローは遅れない』を読んでくださった皆さん。

ありがとうございます!

そして初めましての方もありがとうございます!


こちらは『ヒーローは遅れない』のヒーロー視点となっております。

これだけでも読めなくはないですが、前作を知っているほうがより楽しめるかと思いますので、もし良ければそちらも読んでみてくださいね(・∀・)

 

「っは!」


 ガツ! ガツン! と木剣がぶつかり合い、握っていた手を痺れさせる。

 それを見逃さなかった相手によって木剣は弾き飛ばされた。


「っく」

「駄目ですよ、坊っちゃん。力任せに振ったところで自分より力のある者には押し負けますよ。坊っちゃんが身につけるのは殺す剣技ではなく、守るための剣技です。そんなあなたが剣を弾かれてどうしますか」


 そう真剣に説くのは幼い頃からの剣の師匠であるモーリスだ。

 もう何度教えられたかわからないその言葉に思わず苦笑が漏れた。


「わかっているよ。ごめん、ちょっと集中できてなかったみたいだ」

「そういえば今日は訓練前から難しいお顔をされていましたね。何か気になることでも?」

「そうじゃないよ。ただちょっと自分が情けないだけさ」


 昨日参加したパーティーで、婚約者のアニーを危険な目に遭わせてしまった。

 まさか公爵夫人の主催するパーティーで、女性を男に襲わせようとするなんて愚かなことを未成年の令嬢が企んでいるなんて思いもしなかった。

 アニーは間に合ったのだから問題ない、指一本触れられていないから大丈夫だと僕に言ったけれど、平気なはずがない。

 あの状況で見知らぬ男が部屋に侵入してきたのだ。普通でも恐ろしいだろうに、過去の事件の記憶を持つアニーにとっては余計に恐ろしかったことだろう。

 実際僕が駆け寄った時の彼女は、表情こそ微笑みを浮かべていたけれど、顔色は悪く握った手はわずかだが震えていた。


「情けない。アニーはいつも僕を物語のヒーローみたいだって言ってくれるけれど、全然駄目だ。あんなの、間に合ったなんて言えないよ。もう二度とアニーを危険な目に遭わせないって誓ったのに」

「坊ちゃん……」


 今から10年以上前のある日、僕とアニーは二人揃って賊に誘拐された。

 とある屋敷で開かれていた子供のためのパーティーで僕もいつもよりきちんとした格好をして参加していた。

 アニーに会ったのはおそらくその時が初めてだったと思う。

 濃いはちみつのような美しい琥珀色のふわふわした髪を、大きなリボンで後頭部で一括りにしていた。

 他の子たちがパタパタと元気よく走り回ったりお喋りしたりしている中で、のんびりとひとりで壁際に飾ってある花をにこにこと見ていた。

 会場にはたくさんの子供たちがいたから、もしあの日何も起きなければアニーとは話すこともなく終わっていたのだと思う。

 けれどあの日、事件は起こった。

 突然どこからともなく火炎瓶が投げ込まれ、会場は悲鳴や泣き叫ぶ声で騒然となった。

 それと同時に賊が侵入し、凶暴な犬が放たれた。

 その時攫われたのが僕とアニーの二人だった。

 アニーは自分が逃げ遅れたと今でも思っているようだが実際は違う。どういうわけか彼女はすっかり忘れてしまっているようだけれど。

 アニーは犬に吠えられて恐怖から動けなくなっている少女のもとへ走っていき、必死に犬を追い払おうとしていたのだ。

 あの時花を見て微笑んでいた彼女からは想像もできない勇気ある行動だった。

 しかし犬のターゲットが自分に代わるのを感じ取ったアニーは「あなたは早く大人のところに行って!」と少女に言い残し、わざと犬を引き付けるように再び走り出したのだ。

 それを見ていた僕はアニーのもとへ走った。

 なぜかはわからない。けれど行かなければと思ったのだ。

 そうこうしているうちにアニーを追いかける者は、犬から大きな賊の男に代わった。

 アニーの左腕を掴み上げ、下卑た笑みを浮かべた男はそのまま彼女を連れ去ろうとした。


(駄目だ、行かせるな! 間に合え! 間に合えっ!)


