アリスが城へ出向いていました
巨大な扉が音を立てて開き、無数の王宮騎士たちが一斉に頭を下げる。その仰々しい雰囲気の中、一切臆さず歩を進めるのは甲冑をその身に纏った銀髪の美少女―――【勇者】アリス・エデンだった。
「アリス・エデン。ただいま参上仕りました」
片膝をついて頭を垂れ、臣下の礼を取る。【勇者】たるものが誰に頭を下げることがあろうかと宣う者もいるかもしれないが、その相手の顔を見れば皆一様に納得するだろう。その相手はまさに【勇者】の主。否、このパラディーア王国全域の主だった。
「うん、よく来てくれた。顔を上げて楽にしたまえ」
優しげな声に導かれるまま顔を上げて立ち上がると、眼前の玉座には一人の青年がいた。しなやかな長い銀髪が特徴的な、生気に溢れる美青年。しかしその本当の年齢が既に四十を超えていることをアリスは知っている。魔法で時間を止めているというわけでもあるまいに、その人物はただ己が身という存在一つで老化という誰にでも訪れる当然の衰えに抗っていた。
アジュール・イル・パラディーア。約二十年前にこの大陸を覆っていた魔族や魔物の暴虐という闇を当時の【勇者】やその仲間と共に払い去り、長き平和を実現した賢王。冒険者パーティー『大いなる翼』にその名を授けた偉大なる王がアリスに向けて微笑んでいた。
「多忙の身を呼び立ててしまってすまないねアリス」
「はっ!お気になさらず。陛下の命であればいつ何時であろうと私は馳せ参じます」
アリスの真面目な返答に、王は若干苦笑した。もう少し気楽に構えて構わないと以前から何度も口にしているのだが、当の【勇者】は一向に聞き入れる気配を見せなかった。
アリスも【勇者】という大仰な職に就いてこそいるものの、所詮は一冒険者であり孤児院上がりの一国民である。王の御前に呼ばれるという事態そのものにはとうの昔に慣れはしたものの、だからと言って軽々しい態度を王宮で取れるほど豪胆でもなかった。
「『大いなる翼』の活躍にはいつも感謝している。特に先日のレッドドラゴンの討伐はよく魔物たちの巣窟に斬り込んで成し遂げてくれたものだ。近隣の村々も感謝していたよ」
「勿体なきお言葉。我らはご下命に従い職務を遂行したまで。それで人々の平和が守られたというのであれば望外の喜びにございます」
冒険者というのは高額な報酬と引き換えに己が身を危険に晒し大陸狭しと駆け巡る職業である。そんな彼らを指して人々のために命を張る聖人と捉える者もいないではないが、大抵は金のため命すら賭け金にする大馬鹿者と見られるものだ。
しかし、『大いなる』の名を持つパーティーは事情が異なる。彼らは国王アジュールが認めた王国トップクラスのパーティーであり、ギルドを経由して以外にも国王からの勅命として任務を任されることがある。そうなれば人々の評価は一転、孤児院出身のみなしごたちのパーティーであったとしても王国騎士に並ぶ高尚な存在として見られるのが常だった。
勿論、そういった背景もあるため『大いなる』の称号を与えられるパーティーは実績は元よりそのメンバーの人格も重視される。ならず者のような人間性のパーティーを認めてしまっては国王の名に傷がつくというものである。
その立派な人間性に立派な実績を兼ね備えているとされる『大いなる翼』の【勇者】アリス・エデンが今日この日王城に訪れたのは、国王直々に呼び立てられたからだった。
「キミは望まないかもしれないが、今回多大な功績を上げた諸君らに褒美を与えるべきだという話も王宮内で出ていてね。私もそう思う。故にその方向で考えていたのだが、一つ問題が発覚してね」
「……問題、ですか?」
「うむ、何やら風の噂で聞いたのだよ。『大いなる翼』の【アイテム使】が解雇されたと」
無表情のままアリスは目に見えて硬直した。明らかにその噂の裏付けとなる彼女の挙動に、国王は心配そうに彼女を見つめた。
「やはり噂は本当だったのか……何か理由があるのかね?【アイテム使】ユーリ・ユーベルは私の目から見ても特に問題ある人物には見えなかったが」
「……パーティー内の不和の原因になりそうでしたので」
「不和の原因……?実は彼は私でも見極められない程度に狡猾な問題ある人物だった。ということかね?」
「違っ!……違います。その、彼に問題があったわけでは……なくて、彼は素晴らしい人物でその、ただ、巡り合わせの問題と言いますか……」
「……?まあ、分かった。私が見極められていなかったわけでもなく、且つキミが必要だと思って解雇したと言うのであれば深くは問うまい。私とて昔は冒険者の真似事をしていた身。パーティー間の人間関係の機微に色々あることくらいは理解しているつもりだ」
