王妃様が笑っていました
「先生にとってはまだそんなに昔でもないんだけど、キミたちにとっては生まれる前だから本当に昔の話になるだろうね、この大陸を魔族の脅威が襲ったんだ」
「まぞく?まぞくって何?」
「魔族っていうのはね、とってもこわーい怪物たちのことだよ。魔物とは違って、人間より頭が良くて、人間より強くて、選ばれた人間しか太刀打ち出来ない。そんな存在のことだ」
「今はいないの?まぞく」
「魔族の王様たちが倒されたからね。王様に従っていた怖い魔族たちはもう残ってなくて、人間に友好的な魔族がたまに顔を見せるくらいかな」
「ふーん」
「……ねぇユーリ。つまんない。あっちでクーラお姉ちゃんと遊ぼうよ」
「えー……ボク先生のお話聞きたい!アリスはお姉ちゃんのとこ行ってきなよ」
「うぅ、ユーリが一緒じゃなきゃやだ!じゃあアリスも先生のお話終わるまで待つもん」
「ははっアリスにはつまらなかったかな。ごめんね。でもこのお話は、むしろアリスに関係あるお話なんだよ?」
「……知ってるもん。でもアリス、その人のこと知らないもん」
「そっか……話を戻すね。そんな魔族たちが大陸狭しと暴れ回っている中、立ち上がった若者たちがいたんだ。彼らは剣と魔法と拳と祈りで大陸各国を襲っていた魔族たちを倒し、最後にその王様たちをやっつけた」
「ボク知ってるよ!【勇者】グレンでしょ!」
「おっ!良く覚えてたねぇ。偉いぞユーリ。じゃあ【勇者】グレンのお名前は全部言えるかな?」
「……分かんない」
「ははは、グレン・アルバーンだね。選ばれた者にしか使えない光の聖剣を使い、異世界の知識を持つ当代の【勇者】。じゃあその仲間のお名前は言えるかな?」
「王様!アジュール王様がグレンと一緒に戦ったんでしょ!?」
「そう、アジュール・イル・パラディーア王子……って今はもうユーリの言う通り王様、国王様か。かのお方がリーダーとなったのが魔族討滅を志した名高き冒険者パーティー『大いなる希望』だ」
「凄いねアリス!『大いなる希望』だって!」
「……別に凄くないもん。ユーリの方が玩具作れて凄いもん」
「アリスは本当にユーリのこと大好きだなぁ。流石に『大いなる希望』と比べるのは先生もハードル上げ過ぎだと思うんだけどね」
「ボクもアリスのこと好きだよ!」
「あーそうだねぇ。多分ユーリの好きとアリスの好きって違うんじゃないかと先生思うけど、まあいいや。じゃあユーリ、『大いなる希望』のメンバーは他にも何人かいるけど、代表的な名前あと二人挙げられるかな?」
「……?」
「男の子だねぇ。やっぱり男性冒険者がヒーローか。でもね、覚えておくといいよ。確かに【勇者】グレンもアジュール国王も『大いなる希望』の重要なピースだった。でも、彼らだけで世界を救えたわけじゃない。冒険者パーティーっていうのはみんなが集まって初めて真価を発揮するんだ。その一部だけでことを成せるほど簡単なものじゃないんだよ」
「……良く分かんないや」
「うん。今は分からなくて良いさ。いつかきっと分かる時が来る……かな?まあ冒険者になるんでもなければ分からなくていいけど」
「ねえねえ、先生!あと二人は?あと二人はどんな人なの?」
「うん、まず一人目は王妃様。国王様のお嫁さんのシルヴィア様だ。とっても強くて、【勇者】グレンでも一対一じゃ一度も勝てなかったと言われているね」
「国王様のお嫁さん……?いつも隣にいる金色の綺麗な人?」
「そう、たまにこの≪エデンの森≫にもいらっしゃってるけどね。……アリス?どうしたのぶーたれて」
「なんでもないもん。アリスだって大人になったら王妃様みたいに綺麗になるもん」