 必死に伸ばした僕の手は、なんとかアニーの右手に届いた。

 その瞬間バッと僕に向けられた目には、今にも零れ出しそうなほど涙が溜まっていた。

 とんでもない状況なのに、一瞬見惚れそうになった僕を現実に引き戻したのは賊の男の声だった。


「なんだぁ、このガキは。邪魔なんだよ!」


 アニーを掴んでいた手を思いきり叩かれ、驚くような痛みが走り息を飲んだ。

 それも当然だ。それまで大人に殴られたことなどなかったのだから。

 それでも手を離さなかった僕は、頭や体も殴られた。手を叩かれた時の比じゃないほど痛かったことだけは覚えている。


「いやぁっ、やめて……。殴らないで!」


 痛みの中聞こえてくるアニーの声に、絶対手を放すものかと必死だった。


「チィッ! なんだ、このガキ! くそ! もうこいつも一緒に連れてくぞ! ずらかるぞお前らぁ!」


 こうして僕たちは連れ去られ、どこだかわからない薄暗い場所に閉じ込められた。

 アニーは恐怖から気を失ってしまっていたけれど、僕は痛さでむしろ目が冴えていた。

 閉じ込められた部屋の外からぼそぼそと、金はどこで受け渡しだとか、寄越さなかった場合はガキを売っぱらおうとか物騒な会話が聞こえてきて怖くなった。

 ひとりでは心細くてアニーを揺すって起こそうともした。

 けれどアニーはしばらく目覚めなくて、その間で僕は少し落ち着くことができた。

 そうしてアニーが目覚め、初めに口にした言葉は僕への謝罪だった。


「ごめ、ごめんなさい……! 私が、私があなたを巻きこんじゃった……」


 普通言えるか?

