Chapter.7 / Devil's Resolution [ 悪魔のように ]
暗く深い絶望の底から、俺は目を覚ました。
重く淀んだ頭を持ち上げ、上体を起こす。制服姿のまま横になってしまったせいか、身体の節々が痛む。俺は肩に手をやり、首をコキコキと鳴らした。
ええと……何をしていたんだっけ?
俺が我が家に帰ってきたのは、二時ちょっと過ぎだった。作家であるところの親父には「どうした?」と聞かれたが、「サボり」と答えると、「そうかそうか、お前もやっとサボるような年頃になったか。今夜は赤飯だな」と宣いやがった。アホか、あの親父は。
で、上着を脱いでネクタイだけを外すと、俺はベッドに横になって紋章珠を起動させ、エフェメラルに関するドキュメントを紐解いた。記されているルールを眺めながら、何だかMMOみたいなルールだなあと思ったものだった。いや、MMOなんて手を出さないけどさ。俺の性格だと廃人になるのは目に見えてる。
あれはシャレにならないと、中学時代の同級生が廃人に変わってしまった経緯を知っている俺は思うのだった。
んで、知らないうちに眠りに落ちてしまっていたわけか。今何時だ……
俺は枕元の時計を取る。針は四時半頃をさしていた。
それにしても――酷い夢だった。
リルカの悲痛なまでの心の叫びが、今も残響となって頭の中でこだましてる。身体は至って健康なはずなのに、頭がズキズキと痛む。
「神様よ……なんだってアンタはそんなに理不尽なんだ?」
意識せず、独りごちる。別に神様なんて信じてるわけじゃないが。
リルカみたいに優しく、周りから愛されるような人間が、どうしてあんなに苦しまなくちゃならないんだ。どうして、俺みたいないい加減な人間に未来を与えてしまうんだ。
両腕に、食い込んだ爪の痛みが残っているかのようだった。だけどそれ以上に、心の痛みが深い楔となって俺の心を穿っていた。
それでも――そんな絶望的な状況にも、一欠片の希望が残されていた。
それは、エフェメラルのシステムにあった。
エフェメラルでの戦いは、無差別に繰り広げられるわけではない。平日の11時半~12時半と4時半~5時半が戦闘時間として設定されているのだが、時間になると全ての生徒は戦闘フィールドのランダムな場所に転移させられる。そこから戦闘は始まる。
そして、戦闘には"チャム"と"パーティー"というシステムがある。チャムとは仲間のようなもので、戦闘開始時に指定した相手と必ず同じ場所にエントリーすることができるらしい。パーティーはチャムを弱くしたもので、1日2回の戦いのうち1回だけ同じ場所にエントリーできるとのことだ。
チャムは1人だけ設定でき、パーティーは最大4人まで構成することができる。チャム1人+パーティー1人+パーティーのチャム1人で計4人となる。
つまり、リルカとチャムを組んで彼女を守り続ければ――あるいは、彼女を八聖珠の座に導くことができるかもしれない。
もう一つ、手段は考えられた。
俺自身が強い魔力を持っていることを利用して、「リルカを攻撃する者はあまねくぶっ潰す」と公言してしまうやり方だ。ぶっちゃけ、かなりエゲツナイ方法ではあるが……大抵の奴はこれで大人しくなるはずだ。もし手を出してくる奴がいれば――本当にやっつけてしまえばいい。
――命まで取るわけじゃないんだ。
だがそんな2つの作戦も、完璧ではなかった。
エフェメラルでの戦いは3段階構成になっている。全校生徒が256人になるまでがレベル1、32名になるまでがレベル2、八聖珠が決定するまでがレベル3だ。
そして、レベル3ではチャムとパーティーのシステムは無くなる。戦闘は完全ランダムエントリーになるのだ。さらに、フィールドは通行不可能な4つのパーティションで区分けされるようになる。
従って、別のエリアに配置されてしまうと助けることはできない。自力で凌いでもらうしかないわけだ。
すなわち、レベル3では「本当に力のある者しか生き残れない」のだ。そして、そのレベルになれば脅しなんて意味を持たなくなるだろう。
詰まるところリルカを八聖珠に導くためには、彼女自身が鍛えられなければならないことになる。しかし通常の鍛え方で見込める成長は限られたものであり、生き残れる程の力を得るためには――他人を"喰らう"必要が出てくる。
なぜかというと、魔力の成長限界は初期値の概ね数倍程度であるらしいからだ。しかし他人の魔力を得ると、現在値のみならず成長限界までもが加算される。それが、わざわざ"蟲毒"なんてものを設けて食い合いをさせる理由なのだとか。
