ライオが立ち上がりました
「お前は解雇……ということにもなり得るかもしれんな」
『紅の獅子』の共有ハウスでは、二人の男が向かい合っていた。
片方は陰気そうな面持ちの長髪の青年だった。目つきが悪くまるで睨み付けるような表情で向かいに座る男を見ているが、それは特に怒りから来るものではなく彼の平常時の表情であることを『紅の獅子』のメンバーは全員知っていた。
『月光戦団』などと肩を並べる第一級冒険者パーティーである『紅の獅子』。そのリーダーにして【魔法使】を務めるのが彼、リハルト・クライムジオンだった。
「ま、待ってくれ!待ってくれよリハルト!解雇って、ど、どういうこった!?」
突然の宣告に泡を食ったのはテーブルを挟んでその向かいに座るスカーフェイスの巨漢ライオ・バルステンである。急に立ち上がった主の動揺に呼応するかのように身に纏った軽鎧ががちゃりと大袈裟な音を立てる。
『紅の獅子』は武闘派で鳴らしているパーティーであり、【魔法使】であるリハルトを除けば他は皆いわゆる前衛職―――魔物の類に真っ向から立ち向かうのが仕事の面々ばかりである。その中でもライオは『紅の獅子』にその人ありと謳われた主力の一人だった。
「まさかその……アレか?この間俺がユーリの奴に後れを取った件か!?」
その彼を追放、解雇する理由として真っ先に思いつくのが先日の失敗。ラ・クーラで酔っぱらった挙句冒険者仲間たちの前でよりにもよって【アイテム使】に敗北するという醜態を演じた一件だった。それがリハルトの耳に入り、【アイテム使】に負ける【剣士】など『紅の獅子』には不要という結論に至ったのではないか。そう考えたライオは慌てふためいた。
「アレについちゃ弁明させてくれ!こっちは酔っぱらってたが相手は素面でいやがったんだ!いつの間にか自分ばっかちゃっかり酔い覚まし飲んでやがったんだよ!【剣士】が【アイテム使】との喧嘩で負けて何言ってんだと言われるかもしれんが、フェアじゃなかったんだ!」
顔面を蒼白に染めながら必死に言い訳を重ねるライオに、しかしリハルトの反応は冷淡でありながらも微妙だった。
「その件に関係がないというわけではないが、それが原因というわけでもない」
「な、何ぃ?」
直情的で結論を急ぎがちなライオと異なり、このリーダーの言葉は若干迂遠なきらいがある。【魔法使】らしい思慮深さと言えばそうなのだろうしライオも彼の賢さには信頼を置いているが、性分としてもどかしく思ってしまうのは仕方ないと言えただろう。
疲れたように一つため息をつくと、リハルトは一枚の紙を取り出しテーブルの上に広げた。
「先ほど、お前が留守にしている間に王国兵の取り調べを受けた。理由は最近街で囁かれている噂。『紅の獅子』の【剣士】であるライオ・バルステンがマリス街にある国営の集合住宅に火を放ったという噂についてだ」
寝耳に水の話。広げられた紙を見れば、確かに今しがたリハルトが口にした通りの内容が書かれた取り調べ書だった。容疑者の欄にはしっかりライオ・バルステンの名前が記載されている。
「あちら曰く、まだ容疑の段階であって罪が確定したわけではないらしいがな」
「あったりまえだろ!?」
全く身に覚えのない嫌疑に、豪胆で知られるライオも流石に泡を食って否定した。国営住宅に火を放つなど、王族に直に喧嘩を売るような所業である。如何に学の足りない彼とて、それを成すことが勇気とは別物の愚かしい行為だということくらいは理解出来た。
「大体、なんで俺がマリス街行ってしかも放火なんかしなくちゃなんねぇんだよ!?あんな寂れたとこに用事なんか一切ねぇぞ俺ぁ!」
マリス街と言えば冒険者が荷物置きに活用する倉庫街ではあるが、『紅の獅子』でそういった荷物の管理をするのは今はリハルトの仕事である。頼れるリーダーは一切抜かりなく荷物の手配や運用をこなすため、ライオ含め他のメンバーは年単位でマリス街に用がないのが現実だった。
唾を飛ばすライオをじっと見つめるリハルトの眼は、彼の言葉の真偽を見極めようとしているかのようだった。次いで静かに席を立つと、【魔法使】はライオに背を向け窓越しに外の風景を見やる。