 この状況で人を気遣えることに僕は心の底から驚いた。

 アニーが起きるのを待っている間、どうやって泣き止ませようかなんて考えていた自分を恥じた。


「大丈夫。巻きこまれたんじゃないよ。それよりも、君の名前を教えてよ。僕はライアンていうんだ」

「……アンナ。みんなアニーって呼ぶの」

「アニー、そんな顔しないで。大丈夫だから。会場にもいっぱい大人はいたんだ。きっとすぐに助けが来るよ。ね? 大丈夫だから」

「うん……でも、ライアンのお顔……ふぇ、うう、ごめんなさい。いた、痛いよね……」


 僕の顔を見てアニーはぐすぐすと泣き始めた。だから僕は痛みを精一杯我慢してニカッと笑った。


「格好いいでしょ? こういうの、男の勲章っていうんだよ」

「くん、しょう……?」

「うん」

「勲章ってなあに?」

「え? そうだなぁ……わからないけど、とにかく格好いいやつ!」

「……ふふ、そっか、格好いいんだ。うん、ライアンはたしかに素敵」


 涙を拭って笑ったアニーは最高に可愛らしかった。

 今なら外にいる賊も全員倒せるんじゃないかと思うくらい気分が高揚したのを覚えている。

 それからは二人でたくさん話をして、励まし合って、そうこうしているうちに外が騒がしくなった。

 馬の足音がたくさんしたのできっと助けが来たんだと思い、外から人が入ってこれないように部屋に転がっていた木の棒で扉につっかえ棒をした。


「ライアン、どうして開けられないようにしちゃったの?」

「えっとね、たぶん助けが来たと思うんだ。だから賊たちが僕らを盾にして逃げられないようにするために入ってこれないようにしたんだよ。あの扉、内開きっぽいんだ」

「す、すごぉい! ライアンは頭がいいのね!」

「えへへ、そう?」


 少し褒められただけで有頂天になるなんて、あの頃の僕は幼かったなあと今なら思う。

 その後外から「制圧完了! 子供たちを探せ!」という声が聞こえてきて、僕たちは助け出された。

 無事に助け出されて一件落着だと思ったけれど、本当に大変なのはその後だということを僕は母と話して知った。


「あなたは男の子だからいいけれど……バローズ伯爵令嬢は大変でしょうね」

「大変? 母上、それはどういうことですか? アニーはどこか怪我でもしていたのですか?」

「そうじゃないの」


 母が言うには今回の事件は貴族令嬢にとって今後の婚姻などに悪影響を与えるのだということだった。


「なぜですか? あの場では僕もずっと一緒だったのに! なぜアニーだけが悪く言われるのですか?」


 僕がそう言っても母は困ったように笑うだけだった。

 僕は男だから無謀だけれど勇気ある行動だったと言われて評価が上がり、ア二ーは女の子だからというだけで後ろ指を指されるなんて納得ができなかった。

 本当に勇気があったのは僕ではなくアニーのほうだ。そんな彼女がこの先困ることになるなんて考えたくなかったし、そうさせたくなかった。

 だから僕は両親に頼んだのだ。アニーと婚約させてほしいと。

 母だけは最初は少し渋る様子を見せたが、僕が本気だとわかるとフォルスター侯爵家としてバローズ伯爵家へ婚約の打診をしてくれた。

 母は僕に「いろいろ言われることもあるでしょう。だからライアン、あなたがしっかり守ってあげるのよ」と言った。

 理解のある両親で良かったと思う。

 バローズ伯爵夫妻たちもフォルスター侯爵家からの婚約の申し入れにとても驚いて、アニーに至っては「フォルスター侯爵令息様、とても嬉しく思います。けれど、あなた様は本来ならもっと優れたご令嬢を選べるお立場にあるとお聞きしました。本当に、私で良いのですか?」とまで言ってきた。