「ありゃりゃ……なるほどね、やきもちか。それじゃまあ最後の一人。この方は私たち≪エデンの森≫という孤児院とは一番関係が深いお方だ。何せ私財を投じてここを作ってくださった張本人だからね」
それまで饒舌にユーリとアリスに語り聞かせていた≪エデンの森≫の先生ことエイラ・ブレッドがその人のことを語る時ばかりは悲しげに顔を歪めたこと。それはユーリ・ユーベルの脳裏に印象強く刻みつけられた記憶だった。
「【聖女】リリス・エデン様。……アリスの、お母さんだよ」
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パラディーア王国の王宮は美しい花に囲まれた自然溢れる場所である。賢王アジュール、王妃シルヴィア、そして王子二人と王女一人が住まう宮殿の防備は堅牢であり、数多くの凄腕の衛兵がところどころに配置されている。
そんな王宮の奥にある王妃の私室は、王宮でも一際防備が手薄なことで知られていた。
勿論、理に反してはいる。通常王妃と言えば国王に次ぐ権力を持つ国家の重要人物。である以上最低でも王子王女たちの私室に並んで防備が堅牢になるのが自然の摂理というものだろう。
しかしながら、シルヴィア王妃の私室の防備は現実として手薄。二人の衛兵がそこへ至るまでの廊下の手前を警備してはいるものの、双方女性であり且つ片方は新人王国兵ということを考えれば、誰もが万全の防備とは言わないだろう。
だが、それは真実を知らない者の抱く感想である。仮に真実を知るものならばこの防備の薄さに疑念を抱かないどころか、衛兵二人という体制を指してなお過剰な防衛力と言うだろう。そもそも、まさに守られる対象である王妃自身が何度も国王にそう提言していた。
何故ならそう、かの王妃こそは伝説の【武闘家】。このパラディーア王国を、そして大陸全土を救った最強の女シルヴィア・バルドール・パラディーアなのだから。
王妃の私室は当然豪奢である。無駄を好まない彼女ではあるが、芸術を解さないというわけでも決してない。金銀宝石の散りばめられた少なくない調度品の数々は、最も安値のものですら一つ売却すればそれだけで一般家庭が生涯遊んで暮らせるだけの価値を有している。
夜闇の中、自身で光を放っているかのような煌びやかな黄金の数々。その中にあってなお一際存在感を放つのが、一枚の巨大な絵画だった。純金の額縁に彩られ数人の若者が描かれたそれは、国王がまだ王子だった頃王宮お抱えの絵師に描かせたものだった。
当時のパラディーア王国王子、【魔法使】アジュール・イル・パラディーア。
異世界の知識を持つと言われる王子の親友、【勇者】グレン・アルバーン。
王子に恋い焦がれし隣国のお転婆姫、【武闘家】シルヴィア・リィラ・バルドール。
そして【勇者】に並ぶ稀有な職業である心優しき【聖女】リリス・エデン。
彼らの冒険は苦難の連続で、四人以外に旅の途中で脱落し国に帰った者も、その判断すら出来ず命を落とした仲間たちもいた。絵画に描かれたのはその中でも最初にこの国を出立し、そして魔王の討伐を遂げ欠けることなく戻って来たメンバーたちの姿だった。
月光を受けて輝く金髪をたなびかせ、王妃はそっとその絵画に指を這わせた。その瞳に浮かぶのは過ぎ去った青春を懐かしむ懐古の情だったろうか。
王妃が指を這わせたのは愛する現国王でも、雄々しき勇者でも、若かりし頃の自分でもない。優しく微笑むもう一人の女性、自身より若干淡い金髪が目を引く美しき【聖女】だった。
この絵を描いた時のことを思い出す。どうもじっとしていることが性に合わずことある毎に姿勢を変えようとするシルヴィア姫を、リリスは優しく姉のようにたしなめたものだった。