国王は不可解そうな表情を浮かべつつも鷹揚に頷いた。賢王と呼ばれるだけあり他者の主張を常に鵜呑みにするわけでもないが、さりとて大きな問題がないと見れば受け流す寛容さも持ち合わせているのがかの国王だった。
「ただ、私が『大いなる翼』の称号を与えたパーティーはアリス・エデン、ローズ・ファティマ、レイン・クロシェット、そしてユーリ・ユーベルからなる四人のパーティーであることは覚えておいて欲しい。無論三人になったからと言って『大いなる』の称号を取り上げるなどという性急なことはしないが、三人パーティーの『大いなる翼』が今後どうなるのか見極める必要は出て来るだろう」
「はっ。仰られる通りかと」
戦力的にも人間関係的にもお互い足りないところを補い合い助け合うという意味で、冒険者パーティーというのは一つのシステム、生き物のようなものだ。である以上、メンバーを一人欠いたことでバランスを失い瓦解するパーティーというのも枚挙に暇がない。賢王は『大いなる翼』がそうなることを危惧しているのだろう。
そしてそれはパーティーメンバー補充にも同じことが言える。ユーリの代わりに誰か新たなメンバーを採用するのであれば、既存メンバーと戦力的性格的に合致するかを見極めるのが重要である。加えて『大いなる翼』の場合仮にこれという人物を探し当てたとしても国王に却下されてしまえばその時点でご破算になるため、むしろ補充こそ現実的ではないと言えた。
パーティーメンバーを一人解雇するというのは、パーティーにそれだけ大きな影響を及ぼすことなのだ。国王アジュールとしてもアリスの判断力を信頼しているが故に軽々と認めはしたものの、その口調の優しさに反してことが重大だという認識は持っていた。
まさか聡明で優秀なアリスが己の恋愛成就という我欲のために独断でユーリを解雇したなどと、この大国を治める賢王にすら想像することは叶わなかったのである。
「さて、しかし見極めると言ったところでレッドドラゴン討伐を果たしたばかりで、更にメンバーも減ったばかりの諸君に当分新たな遠征を依頼するつもりはない。三人体制でやって行くにせよ穴埋めをするにせよ、新たな体制に慣れるための期間は必要だろう」
「お言葉ですが、我らは三人でも問題なく任務を遂行出来ます。一人減った程度で『大いなる翼』は……」
「これは王としてではなく、元冒険者の先達としての言葉だ。キミが考える以上にパーティーメンバーの減員というのは影響が大きい。勿論ギルドから遠征を伴う仕事を受けるなとは言わないが、少なくともしばらく国からの遠征依頼はあり得ない。これは決定事項だ」
「……はっ。かしこまりました」
国王直々にそこまで言われれば、アリスとて抵抗の意志を固辞することは出来なかった。如何な【勇者】とは言え国王に直訴するほどの強権は持ち合わせない。冒険者の仕事は別に遠征だけというわけでもないし、ギルドから独自に受ける分には制限がないというなら問題はあるまい。
その後アリスは国王から幾つかの簡単な遠征を伴わない任務を言い渡され、謁見室を後にした。従者も大臣も騎士たちも王城の出口へと歩を進める彼女を見ると皆例外なく頭を下げた。【勇者】であるというだけではなく、何かアリス個人に対して一定の敬意を払うかのような仕草だった。
しかし、そんな中ただ一人アリスに冷たい視線を向ける女性がいた。豪奢なドレスを身に纏い一目で身分の高い存在であると察することが出来る黄金の髪のその女性は、アリスより僅かに背が高く年齢的にもアリスと同年代に見て取れる。
だが、その女性もまた実年齢は国王と同じである。そもそも約二十年前、国王自身の弁を借りるのであれば冒険者の真似事をしていた頃から彼に連れ添っているのが彼女―――王妃シルヴィア・バルドール・パラディーアだった。
「これは、王妃様。お久しぶりでございます」
「えぇ、久しぶりね。アリス」
それこそ敵意すら宿っているのではないかと思えるほどの冷い声色で王妃は挨拶を返した。この王妃がアリスに接する時はいつもこうだ。居心地がいいとはお世辞にも言えないにせよ、既に慣れたものではあるし冷たく接せられる理由も分からないではない。アリスはその視線を真正面から受け止めた。
シルヴィア王妃は迫力のある美貌をしている。アリスも大概真顔だと怖いだの、圧を感じるだのと言われる冷たげな美貌の持ち主ではあるが、王妃は対照的に激情の炎に命を与えて女性にすればこんな感じなのではないかと思わせるような、何処か苛烈さを感じる美貌の持ち主だった。
