再就職先が見つかりました
「理由を聞かせて貰ってもいいかい?」
バルバラ商店二号店の店長として採用してもいい。そんな破格の勧誘を断ってみせたユーリに、しかしミレイユは気分を害した様子もなく聞いた。
勿論ユーリとしても自分の都合だけを考えるなら受けるべきだとは分かっている。今は売り払うべきアイテムの在庫もどうなるか不明で、【商人】として店を開けるかどうかも定かではない状況だ。バルバラ商店の後ろ盾を得れば失った在庫のことは忘れてアイテムの作成も捗るだろうし、今後の生活における不安材料は大きく取り除かれるだろう。
しかしそれはあくまでも自分の都合だけを考えた場合の話である。ミレイユの都合を考えるとユーリはとてもその話を受けるつもりにはなれなかった。
「条件がちょっと良すぎるから」
「条件が良すぎて何か裏があるんじゃないかと勘繰っている……ってことかな?」
「そうじゃなくて、そんな良い条件出されたら俺が不義理すぎてとてもやってられないって話」
無言のまま続きを促すミレイユにユーリは訥々と語り出した。
「俺、正直まだ冒険者……と言うか翼に未練たらたらなんだ。クビにされたし、もうみんなには俺は必要ないのかもしれないけど、それでも何かの間違いでまた戻れるなら戻りたいし、また四人で一緒にいたい」
そう、仮に自身が勝手に店を持って自身が勝手に商売するだけなら問題はない。それで奇跡的に『大いなる翼』に戻れるタイミングが生まれたのなら、勝手に自分の意志で店を廃業してまた冒険者に戻ればいい。
しかしバルバラ商店のお抱え【アイテム使】となるというなら話は別である。もし話を受けお抱えになった後でも『大いなる翼』がユーリの復帰を許可するのならば、ユーリは誰にどれだけ失望され罵倒されようと構わず『大いなる翼』に復帰するだろう。
【商人】という職業を軽く見ていると言われれば申し開きの余地もない。勿論興味があったからこそ転向を考えたわけだが、一度志すと口にしたからには【商人】を極めるつもりでそれだけに全力で取り組むのが筋というものだろう。だが結局ユーリにとって一番大切なのは『大いなる翼』の彼女たちであり、それ以外のことは全て一段劣るのが紛れもない事実だった。
そんな腹づもりで店長などやられてもミレイユとしても迷惑だろうし、世話になっているバルバラ商店にそんな不義理を働くのはユーリの本意ではない。『大いなる翼』への復帰など一切目途が立っていない夢物語でしかないにせよ、ユーリ自身がそれを望んでいる限り可能性は皆無ではないのである。
「だから、ありがたい話だけどごめん。俺は自分の責任で自分だけの店を持つことはしても、いつ辞めるか分からない状況でミレイユさんにまで迷惑かけることは出来ないよ。俺のことをそんなに買ってくれてるならなおさら……勿論、だから俺が商売始めても邪魔はしないで欲しいんだけど」
申し訳なさそうに、それでも明確に意思表示をしたユーリにしかし、ミレイユは満足げに頷いた。
「うん、やはりキミは良い。よし、決めた。キミを二号店の店長に任命しよう」
「人の話聞いてた……?ミレイユさん?」
「聞いてたとも。そしてキミが信用に足る人物だということも改めて理解した」
先ほどまでの意地悪気な笑みとも違う微笑みで、バルバラ商店のトップは青年の眼前で指をくるりと回した。
「【商人】で一番大事なのは信用って話、聞いたことがないかい?信用ってのはね、都合のいいことだけじゃなく腹を割って都合の悪いことも口に出来る誠実さによって培われるものだ。キミは今まさに都合の悪い本音を私に語ってみせた。その奇跡的に翼に復帰出来る時とやらが来るまで虎視眈々と本心を隠しておいた方が遥かに得だっただろうに、ね」
「……過大評価しすぎでは?」
「くくっ、これを過大評価だと思うなら少なくともキミはキミ自身が思うより遥かに善良な性質だということだよ。むしろ計算高さがなさすぎてその面だけ見れば【商人】に向いてないと言えるかもしれないが、まあそこはおいおい育てていくとしよう」