 もっと喜んでくれると思っていたアニーからの言葉に僕のほうが驚いてしまった。

 こんな顔をさせたかったわけじゃないのに。

 そう思った僕はアニーの前に膝を突くと、物語の王子様のように彼女の手の甲にキスをし言った。


「僕は君がいい。あの状況で、巻き込んでごめんなさいと他者を気遣えるバローズ伯爵令嬢がいいんだ。だからそんなこと言わないで。またライアンって呼んでよ、アニー」


 アニーは真っ赤になってこくこくと頷いた。こうしてアニーは僕の婚約者になった。



 それからの僕らはとても良い関係を築けていたと思う。

 最初はアニーを助けたいという思いが強かったように思う。けれどそれは違うのだと一緒に過ごすうちに気がついた。

 普段はのんびりしているアニーだけれど、その実、彼女は芯が強く意外と頑固だった。

 人に無理を言ったり困らせたりすることはないけれど、自分でこうすると決めたら時間をかけてでもそれを完遂する。

 それ以外も僕が落ち込んでいたりするとすぐに気付くけれど、無理に何があったか聞きだすことはせずに黙って傍にいてくれたりした。

 僕はどんどんアニーのことが好きになった。婚約したいと言った時の気持ちは恋ではなかったかもしれない。

 けれどそれが今は完全に恋になった。

 アニーのことを面白おかしく噂するような人もいたけれど、なるべくアニーの耳に入らないようにしたし、あの時のアニーがいかに勇敢で、彼女が心優しい女性であるか。

 そんな彼女の婚約者になれて、僕がどんなに幸せだと思っているのかとさりげなく自慢した。

 本当はもっと声高に言いたかったけれど、あまり言い過ぎてわざとらしいと言われるのも嫌だったので我慢した。

 あの事件の時にアニーに助けられた少女は今では彼女の親友になっているし、今ではあの事件のことを口にする者もほとんどいなくなっていた。

 けれど僕たちが成長していくにつれてまた別の問題が出始めた。

 本格的に皆が婚約者を定める年齢になってきて、なぜかすでにアニーと婚約を結んでいる僕にまで声をかけてくる令嬢が現れたのだ。

 どうやら僕の容姿は令嬢に好まれるものらしく、適度に鍛えたこの体躯やいざという時に女性のために身体を張れるということもその要因の一つらしかった。

 あの事件以来、何が起きてもアニーを守れるようにと勉学の他に剣術や体術なども積極的に学んでいた弊害がこんな所に出るとは思わなかった。

 僕が努力したのはすでに相手のいる男性に粉をかけるようなそんな常識知らずな令嬢のためではなく、愛しのアニーを守るためなのに。

 常識知らずで恥知らずな令嬢にはきっぱりと断りを入れたけれど、まさかの家にまで正式に婚約の打診をしてくる者まで出てくるとは思わなかった。

 その内の一人が今回事を起こしたコルドー侯爵家だ。

 アニーとの婚約を破棄して自分の娘と婚約を結ぶべきだと、わけのわからないことがツラツラと書かれていて思わず手紙を破り捨ててしまいそうになった。

 解消ではなく破棄をしてと書かれていたことにも二重に腹が立ったのだけれど。

 コルドー侯爵令嬢ヘンリエッタは何の瑕疵もなく同格の自分こそが僕の相手に相応しいなどと言った。

 僕からすれば、そんなことを平然と口にする彼女こそ瑕疵(欠陥)だらけだと思うのだけれど。主に性格が。

 そんなわけだから全く相手にすることなく断った。

 その後何回か同じような手紙が届いたようだけれど、その度に丁重に断りの返事を出し、僕の周囲もだいぶ落ち着いてきたところに起きたのがパーティーでの事件だった。

 アニーに余計な心配をかけまいとコルドー侯爵令嬢のことも話していなかったこともいけなかったのだと思う。

 アニーが彼女たちと少しお話してくるわと言った時、側を離れることを了承した。

 新しい友達ができそうだと嬉しそうに笑ったアニーに、あまり僕がべったり傍にいすぎるのも良くないかと思ったのがいけなかったのだ。

 あの時ちらりと見えた令嬢たちは、今になって考えれば皆コルドー侯爵令嬢の取り巻きたちだった。

 本当に情けない。

 いくら努力をしたって肝心なところで気を緩めていたら何の意味もない。公爵夫人主催のパーティーだからと油断していたのだろう。


「本当に、何がヒーローだ。やってきたことを生かせなければ、それは何もしていないことと同じだ」

「坊ちゃん……ですが、全てを一人で守るなんてとても難しいことですよ。ご当主様にだってそれは難しい。まして坊っちゃんはまだ成人前だ」

「わかってる。わかってはいるが……それでも情けない」


 この日は何をやってもほとんど手に付かず、猛省の一日を送った。

 そしてさらに一日経ち、公爵夫人から手紙をいただいた。その内容に僕は愕然とした。


「なぜ! 明確な他者の証言などなくても状況証拠だけで十分じゃないか!」


 手紙にはきちんとした処分が決まったのはルイスと呼ばれていたコルドー家の分家の男だけで、他の令嬢たちはしばらく屋敷での謹慎を命じたということが書かれていた。

 あれだけ悪質なことをしておいて謹慎だけだと? ふざけるな。

 アニーがどれだけ恐ろしい思いをしたのか、同じ女性である公爵夫人にわからないはずないだろう。

 僕が上着を手に取り立ち上がると、控えていた侍従が声をかけた。


「坊ちゃん、どちらへ?」

「公爵夫人のもとへ。この手紙の内容に関してお聞きしたいことがある」

「なりません。相手は公爵家のご夫人です。まずは先触れを」

「だが!」

「坊ちゃん、落ち着いてください。はやる気持ちはわかりますが、そのように頭に血が上った状態でお話などできないでしょう」

「……くそっ」


 侍従に諭され荒々しく椅子に腰を下ろす。

 言われていることは尤もで言い返すこともできない。たしかにこのような状態では冷静に話すことはできないだろう。

 言われた通り、訪問可能な日のお伺いを立てる手紙を出した。

 侯爵家当主ならまだしも、自分のようなただの子息からの手紙など、下手をすれば相手にされないかもしれないという不安もあったが、それは杞憂に終わった。

 公爵夫人からはすぐさま返事が戻され、その返事を持って来た者の操る馬車でそのまま公爵家に迎えられた。


「よくいらしてくれたわね。あなたのお話したいこと、想像はついているわ」


 にこやかに迎えられ、客間に通された。

 公爵夫人は全てわかっているというふうに、優雅な仕草で紅茶を一口飲むと溜息を吐いた。


「彼女たちの処遇に納得がいっていないということよね?」

「……畏れながら、あの時の我が婚約者の気持ちを考えれば到底納得できるものではありません」

「ええ、そうよね。わたくしも納得がいっていないもの」


 そう言って公爵夫人は眉を顰めた。


「では! では、なぜ……」

「本当に申し訳ないとしか言えないけれど、あなたたちにはまったく関係のない大人の事情が絡んでいるの。フォルスター侯爵子息は当家がコルドー侯爵家と結んでいる茶葉の独占契約のことをご存じかしら?」


 公爵家と侯爵家の専属契約、侯爵領で採れる上質で貴重な茶葉を公爵家が出資するティールームでのみ提供することを許す、というものだったはずだ。


「そう、よくご存じね」

「それが、今回の件に……?」

「ええ。コルドー侯爵令嬢ヘンリエッタの愚かな行動を謹慎という軽い処罰で見逃す代わりに、茶葉の価格を大幅に引き下げること。これが新たに当家と()の家で交わされた契約よ。本当に忌々しいったら」


 不機嫌さを隠すことなく公爵夫人は続ける。


「あの子たちが愚かなことを企てたのは明らか。しかもわたくしの主催するパーティーでそれを実行しようとするなんて許したくもないわ。けれど茶葉は夫の事業。いくら妻であるといっても、わたくしが当主の決定に背くことはできなかった」


