Chapter.6 / In a Dream (case.2) [ 夢の中で(2) ]
浴槽からお湯を桶に汲んで、目の前の鏡にかける。曇りガラスが洗い流され、椅子に座った自分の裸身が映し出される。
水に濡れた赤い髪が、窓からこぼれる光を反射してきらきらと輝いている。透き通るような白い肌は母親譲りで、私の自慢だ。身体はどちらかといえば痩せぎすで、胸のあたりにまで肉付きが悪いのは少し気にしていることでもあった。
顔立ちは、よく学校の同級生には可愛らしいと言われる。ぱっちりとした瞳には、翠玉の色が灯っている。眼差しの力強さは、よく父親に似ていると言われる。
まつげから、水滴が一滴落ちる。
左腕には、うっすらとただれたやけどの跡がある。私がまだ小さい頃、誤ってお湯をこぼしてしまってできた傷跡だ。その跡をつねってみるが、感覚は鈍い。
両親から受け継いだこの身体も、身体についた傷跡も、全部が私を形作るかけがえのない思い出だ。
そんな思い出も――これから先、数ヶ月で霧消してしまう。
止めどなく押し寄せる不安と絶望が心を苛んで、荒波に浮かぶ板きれのように私を翻弄する。私は知らないうちに、自分で自分の身体を抱いていた。食い込む爪が肌に傷を付けそうなほど、強く、強く。
だけど、泣かない――気を抜けばたちまちに涙で溢れてしまいそうな両の瞳を、歯を食いしばって制止する。
泣かない。泣くものか。
例え誰も見ていなくても、私の涙を見るものは無くても、私は泣かない。せめて課せられた運命に抗いたくて、ささやかな意地が意志をより一層強固なものへと変える。
記憶を喪うというのは、一体どんな感覚なんだろうか。
積み上げてきた全てが破壊され、全く新しい自分として生まれ変わるということなんだろうか。
世にやましい思い出があるような人にとっては、むしろ願ったり叶ったりなのかもしれない。恩賞まで受け取って、人生をやり直すことができるのだから。
しかし――不幸というべきか、私には大切な思い出しかない。
失敗した思い出も、怒られた思い出も、思い出して赤面するようなことでさえ、かけがえのない大切な記憶だ。無くしたくない。
どうして、神様は私を候補生に選んだのだろう?
ミアとローラを救済するため?
それならば、私はどうして私として存在しているのだろう?
私という存在は、ただ生け贄として存在するだけなのだろうか?
私という存在に、救いをさしのべてくれる存在はないのだろうか?
やがて、黒い感情が身体の中でうごめき出すのを自覚する。二人に救済を与えてくれた神様には感謝すると同時に、どうしてこんなにも過酷な運命を自分に与えたのかと恨む気持ちもわき上がってくる。
怒りはやがてやり場のない絶望に飲み込まれ、荒波に浮かぶ板きれは岩盤に叩きつけられて粉々に砕け散る。
まるで、自分の未来を象徴するかのように。
誰でもいい。
暗い深淵の底から、私を引っ張り上げて。
深い絶望の底から、私を救い出して。
希望の光を与えてくれるのなら、悪魔にだって手を貸してしまいそうだ。
心の底まで暗黒に染まる前に。
誰か、私を助けて。
「助けて……」
ぽつり、と言葉が漏れた。
両腕に爪が食い込んで、紅い雫がしたたり落ちた。