男は憎んでいました
その男はフリード商会にアイテムを卸すことを生業にする【錬金術師】だった。彼が卸すアイテムの中でも特にポーションは評判が良く、卸し先のフリード商会からも決して低くない評価を得ていた。
しかし、ある時アイテムをフリード商会に運び込んだ時ふと客の他愛ない会話を耳に挟んでしまったのだ。
「やっぱフリードのポーションはバルバラのには劣るよな」
男はプライドが高い性質だった。湧き上がった怒りをその場では飲み込んだにせよ、品物を納品したその足でバルバラ商店に出向き自分のものより上等だという件のポーションを購入したのは言うまでもない。
そうして、買ったそのポーションを口にして男は後悔した。ポーションを作り慣れている自身の舌が、鼻が、喉が、そして身体が余さず伝えて来たのである。自身のポーションがバルバラ商店のそれより圧倒的に劣っているという、知りたくもなかったその現実を。
男は決して褒められた人間性ではなかったが、努力することの大切さを知っていた。とにかく負けたままでいてなるものかと、足しげくバルバラ商店に通いつめ、ポーションを購入してはそれに近付けるよう必死にポーション作りの腕を磨いた。
その甲斐あってと言うべきか、男のポーションの質はそれ以前とは比べ物にならないほど向上した。男の努力は実を結び、いつしか彼はフリード商会にアイテムを卸す幾人もの【錬金術師】たちの中でも随一のポーション作りの名手として褒めそやされるようになった。
それが何より、男の怒りを煽った。
何がポーション作りの名手だ。自分に憧憬や嫉妬を向けている他の【錬金術師】どもは一体何を考えているのだ。未だバルバラ商店のポーションには遠く及ばない自分のポーションを指してどうしてそんなに羨めるというのだ。
結局名声を得た段に至ってもなお、男のポーションは目指すポーションの域には辿り着いていなかった。努力量が違うのか、素材が違うのか、それとも才能が違うのかは分からないが、しかし男は辿り着けないなら辿り着けないなりに努力することをやめなかった。
そうして彼がまたもポーションを買うべくバルバラ商店に赴いたある日、ちょうど店から出て来る人影とすれ違った。
勿論、ただ人とすれ違う程度のことは生きていれば幾らでもある。男も特に何を気にすることなくそのまま店に立ち行っただろう。その相手が、黒髪の青年でさえなければ。
ユーリ・ユーベルの雷名は男も当然聞き知っていた。国王に認められた特級パーティー『大いなる翼』の一人にして、国内、大陸、当代の全てにおいて最高とされる黒髪の【アイテム使】。
男の胸はざわついた。黒髪の青年を目にしてユーリ・ユーベルを連想するのは仕方のないことではあるが、あの黒髪の青年が仮に件の【アイテム使】その人だったとして一体バルバラ商店になんの用があったというのだろう。
男も決して【アイテム使】という職に詳しいわけではないが、一般的に使う大半のアイテムを彼らは自作してみせるという話は聞いていた。しかしそうであるならばバルバラ商店でアイテムを買う用事はない筈だ。荷物の量を見れば装備を新調したという感じの風体でもなかった。
嫌な予感にバクバクと暴れる胸を抑えながら、男は意を決して店の中を覗き込んだ。頼むから自分の想像が外れていてくれという男の願いは、しかし残酷にも打ち砕かれた。
そこには、今しがた届いたと思しきポーション類を棚に並べる店員の姿があった。
男は【錬金術師】だった。他のアイテムに関してはともかくポーション作りの専門家は【錬金術師】であるという常識と自負が男には当然根付いていたし、件のバルバラ商店にポーションを卸している何者かもまた凄腕の【錬金術師】に違いないという考えを疑ったことなどなかった。有り体に言って【アイテム使】など見下していたどころか眼中にすらなかったのだ。
だからこそ、男は【アイテム使】に負けたという現実を受け入れられず目を逸らした。真に男が黒髪の【アイテム使】に敗北した瞬間とは、初めてバルバラ商店のポーションを飲んだ瞬間ではなくもしかしたらこの瞬間だったのかもしれない。
男はその日からポーションの研鑽をやめた。目を逸らし蓋をしながらも胸にくすぶり続ける敗北感に苛まれながら、男は濁った瞳でフリード商会からの賛辞を受け、心の上辺のところで喜ぶフリをし続けていた。
突如として件の【アイテム使】が所属パーティーを放逐されたと聞いた時も心は晴れなかった。路上で大嫌いな男と【アイテム使】が喧嘩をしていたのを目撃した時も心動かされることはなかった。心の何処か深いところで、何がどうなろうと自分はあの黒髪の青年に敗北したのだという思いが残り続けていた。
悔しさに駆られ何度【アイテム使】という職を貶す言葉を吐いただろうか。その度に心が軽くなるどころか自身の惨めさを直視させられ、より深く【アイテム使】への憎悪を募らせる悪循環。
そんな男が、組織に目をつけられたのは必然だったのかもしれない。
『影の王国』を名乗る組織の女が男の前に現れたのは、まさに件の【アイテム使】が酔っぱらって公共の往来で喧嘩を繰り広げた翌日だった。スラリとした美しい体躯をローブで包み、顔を仮面で隠した女は唐突に男の前に現れ言ったのだ。
「ユーリ・ユーベルへの恨みを晴らしたくないですか」
日頃から恨み言を吐き散らしていた男である。自分が黒髪の【アイテム使】に憎しみを抱いていることを余人が知っていることに不自然さは感じなかったものの、さりとて怪しすぎる女からの突然の問いかけに困惑したのも無理からぬことだっただろう。