 事業に明るい者ならばこの事実に気づく者もいるでしょうけれどと公爵夫人は言った。


「ごめんなさいね、力不足で」

「……っ、いけません! 顔をお上げください!」


 ありえないことだが、公爵夫人がただの侯爵子息である自分に深々と頭を下げた。

 公爵夫人が本当に申し訳なく思っていることが見て取れた。

 けれど、そんな事情があってはこれ以上自分が何かを言うことなどできないではないかと唇を噛んでいると、「お詫びと言っては何だけれど」と公爵夫人が口にした。


「あなたがここまで来てくれたから、一つ良いことを教えてあげる。当家とコルドー侯爵家で結んだ契約は『公爵家は今回のコルドー侯爵令嬢の起こした件に関してこれ以上の追及は行わない』ということだけよ。これがどういう意味かわかる?」

「……他の者が追及する分には構わない、ということでしょうか」

「ふふふっ、わたくしも含めて多くの女性が許せるはずもないことを仕出かしたのだから、ねえ?」


 公爵夫人は目を細めて小首をかしげた。


「しかし、事が公になればパーティーを主催した公爵夫人の名にまで傷を付けることになりませんか?」

「それは気にしなくていいわ。多少の害はあるかもしれないけれど大したことではないわ。わたくしはこの国の社交界の王妃様に次ぐ立場。顔も広いしお友達も多いの。当家も多少のことでは揺るがないから大丈夫よ」

「では、私は私で勝手に動いても構わないと?」

「ええ、好きなようにどうぞ」

「ありがとうございます」


 公爵夫人の許しは得た。

 さて、どうしてくれようかと急速に頭を働かせていると、「ああ、そうだわ。あなたジャムズ侯爵をご存じ?」と公爵夫人が聞いてきた。


「ジャムズ侯爵ですか? 子息のスタンリーとは友人ですが……」

「まあ! それはいいわね」

「あの……?」

「ジャムズ侯爵夫人もご存じ? 彼の夫人はお喋り好きの社交好きよ。しかも正義感も強くて性格も明るいから交友関係も広いわ」

「……良いことを教えていただきありがとうございます」

「これくらいしか役に立てない私を許してちょうだいね」


 これだけ知ることができれば十分だった。

 僕はお礼を言って公爵家を後にした。

 やるべきことは決まった。

 醜聞によってアニーを傷つけようとしたのならば、自分たちも同じ目に遭えばいい。

 自分たちがいかに愚かなことをしたのか身をもって知ればいいのだ。

 屋敷に戻ると早速スタンリーに連絡を取り、ジャムズ侯爵家で会う約束を取り付けた。

 勝手に家族を利用されるのは嫌だろうと、スタンリーに事情を話し協力を仰いだ。もちろん夫人が滞在している時間帯も確認済みだ。

 翌日早速ジャムズ侯爵家に行き、まずはスタンリーと二人で話をし、その後ジャムズ侯爵夫人に「傷ついた女性の慰め方をご教授願いたい」と言って話に参加してもらった。

 アニーの名に傷がつかないようルイスのことは伏せ、コルドー侯爵令嬢たちが起こそうとした愚かな計画だけを話した。

 彼女たちが謹慎処分だけになったこと、期間も定められていないようなのですぐに謹慎が解かれアニーに近づかれたらと思うと恐ろしいという話をした。

 正義感が強いというだけあって、夫人はすぐさまこの話に食いついた。

 このままコルドー侯爵令嬢たちを許すわけにはいかないが、僕一人でどうしたらいいのかわからないと言うと、侯爵夫人は少し考える素振りをした後口を開いた。


「公爵夫人はどこまでご存じなの?」


 公爵夫人から自分の名前を出すことの許しを得ていたので僕はすべてを話した。


「なるほどねぇ。公爵夫人もだいぶお怒りのようね。……ちょうど二日後にお茶会があったわね」


 ジャムズ侯爵夫人はにっこりと笑い、「ライアン君、任せておきなさい。私そういう子たち大嫌いなの。楽しみだわぁ、ほほほほ」と言って席を立っていった。

 スタンリーはその後ろ姿を見て「ありゃ五日もすれば、コルドー侯爵令嬢一派は謹慎どころじゃ済まなくなるな」と言った。

 もしそうなれば、それこそ僕の望むところだ。


 そうして本当に五日後、コルドー侯爵令嬢たちが謹慎だけでなく修道院に入れられるという噂が流れてきた。

 彼女たちの入れられる修道院は、別名『地獄の人格矯正施設』と言われ(神に近い場所なのに地獄と表現するのもどうかと思うが)本気で社会復帰を目指す者のための更生施設だ。