「今日は『大いなる翼』の減員についてのお話だったのかしら?」
「ご存じだったのですか」
「当たり前でしょう?国王様にその噂をお伝えしたのはこの私だもの。城下ではとっくに話題になっているけれど、意外と王城内にまでは届かないものね」
「……はい。しばらく遠征の勅命は出せないとのことでした」
「ふふっ、当然ねぇ。万全ならまだしも、三人の状態で遠征など危ないもの。せいぜいそちらの方は『大いなる剣』辺りに任せて、細かいギルド仕事でも受けて堅実に貯蓄でもしていなさいな」
何がおかしいのかころころ笑う王妃は眩いばかりの美しさを放っていた。アリスと向かい合って語り合うその光景は、緊張し切った雰囲気からさえ目を逸らせば一枚の美麗な名画のようですらあっただろう。
「細かい仕事とは言いますが、ギルドからの依頼とて立派な冒険者の仕事です。人々が必要とし、助けを求めるからこそギルドに仕事が舞い込むことを考えれば、大きいも細かいもないかと思います」
「この私に口ごたえ?流石勇気ある者というだけあって随分と豪胆ねぇ。勿論ギルド経由の仕事を軽んじているつもりはないわ?勅命任務もギルドからの仕事も等しく困窮している民からの救援要請だということくらい私も分かっていますとも。けれどとは言っても勅命任務の方が遥かに重要度が上なのは紛れもない事実でしょう?」
「………………」
王妃の言葉は正鵠を得ていた。ギルドに依頼を持ち込む者はギルドに依頼を持ち込めるだけの金銭的、時間的な余裕がある者。一方で国王の勅命として下される任務はそんな余裕がない民たちが領主経由で救援を要請し、国王が速やかに対処が必要だと認めた事案である。ギルドの仕事と比べて危険度も緊急性も段違いに高いと言えた。
押し黙ったアリスに微笑むと、王妃はそっと囁きかけた。
「ところで知っているかしら?バルバラ商店がユーリ・ユーベルを囲い込んだという噂」
「……っ!ユーリを、バルバラ商店が!?」
バルバラ商店はユーリがポーションを卸す先として贔屓にしていた店だ。アリス自身は特に用がなかったため出向いたことはないが、近頃冒険者界隈では注目度の高まっている優良道具屋だという認識は持っていた。
「えぇ、良かったわねぇ。放逐した元メンバーが食いっぱぐれていたら後味悪いでしょう?でもあまりにも動きが早いから、バルバラ商店の主人はもしかしたら翼にいた時点のユーリ・ユーベルと既に恋仲にでもなっていたのかもしれないわね。それでパーティーをクビにされた恋人を助けてみせたなんて話だったら、微笑ましいストーリーじゃない?」
「~~~~~~っ!失礼しますっ!」
他意があるのかそれともただ噂好きなだけなのか判じかねる王妃に頭を下げ、アリスは鼻息荒くその場を離れた。その表情には先ほどまで一切なかった焦りの表情が克明に浮かび上がっている。
確かに王妃の言う通りユーリが再就職先を見つけたのならそれは喜ばしいことだ。【商人】への転向は予想外だったが、考えてみれば一人で冒険者を続けてその身を危険に晒すよりはよほどマシだろう。しかしその行く先がバルバラ商店なのはアリスにとって大問題だった。
以前見たバルバラ商店の主人のことを思い出す。胸元の大きく開いた燕尾服を着こなした色気溢れる紫髪の美女。商売上のパートナーというだけにしてはやけに親しげにユーリと触れ合うその姿を見てアリスが鼻白んだ経験は一度や二度ではなかった。
ユーリが翼時代に恋人を持っていたとは考えづらい。一緒の共有ハウスで暮らしている中でそんな様子は一切見えなかった。しかしかの女店主がその気であったのならば、商売を共にしながらユーリを落としにかかることも可能なのではないか。
(いや、可能どころか絶対そうだ……!そうなるに決まってるっ!ユーリは素敵だから、他の女の人が放っておくわけがない……っ!)
自身の迂闊さに歯噛みする。半ば衝動的にやったこととは言え、ユーリを『大いなる翼』から放逐してしまえばパーティー外の泥棒猫がここぞとばかりに傷心の彼の元に集まると何故気付かなかったのか。既に放逐してしまった以上、ユーリのプライベートの動向を監視することもままならない。もしかしたら自分は途轍もない悪手を選択したのではなかろうか。
国王に全幅の信頼を置かれる歴戦の【勇者】とて一皮剝けば恋心抱く一人の少女に過ぎない。美しい銀髪を乱しながら突き進む少女のその後姿を、黄金の王妃はいつまでも見つめていた。
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