シルヴィアとリリスは親友だった。姉妹のようだと言われたことも数知れない。シルヴィアはおっとりした優しいリリスをもどかしく思いながらも心底信頼していたし、リリスもシルヴィアの行動的に過ぎる性分を危なっかしく思いながらも好んでくれていた筈である。
同じパーティーで同じ釜の飯を食い同じ風呂に入り同じ部屋で寝て同じ修羅場をくぐり抜けた戦友にして無二の親友。そして、何より同時に同じ男を愛した大切で愛しい恋敵。それがシルヴィア王妃にとっての【聖女】リリス・エデンだった。
ふと、王妃の脳裏を当代の【勇者】である少女の姿がよぎった。リリス・エデンに良く似て整った顔の、しかし同時に国王アジュール・イル・パラディーアと同じ銀髪―――王家の血筋にしか生まれ得ない筈の煌めく色の髪を持った少女、アリス・エデンの姿。
くくっと、王妃の喉が鳴った。それは時を跨がず大きな哄笑となり、王妃以外誰もいない私室に響き渡る。
数秒前の懐古の表情は一体何処へ行ったのか。王妃の顔にはその苛烈さに似合う凄絶な笑みが浮かんでいた。その内心に去来しているのは果たして笑うに相応しい愉悦だろうか、それとも他の何かだろうか。傍から見る者すらないその場には、王妃自身以外にその内心を知り得る者も当然存在し得なかった。
「くくっはははっ!【聖女】!【聖女】ねぇ!まったく笑わせてくれるわぁ!リリス!ねぇリリス!産まれたばかりの娘を置いてさっさと天に召されてしまうだなんて、【聖女】以前に母親失格というものじゃないかしらぁ!?」
皮肉げに顔を歪めながら、王妃は真横にあった姿見に向き直った。紫と黄金で毒々しく装飾されたそれは鏡として当然の仕事と言わんばかりに持ち主の美貌を克明に映し出すが、次第にその像を崩し全く別のものを浮かび上がらせる。
「なぁんて、冗談よ冗談。安心しなさい?貴女の娘である【勇者】サマは、この私がちゃんと可愛がって面倒を見てあげているから。召されてしまった貴女が心配することなんて、これっぽっちも、一切、欠片もないのよ?くくっ泣いたりしなくていいわよぉ?だって私たち親友ですもの、ねぇ?」
王妃の像が掻き消え鏡に新たに浮かび上がったのは、今まさに王妃が語り掛けていた絵画の中の【聖女】リリス・エデンその人だった。彫像のように目を閉じ、一切の身動きもしないままその両目端から流れた涙が頬を伝う。
勿論、現実の王妃と鏡の間にリリス・エデンの姿など欠片もない。当然だ。王妃の眼前にあるそれは現世に在る実像を映し出す尋常な道具ではなく、冥府に在る死者の魂という虚像を映し出す魔のアイテムなのだから。
まるで鏡にその魂を囚われているかのような【聖女】の姿に、しかし王妃は一切慮るような様子も見せない。本人の発した親友という言葉が果たして本心なのか疑わしくなるほど、鏡に対する王妃の語気は強烈だった。
「そう言えば貴女の娘の想い人なんだけれど、ふふっ、笑ってしまうわぁ。よりにもよって貴女の娘に追放されたのに、それでも大事!あの子のことが本心から大事なんですってぇ!素敵ね!えぇ素敵だわぁ!純愛ってそういうものよねぇ!まったく、王妃様の勧誘を蹴ってまでパーティーに戻る目を残したいとか筋金入り!度し難い愚かしさだけど、くくっ、まあそれならそれでいいわ。ええいいでしょうとも!」
王妃は一通り笑い終えると、傲然と微笑んだまま鏡横の壁に手をついた。それはまるで獲物をあと一歩のところまで追い詰め、牙を突き立てる寸前の獣のようですらあった。
「どちらにせよ、私のやることは変わらない」
囁き、王妃は用済みとばかりに姿見を布で覆い隠した。
その鏡に映る【聖女】は、最後まで目を開けることなくただただ涙を流し続けていたのだった。
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