しかし結論から言えば、男はその言葉の魅力に勝てず誘われるがままマリス街の国営集合住宅へと出向いていた。国営住宅のくせに周囲に見回りの王国兵の一人もいないことを不審に思わないでもなかったが、女は一言魔法のようなものですよと言って男の疑念を消し去った。
女は男にその集合住宅がユーリ・ユーベルの倉庫兼自宅であり、これから火災に見舞われる予定である旨を伝えた。勿論男は泡を食った。いくら憎き【アイテム使】の家であろうと国営の建物に放火など国に喧嘩を売るようなもの。バレたら大罪を問われるのは確実ではないか。
「ご安心ください。貴方が放火の罪に問われることはありません。燃やすのは飽くまで我々ですので」
いつの間にか男は武装した仮面の集団に囲まれていた。今更逃げることも許されない雰囲気に男はホイホイ出向いた自分の迂闊さを呪い、そして同時にその状況を逃げられないのだから仕方ないという己への免罪符にした。
女が指示したのはユーリ・ユーベルの倉庫から好きなアイテムを好きなだけ盗むこと。ただそれだけだった。盗んでどうしろというわけでもない。研究するも捨てるも本人に返すも男の自由だと女は言った。
男は言われるがままに大量のポーションを含む様々なアイテムを盗み、そのクオリティの高さに愕然とした。何やら見慣れない道具もあったが、嫉妬や憎しみを度外視すればその倉庫は男にとって宝の山にも等しかった。
もしも男が腐る前であったら、彼はプライドにかけて盗んだポーションを自分の成果物と偽って売ることなどしなかっただろう。しかし、既に男は腐り果てその高潔なプライドは地に落ちていた。
男は盗んだポーションを自分が新たな製法で作ったポーションと宣い、フリード商会に卸した。今までとは段違いの高品質ポーションなどと言って格安で卸した男は、その物言いが自分で自分の誇りを貶めていることに気付きもしなかった。
フリード商会は大喜びだった。どうやってこんな素晴らしいポーションを安価で作り上げたのか。まさに天才。貴方こそ天の与えたもうた究極の才能だ。男への賛辞が尽きることはなく、醜いことに男はその賛辞を受け心地良く勝ち誇った気分に浸っていた。
どうだユーリ・ユーベル。お前でもその品質のポーションをこんな値段で売ることは出来まい。しかし自分は出来た。やってのけた。何やらバルバラ商店で【商人】の真似事を始めたなどと聞くが、これを続けて行けばお前に吠え面をかかせられるに違いない。そう思った。
ついでに噂も流した。マリス街の国営住宅放火の犯人は『紅の獅子』の【剣士】である。彼はユーリ・ユーベルに負けて恥をかいた報復として、その住処に火を放ったのだと。
個人的な恨みから来たその根も葉もない噂は、思った以上にあっさりと広まった。かの【剣士】がユーリ・ユーベルに敗北した件は王都では広く知れ渡っており、【剣士】自身の荒々しい印象も合わせてあいつならばやりかねないと人々が納得したのが大きかったのだろう。
何もかもが上手く行って有頂天になっていた男に、しかし問題はすぐ降りかかった。幾ら大量に盗んだとは言え男が自分で作れない以上、ユーリ・ユーベルのポーションは有限。しかも一方で客の反応に気を良くした何も知らないフリード商会はあの時のポーションをまたあの値段でと次々に催促して来たのだ。
男は歯噛みした。もっと数を絞って小分けにして卸せば良かったと今更考えても後の祭り。さりとて盗品だから作ることは出来ないなどと白状するわけにも、同じものが置いてある筈のバルバラ商店から盗むわけにも行かず進退窮まったと言えた。
そんな時、男はふとフリード商会の店先で聞いたのだ。
「ユーリ・ユーベルの焼けた家の跡には秘密の地下室があって、そこには火の手から逃れたポーションがたんまり詰まってるらしいぜ」
そんな話をしていたのは金髪の少年と茶髪の少女だった。確かフリード商会の名物会長の娘の友達だったろうか。会長は親の意に反して危険な冒険者などになったお転婆娘を心配しつつも溺愛しており、何度か顔を見た経験が男にもあった。
男はその真偽不明の噂話に縋ることにした。とにかく状況が好転するのであればどんな細い糸にも縋りたい気分でいっぱいだった。
男が再び焼け跡に出向いたのは深夜だった。その日は年に一度の祝日であるフェスタ記念祭。王国兵も大半が王城に集められており、マリス街の件の焼け跡を巡回している王国兵の姿もなかった。
男は焦っていた。マリス街は閑散としている倉庫街であるため夜更けに人が訪れることはなかろうが、さりとて地下室とやらの入り口が何処にあるか分からない以上探す時間は必要になるし、最悪探している間に朝日が昇るということもあり得るかもしれない。手下を使って手分けして探すという手もあったが、彼の手下は目立つ。下手に出したらそれこそ何かの拍子に人目につく原因になりかねない。
だからこそ、男は彼らの存在に気付かなかった。暗がりの中一人で必死に地面を探り回る自身が、突如灯ったランプに照らし出されるまで。
急な明かりに照らされ咄嗟に目を細めた男の視界に、二つの人影が飛び込んで来た。片方は例の黒髪の【アイテム使】で、もう片方は忘れもしない。憎きスカーフェイスの巨漢だった。
「よう、こんな夜分にこんなとこで合うとは奇遇だな?ジェイル・ドレイダード?」
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