「件の焼けた集合住宅に住んでいた者は幸いなことにごく僅か……と言うか一人だけだったそうだ。まあロザリディアまで距離もある安普請の住宅だ。よほど酔狂な者以外は住まんだろう。その一人はちょうど留守にしていて本人は難を逃れたようだが、果たして誰だか分かるか?」
「分かるわけがねぇだろそれだけの情報で。……いや待て、おいまさかさっき言ってた関係がないわけじゃねぇってのは」
声を震わせるライオに、振り返ったリハルトは首の上下運動のみで肯定を示してみせた。
「『紅の獅子』の【剣士】がその住人と決闘まがいの喧嘩をし、しかも人前で敗北するという醜態を晒して大いに恥をかかされた。そしてその翌日、その住人は家を焼かれて家財の一切を失う大打撃を受けた。件の喧嘩はギャラリーも多く、人々が因果関係を見出してもなんの不思議もない状況だ。そうは思わないか?ライオ」
「……嘘だろぉ?」
ライオは思わず天井を仰いだ。自分の置かれた立場の悪さより何より、『大いなる翼』をクビにされ自分と喧嘩をしその翌日に家財を焼失した黒髪の【アイテム使】の運の悪さに対する呆れがまず最初に【剣士】の胸中を満たした。
「ああ……ああなるほど理屈は分かった!そりゃ確かに俺が疑われるかもな!だが信じてくれリハルト、俺ぁ誓ってマリス街になんか行ってねぇ!それどころかユーリの奴の家がマリス街にあるってコトすら今初めて知ったくらいだ!」
なんの証拠もなくただ信じてくれなどと喚いてみせたところで、一体誰が信じるというのか。しかしそこは長年同じパーティーで培った信頼関係というものがある。リハルトはライオの言葉に鷹揚に頷いた。
「……無論。信じるとも」
「リハルト……!」
『紅の獅子』は結成してそれなりに長い。パーティーとしては結成して三年の『大いなる翼』を基準にすれば、その倍以上の期間行動を共にしている。その中でメンバーの移り変わりもあったが、リハルトとライオに関しては創設初期からいる相棒のような間柄だった。
「私は、な」
そしてそんな間柄だったからこそだろうか、続いた言葉にライオは嫌な予感を感じざるを得なかった。
「足りない頭で考えてみろ、ライオ。私が一人お前の無実を信じていただけでなんの意味がある?このまま行けばお前は最終的に証拠不十分で罪に問われず済むかもしれない。が、同時にお前のその頼りない証言だけで真実身の潔白を証明することなど出来よう筈もない」
「そりゃあ……」
「そうなれば人々の多くは証拠が出なかっただけで犯人はお前であるという認識で結論付けるだろう。そして、当然の流れとして『紅の獅子』は情けない理由で考えなしに国営住宅に放火した【剣士】を擁する呆れたパーティーとしてその名を失墜させる。ギルドから受けられる仕事も制限がつくかもしれんな?他のメンバーにも、勿論迷惑がかかる」
冒険者パーティーには格というものがある。ギルドの内部的なもので依頼の遂行実績や世間の評判によって左右されるが、一般的に『大いなる』の名を持つパーティーは不動の特級パーティーとされその下に第一級第二級と続いて行く。そしてその級位に準じて受けられる依頼の水準もまた変わって来るのである。
その中で『紅の獅子』の分類は第一級パーティー。実力に疑問点もなく、世間的な評判も決して悪くないトップクラスのパーティーである。しかしながら放火魔を抱えているなどという風聞が世間に広まったらまず降格は免れないどころか、二度と昇格の可能性がなくなるほどにその名が汚れる可能性すらある。国営の建造物への放火というのはそれほどまでに罪深い行いなのだ。
「分かるな?私が幾らお前を個人的に信じてみせたところで、そこにはなんの価値もないのだ。そして事態が好転しないのであれば、私は『紅の獅子』全体のためにお前を解雇する判断を下さざるを得なくなる」
ライオは悔しさに歯噛みした。リハルトの判断は正しい。この冷徹なリーダーは過去にもパーティーの害になりそうな人物を幾度となく解雇し、追放して来た。そうして合理的な判断を下すことで彼は『紅の獅子』を第一級パーティーにまで押し上げたのだ。
その順番が今度は自分に回って来ただけ。頭ではそう分かっていても、きっぱりそう諦められるほどライオは割り切りの良い性分ではなかったし、『紅の獅子』に対する愛着も薄くはなかった。