一方、リルカの力は――属性合計47のランクF。最下級だ。他の生徒がどの程度の力を持っているのかは分からないが、まともに戦うことすら困難じゃないかって気がする。仮に成長限界に至ったとして、恐らくは俺の現在値にすら遠く及ばないだろう。
ならどうするか。答は一つだ。
俺が他の生徒を倒し、得られる力をリルカに与えてやればいい。ゼストがゼロになった人間の魔力は結晶化され、勝者はそれを取り込むことで魔力を得ていくのだ。だったなら、他人にそれを与えることもできるはずだ。
限界まで能力を引き出すのは前提としても、その限界値を上げていかなきゃならない。
結局どんな方策を取るにしろ、俺は汚れ役を買って出なければならないわけだ。
リルカを、そしてイリスを助けるために。
覚悟を、決めろ。
俺が誰かの未来を奪う訳じゃない。ほとんどの奴らは遅かれ早かれ未来――いや、過去か――を失うわけであり、手を下すのが他人か俺かの違いがあるだけだ。気に負うことも、臆することも無い。
そう――臆するな。
顔も知らない他人の未来のために、心から守りたいと願う者たちの未来を失うわけにはいかない。座が限られているのなら、どんな手段を講じてでも奪い取る。
それが――俺の信念だ。
守るため、俺は悪魔にでもなってやる。
決意を新たにしたところで、不意に携帯電話が振動した。メールの着信を知らせるパターンだ。
俺は携帯電話を開いて、メールを確認する。
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6/16 17:41
Sub RE2:RE2:RE2:RE2:RE2:RE2:RE2:RE2:
From 猿
『昼間の件の詳細を報告するように。全裸で』
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いつもの調子に、俺は思わず苦笑してしまう。少しばかりささくれ立っていた心の中が、何となく毒気を抜かれたような感じになる。
俺は返信を打つ。
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Sub RE2:RE2:RE2:RE2:RE2:RE2:RE2:RE2:RE2:
To 猿
『あとでガストにでも行かないか? お前だけ全裸で』
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送信、と。
決意してしまった以上、もうこの世界にいられる時間も少ないはずだ。イリスがこの世界にやってきたとき、次の日には帰らなくてはならなかったと言っていた。状況が変わりないとするなら――明日にでも俺はエフェメラルに向かって旅立たなくてはならないことになる。
そんな限られた時間の中で、別れる前に話をしておきたい人が何人かいた。隆もその中の一人だ。
それに……俺は、自分の考えに対する"保証"が欲しかった。
俺は携帯電話を畳んで、自分の部屋を出て一階に下りる。リビングルームにはソファに座って大画面の液晶テレビと睨み合っている親父の姿があった。
その手の中には、ワイヤレスコントローラー。画面には、仮想空間を縦横無尽に飛び回るロボットの姿。TPSという奴だ。
そして、俺はこの手のゲームで親父に勝ったことが無い。いい年してるクセをして、反射神経が人外というか、アクションゲームがやたらと得意なのだ。正直、悔しい。悔しすぎる。普通、親父ってのはアクションゲームじゃ息子に蹂躙されるのがあるべき姿だろうが。
「なあ、親父」
俺はもう一方のソファに腰を下ろし、話しかける。
「何だ?」
親父は手を止めることもせず、答える。このマルチタスクめ。
「その……なんつーか、俺が突然遠い場所に留学しなきゃならなくなったら、どうする?」
ちょっと婉曲的に、自分の胸の内を説明しようとする。
「そりゃまた抽象的な質問だな。留学、か。まあ寂しいとは思うが……肝心なのは、お前がどう思うか、だな」
画面ではアームズフォートと呼ばれる巨大要塞が沈むところだった。
「留学がお前にとって必要だったり、どうしても行きたい理由があったりするのなら止めはしないよ。お前がそういう強い意志を持つに至ったことを歓迎して送り出すさ」
「そっか」
俺は、どこまで説明していいものかを考える。戦い、なんてのはダメだ。いくら俺が安全な位置に立っているからって、心配させてしまうのは目に見えている。
「女の子が二人、いてさ」
言葉を選んで、言う。
「一人は、俺がそばにいなきゃダメなんだ。その……なんて言うか、その子は意に沿わない結婚を強いられてるんだけど、別に男がいるならその限りではない、っていうような感じで。その男役が俺で、さ」