どうやらユーリの意志如何にかかわらずミレイユの中では結論が出てしまったらしい。困惑するユーリを横目にカウンターを立ち支払いを済ませると、男装の麗人はそっと青年の顎を撫でた。
「気にしなくていいよ。キミの望み通り翼に復帰出来る時が来たとして、その時までに私がキミに商売の楽しさを教え込んでおけばキミはどうせ離れられなくなる。あぁ、誓おうじゃないか。キミが翼に戻ることと天秤にかけてなお迷わざるを得ないほどのめくるめく体験をさせてみせるとね」
明日商店に顔を出したまえ。待っているから。そう言い残すと満足げにミレイユは店を出て行った。どうやら本当にただただユーリを勧誘するためだけに酒場を訪れたらしかった。
「……どう思う?クーラさん」
「んー?そうねぇ、私は良いと思うけど?バルバラ商店二号店の店長さんならツケも滞りなく払ってくれるでしょうし」
「……確かに払えるならツケも早く払わなくちゃならないよねぇ」
事実として火災から逃れ得た財産がどれほど残っているかは定かではないものの、先立つものは必要なのである。クーラの好意に甘えて宿は確保出来たにせよ、いつまでもツケにして実質居候しているわけにもいくまい。
「折角ミレイユが気にしなくていいとまで言ってくれてるんだから、お言葉に甘えてみたら?先生付きで【商人】のお勉強出来るなら願ったり叶ったりじゃない」
確かにクーラの言う通りで、独学で屋台を引いて行商人でもやるかと考えていた当初の想定からは考えられないほどのスタートダッシュを切れることになる。『大いなる翼』に対する未練まで許容してくれるというのであれば、ユーリにもはや断る理由はなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「クーラさんお風呂ありがとー」
「はいはーい。それじゃあ今日はお客さんも泊まってないしテキトーに部屋使っていーわよ」
酒場ラ・クーラの二階は簡素な宿泊施設になっている。酔い潰れて正体をなくした客が放り込まれるための部屋が幾つかあり、それとは別に奥には店主であるクーラが寝泊まりする部屋がある。そしてそこは最低限宿泊に足るだけの設備があるだけの客室の簡素さとは打って変わって実に煌びやかな空間になっていた。
店の片づけを手伝った後ユーリが招待されたのはそのクーラの私室だった。【アイテム使】のサガか酒場の女主人の部屋とはとても思えないほどの豪華な調度品の数々を興味深そうに眺めている。
「ラ・クーラってもしかして俺が思ってるよりだいぶ儲かってる?」
「ま、キミのツケの支払い待ってあげられる程度にはね。とは言っても、ここにあるのは大半が貰い物よ。魅惑の女店主さんの気を引きたい男性陣が頑張って身を削って買ってきてくれたレアものばかり」
「魅惑の女店主……?」
「世間一般ではそういうことになってるのよ。キミの食指が動かなくてもね」
クーラが言う通り、ユーリは気の抜けた薄着の女店主を前にして性欲の欠片すら見せていなかった。人生で出会って来た中で彼女に一切欲情しなかった男などそれこそ子供から老人に至るまで一人を除いてクーラの記憶にない。そしてまさに眼前の青年こそは、その類稀なる一人だった。
「しかしまさかあのユーリをお部屋に招待することになるとは思わなかったわ。孤児院にいた頃から随分縦に伸びたものね」
「まあ冒険者として頑張って来たんでねこれでも」
豪奢なソファの上、出された紅茶とクッキーをつまみながら笑うユーリの姿はクーラにとっては見慣れたものだ。彼が冒険者として仕事を始める前、≪エデンの森≫という孤児院にいた頃からクーラは彼を含めた『大いなる翼』のメンバーたちと知り合いだった。
「ほんとに……キミたちが『大いなる翼』なんて大仰なパーティーになるとは、昔は想像すらしてなかったわ」