「お前はもし私が自分の感情優先でパーティーに害あるメンバーを贔屓したらどう思う?例えば私がパーティー内で恋愛でもして、その女の気に食わない人物を冷遇する。もしくは逆に私が恋したチームメンバーへの独占欲に駆られパーティーへの貢献度を考えずその人物を放逐でもしたら、どう思う?」
唐突な問いに、しばし考えてライオは口を開いた。
「……そんな奴に、パーティーのリーダーは務めて欲しくねぇと思うさ」
「だろう?私もそう思う。組織の運営とは冷徹に、個人の感情を抜きにしてフラットに行うべきだ。そしてそれはこの私の数少ない友と言えるお前に対しても、残念ながら例外ではない」
語る平坦な声色とは裏腹にリハルトの拳は震えていた。激情を抑え込んでいるかのその様子に、ライオは思わず目を見開いた。
リハルトも辛いのだ。共に戦って来た、何度も一緒に窮地を乗り越えて来た相棒にこんな話をするのは。しかしリーダーとして耐え、その上で必死に冷徹を装っているのだ。
「私は『大いなる翼』の面々を、そしてリーダーのアリス・エデンを尊敬する。彼女はどんな理由かユーリ・ユーベルを切り捨ててみせた。私も何人か解雇しては来たが、彼女らの場合はあれだけ仲睦まじく互いに信頼し合っているように見えたパーティーだ。恐らく何かやむにやまれぬ事情があったのだろうが、当然葛藤もあっただろう」
リハルトが出したのは、ちょうど渦中の【アイテム使】を解雇した特級パーティーの話題だった。
確かにライオの知っている限り、『大いなる翼』というパーティーは数ある冒険者パーティーの中でも特筆して仲が良かった。何故ユーリがあのパーティーを放逐されたのかライオには皆目見当もつかなかったためあの日は思いつくまま煽り倒したが、いきなり仲違いしたより何か仕方ない理由があったと考える方が自然かもしれない。
「友を切り捨てる葛藤をあの年若さで乗り越えてみせる。その強さあったればこその特級パーティー。現状の我らは第一級止まりではあるが、だからと言って劣っていて良いというわけではない。むしろ劣っていればこそ、優れた者の優れたところは率先して見習うべきだ。……何が言いたいか、分かるな?」
見習って、たとえ友であれパーティーに仇なす因子は取り除くべきだ。そう言いたいのだろう。もはや絶望的な気分になりながら、縋るようにライオはリハルトの顔を見た。
「……俺の解雇は、確定かよ?」
「昔からそうだが、つくづく結論を急ぎ過ぎるなお前は。私は言ったぞ。解雇ということになり得るかもしれん……とな」
返すリハルトの冷酷な目にはしかし、長らく共にやって来た相棒に対する一抹の呆れが浮かんでいた。青年は巨漢に歩み寄ると常日頃の彼らしからぬ熱気を込めてテーブルを力強く叩いてみせた。
「良いか?どれだけ稼げるかは分からんが、しばらくは私が王国兵の追求から時間を稼ぐ。その間にお前は何としてでも身の潔白を証明してみせろ」
「ど、どうやって……?」
その珍しい剣幕に気圧されたライオに、リハルトは続けて吐き捨てる。
「知らん。だが『紅の獅子』に居残りたいならなんとかしてみせろ。一番簡単な方法は真犯人を探し出すことだが、それもどうすれば良いのか皆目見当もつかん。何せ偶然通りがかりに燃やした通り魔的犯行の可能性すらあるのだからな。だがなんにせよそれを成せなければ、ジェイルたちのようにお前を『紅の獅子』から放り出さざるを得なくなる」
無理難題は百も承知。しかしそれでもやってみせろと彼は要求しているのだ。他ならぬライオと、そしてその身の潔白を信じるリハルト自身のために。リーダーから向けられた熱に気付いたライオは、こんな状況でありながら己の胸にもまた熱いものが込み上げて来るのを感じていた。
「リハルト……!お前……!」
「皆まで言うな。私とて、お前をこんな形で失いたくはない。これが『紅の獅子』リーダー、リハルト・クライムジオンに出来る最大限の譲歩だ。分かったな?」
「……っ!あぁ、前途多難だが、やれるだけやってみらぁ!」
ライオ・バルステンによるユーリ・ユーベル宅放火事件の犯人捜しは、こうして幕を開けたのだった。
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