 そこで二年も過ごせばどんなに屑で下種な人間でもまともになる、と言われるほど厳しいらしい。

 実際その修道院から出てきた者はそれまでの自らの行いを猛省し、他者を気遣い尊重できる者に変貌を遂げるようで、そこを出てから婚約を結び直し、良き当主、良き奥方として生活している者もいるというのだから、想像以上に厳しい場所なのだろう。

 僕としてはアニーに危害を加えないなら何でも良いのだけれど。


 そして久々のアニーとのお茶の席。


「いらっしゃい、ライアン。会いたかったわ」


 朗らかな笑顔で迎えてくれるアニーは今日も可愛い。


「僕も会いたかったよ。もうだいぶ落ち着いたかな?」


 アニーはパーティーの後しばらく体調が優れず屋敷で療養していた。


「ええ、もうすっかり。駄目ね、強くなるって言った傍からこれじゃあ」

「だからアニーは強いって」

「ライアンはいつもそう言ってくれるわよね。ありがとう」

「本当なのになぁ」


 君は誰よりも強いんだって、いったいいつになったら信じてくれるのだろう。


「そういえばもう聞いた? コルドー侯爵令嬢たちだけどさ」

「彼女たちがどうかしたの?」

「どうやらあの日彼女たちがしたことが明るみに出たらしくって、長い謹慎処分を受けたらしいよ」

「まあ、本当に?」


 本当は謹慎ではなく修道院行きなのだけれど。

 まあこの事実は明日から学園に復帰するアニーの耳にもすぐに入るだろうけれど、せっかくのアニーとの時間をこんな話を長々として潰すのも癪なので割愛だ。


「……ライアン、あなた何かした?」

「何も? ただお喋り好きな友人の母親の前で、こんなことがあって僕は怒っているんですよってお話しただけだよ」

「してるじゃない!」


 アニーがくすくすと笑う。それにつられて僕も笑う。

 こういう穏やかな時間がずっと続けば良いと思う。

 僕はアニーと違って心の隅々まで綺麗な人間とは言えないけれど、それでもずっと彼女の傍にいたいと願う。

 本当はもっとずっと頼ってもらいたいけれど、アニーが強くなりたいと願うならそれに協力することも吝かではない。

 アニーが頑張ったら頑張った分だけ甘やかすつもりだけれど。


 これから先、僕たちの間にはいろいろなことが起きるだろう。

 今回のようなことがそうそうあっては堪らないが、どんな時でも彼女を守れるよう、僕ももっと成長しなければならない。

 危険の足音さえも気づかせないようにしたい。

 そんなことは実際は不可能かもしれないけれど、いろいろなことに備えるだけでその確率は上がると思うのだ。

 それはきっと僕一人でできることではないのだと思う。

 あの時も、今回も、僕一人だけの力ではどうすることもできなかった。

 人の中で生きるなら、人の助けを受けることも大切だ。

 自分だけで頑張るのも良いけれど、これからは僕ももっと他者を頼り、頼られるような人間にならなければ。

 交友関係を広げ、どこからでも情報を仕入れられるようになれば、いろいろなことが円滑に進むようにもなるだろう。

 そうすればもっと危険を遠ざけられるに違いない。


(次からは絶対に遅れない。アニーが僕をヒーローだと言ってくれるのに相応しい男になってみせる)


 他の誰でもない。アニーのためだからこそ頑張れると思うのだ。

 アニーのためにやりたいことが僕を成長させてくれる。そしてそれは家のためにもなり、巡ってまたアニーのためになる。

 何て素晴らしいことだろう。

 そんなことを考えて自然と笑みを浮かべていたらしい僕を、アニーが目を輝かせて見つめていた。


「どうしたの? とっても楽しそう」

「アニーと一緒にいられればそれだけで楽しいよ」

「もう、ライアンったら」

「本当だよ」


 願わくば、その綺麗な瞳に映るヒーローがずっと僕であるように。

 もう二度と遅れることのないように。


 僕が目指すのは、絶対に遅れないヒーローだ。


いかがでしたでしょうか?

ライアン視点でした。

アニーはいつも遅れないと思っているけれど、前作の感想欄で指摘してくださった方がいたように、「いや結局遅れてない?」とライアンはも思っているというお話でした。

さあ、皆さんはライアンは遅れたのかor遅れていないのか、どちらだと思いますか?

もし良ければ参考までに教えていただけると嬉しいです。

読んでいただきありがとうございました(*´▽`*)

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