このパラディーア王国には数多の冒険者パーティーが存在しその数だけ様々なパーティー名も存在するが、『大いなる』の名を名乗れるパーティーはほんの一握りだ。国王アジュールが認めた王国で最高峰の冒険者パーティーのみが名乗れる誇り高きパーティー名。それこそが『大いなる』の称号なのである。
「『大いなる翼』を拝命した時は嬉しかったなぁ。ここで倒れるほど飲み明かしたっけ」
「ふふ、後片付けが大変だったからよく覚えてるわ。でも同時に嬉しかった。キミたちが森を出た後ちゃんと冒険者としてやっていけるのか正直心配だったから、国王様に認められた以上安泰だって……そう思ったんだけどねぇ」
「……クビにされてしまいました」
忘れていたわけでもなかろうが改めて思い起こすとやはりショックなのだろう。ユーリの表情が一瞬で暗くなった。
「ねぇ?何か喧嘩したってわけでもないんでしょう?」
「それが全然記憶にないんだよね……急にクビって言われて放り出されただけ」
クーラも長らく酒場で冒険者たちを見て来ているだけあり、冒険者パーティーの仲の良し悪しくらい見て取れる観察眼は持ちあわせている。そしてそのクーラから見ても『大いなる翼』は特に人間関係に問題を抱えているようには見えなかった。ただ一点を除いては、だが。
ふと思い立ってその一点をつついてみようとクーラはテーブル越しに身を乗り出した。胸の谷間を強調するような姿勢になるが、ユーリは特に恥ずかしがるでも視線を逸らすでもなく暗い表情でクッキーを頬張っていた。
「……ところでなんだけど、ユーリはアリスとローズとレインの中だと誰が一番好きなのかしら?」
「………………………………………………………………寝るね」
冒険者として培った身体能力の賜物か、バネ仕掛けのように即座に立ち上がったユーリはしかし逃げることを許されなかった。どのような技術かクーラに服の裾を引っ張られると同時、ユーリの身体はまるで引き寄せられたかのようにストンとソファに舞い戻ることとなったのである。
「まあ待ちなさいな。コイバナくらい聞かせたって罰は当たらないわよ?」
にこやかに、しかし有無を言わさぬ圧力を発する家主には流石に抗えず、珍しく年相応に不貞腐れたような表情で青年はそっぽを向いた。薄着の美女を前にしても欠片も赤くなっていなかった頬が見る見る紅潮していく。
「……なんでまたいきなり」
「いやぁユーリがあの子たちのこと大好きなのはもう見てればすぐ分かるのよ。でも結局誰が一番なのかなぁって。気になるでしょ?」
「………………言いたくない」
「あらあら」
先ほどミレイユに不義理がどうのと言って格好つけた青年の姿は何処へ行ったのやら。あからさまにへそを曲げた様子のユーリにクーラは懐かしさを抑え切れなかった。
幼馴染たち絡みの恋愛話をするとユーリは決まって顔を赤くして答えを渋る。それは彼が冒険者になる前からのお約束の光景だった。自分になびかない珍しい男が幼馴染たちだけには恋愛感情的なものを見せる光景をクーラ自身は微笑ましく思っていたものである。
そしてまさにクーラが感じ取っていた『大いなる翼』の人間関係の問題とはそこだった。ユーリが三人を平等に大切に思うのとまるで対になるように、三人からもユーリに恋慕の情が向けられていることを女店主はひしひしと感じ取っていたのである。加えて恐らく、ユーリ自身は三人からの想いを親愛の情であり恋愛の情とは考えていないのだ。
(なんとなくその辺の絡みがユーリがクビになった原因を担ってる気が、するんだけどな~)
勿論確証はない。もしかしたらクーラの全く感知し得ないところで『大いなる翼』は何か問題を抱えており、それが原因でユーリが放逐された可能性はいくらでもある。しかしながら、でもそっちの方が面白いじゃんと自分の中で結論付けてしまうのがクーラという女性だった。
結局その日、女店主はユーリに絡みつつ散々彼に恋愛絡みの質問をぶつけて遊び倒した。疲弊し切ったユーリが翌日目を覚ましたのは、既に日が高く上った頃だった。
もしお手間でなければご意見、ご感想等頂けると励みになります。