「ほう」
「もう一人は文通みたいなのをしてる子なんだけど、重い病を患ってるんだ。それで、俺の身体の一部を移植すれば助かるかもしれなくて、俺はどうしてもその子を助けてやりたいんだ」
「ふむ」
親父がゲームをポーズして、手を止める。
「それは、何とも美少女ゲームに出てきそうなシチュエーションだな」
こちらを見て、宣う。作家という職業柄か、あるいはそういう性格が作家に仕向けたのかは分からないが、隆のみならず親父までもがいわゆるギャルゲーに造詣が深い。子としては、はっきり言って微妙な心境だ。
まあ……二人の妹がそれを理由に避けたりはしてないだけマシだとも言えるが。一応、家庭内は円満だ。
「そうか。お前もそんな年頃になったか」
腕組みをして、しみじみと、感慨深そうに言う。
「要するに、その子たちはお前の助けを必要としてるんだな?」
「ああ」
「だったら、何としてでも助けてやれ。お前も男だったら、その子たちの力になってやれ。父さんも全力で応援するぞ」
その言葉に、俺の胸に熱いものがこみ上げてくる。理解してくれた嬉しさというか、通じ合った喜びというか、そういったものが俺の涙腺を決壊させようとする。
同時に、本当のことを話せないことを少しばかり申し訳なく感じていた。
「その子たちが外国にいて、そのために留学みたいなことをしなきゃならないってことだな?」
「ん……ああ、そんな感じ」
俺は曖昧な返事を返してしまう。元々、外面を嘘で塗り固めたエピソードなのだ、やはりボロを出してしまいそうになる。そもそも、どうして知り合ったのかなど、疑問に思われるような点も多いはずだ。
しかしそんな俺に親父は必要以上の追求をしようとはしなかった。全く、よくできた親父だと思う。
「そうか。ところでお前、その国の言葉は大丈夫なのか?」
「え」
思わぬ切り口に、俺は思わず声を詰まらせてしまう。
イリスがあまりにも流暢な日本語を喋るからして失念していたが、実際問題として言葉の壁というのはどうなっているのだろうか。イリスは、エフェメラルにはいくつもの世界から生徒が集まると言っていた。話す言語も様々であるはずだ。
「その国っていうか、学校は留学生ばかりが集まるところだから、俺だけ困るってことは無い……と思う。多分」
嘘は言っていない。言葉の壁がどうやって解決されるのか不安ではあったが、きっとどうにかなるんだろう。イリスも特に何も言っていなかったし。
「そうか。まあ、知らない言語に揉まれるというのもいい経験になるだろう」
親父は言語についてそれ以上のことを言うつもりは無いようだった。
「しかし……この年で二股というのは、正直あまり感心しないな。本命は決めているのか?」
「本命って……そんなんじゃなくて」
全然予想していなかった方向からの攻撃に、俺は思わず言葉を詰まらせてしまう。
「好きだとか本命だとか、そんなことは全然考えてないんだ。一人は会ってそんなに経ってないし、一人は文通だけの関係だし、さ。今は……ただ、助けたいとしか思ってないんだ」
「そうか。まぁ、そう思っているんだったら今はいいさ。だけどな、そんな気持ちは往々にして恋心に変わっていくもんだ。もしお前が二人を好きになったとき、お前が二人から惚れられたとき、責任だけは取れる男になれ。曖昧な態度で二人を傷つけるような卑怯な男にだけはなるなよ」
いつものおどけた調子とは違う、親父の男としての本質を垣間見たような気がした。
恋愛経験の乏しい――というか彼女いない歴=年齢の俺にとって、親父の話は実感の伴わない内容ではあった。だけど……親父が言いたいのは、彼女らを傷つけるなってことなんだろう。俺は、その点にはしっかりと頷いた。
「ところで、いつ行く予定になってるんだ?」
「多分……明日かあさってあたりだと思う」
さすがに、これには親父も面食らったようだった。
「それは随分と急だな。ま、いいさ。お前や向こうにも事情があるんだろう。ところで、お金の問題は無いのか?」
あっけらかんとしたものだった。俺は追求されることを覚悟していたが、納得してくれたのでほっと胸をなで下ろす。
「ああ。その子がお金持ちの家でさ、そこら辺は心配いらないって」
よくもまあ、ぺらぺらと嘘が出るものだと我ながら感心してしまう。まあ、これは"いい嘘"だって考えていいよな。
「そうか。だが、一度決めたからには絶対に助け出すんだぞ。途中で逃げたりしたら父さんは許さんからな」
俺がはっきりと頷くと、
「よし。それじゃ、今夜は赤飯だな」
と、本日2回目の台詞を聞くことになったのだった。赤飯好きだなぁ、赤飯。