Chapter.1 / In a Dream (case.1) [ 夢の中で(1) ]
朝のダイニングルーム。テーブルには私と父、母の三人が座っていた。みんな一様に暗い雰囲気で、重い空気があたりにたちこめている。
「……どうしても、行くのか」
父が言った。私は黙ったままこくりと頷く。
「ミアとローラを助けたいから」
ミアとローラとは、私の二人の妹だ。不幸にも二人とも重度の心臓病を抱えていて、このままでは長くは生きられないと医者に言われている。
そして、我が家にはお金がない。父母の稼ぎを合わせても口に糊するのが精一杯で、とても医者にかかる余裕など無い。一方で心臓病の治療ともなれば、豪邸が建つほどのお金が必要となる。
言ってしまえば、妹は死の運命を背負って生まれてきたのだ。そしてそれを救済する制度は存在しない。
しかし、一つだけ二人を助ける方法があった。それは、私が"エフェメラル"の生徒となることだ。不幸中の幸いか、私の魔力はエフェメラルの生徒となるための基準値を満たしているらしい。
エフェメラルの生徒になればその家族には莫大な報奨金が与えられるとともに、可能な限りの望みを一つ叶えてもらうことができる。私はその望みを使って、妹たちの病を治してもらうつもりだ。
しかし世の中にうまいだけの話などない。エフェメラルの生徒となることは同時に、ほぼ確実に訪れる一つの人生の終わりを意味している。
すなわち――敗れ去れば、これまで生きてきた全ての記憶を失うということだ。
エフェメラルに入学する数千人の生徒は互いに戦い、最終的に八人だけが八聖珠として生き残ることができる。八聖珠となれば絶大なる地位と名声、巨万の富が約束されるが、一方で敗れた者は全ての記憶を失ってしまうのだ。
私は数千分の八に自分がなれると信じるほど愚かでもなければ、自信家でもない。自分が生き残るために死力を尽くすとしても、それは周りの者とて同じ事なのだから。
記憶を失って"しまう"と取るか、記憶を失う"だけ"と取るかは人それぞれだろう。しかし私にとって家族と生きてきた年月はかけがえのないもので、失いたくなんかない。
私と父が黙っていると、母が嗚咽を漏らしだした。それにつられ、私の頬にもひとしずくの涙が伝う。父は泣くのをこらえているようで、歯を食いしばってうつむいていた。
「ママ、泣いてるの?」
後ろの方から声がした。振り向くと、寝ぼけ眼をこするローラの姿があった。ローラは私とは少し年の離れた上の妹で、まだ眠るときにはぬいぐるみを手放すことができないでいる。今も胸に熊のぬいぐるみを抱いている。
「お姉ちゃんも、泣いてるの?」
「ローラ……」
私は目をこすった。
「お姉ちゃんね、ちょっと遠くに行かなくちゃならなくなったんだ」
「遠くってどこ?」
「……ずっと、ずっと遠くなの」
「いつ、帰ってくるの?」
ローラの質問に、私は困った。
まさか、もう帰ってこないなんて答えられない。
厳密に言えば、帰ってくることができないわけではない。しかし帰ってきても、変わり果てた私を見て家族はきっといたたまれなくなることだろう。だから私はここに戻ってくるつもりはなかった。
「ローラが大きくなったら帰ってくるよ」
「どのくらい大きくなったら?」
「そうね……セカンドスクールに入る頃にはきっと帰ってくるから」
今はまだ事実を受け入れられるような年ではないが、もう少し大きくなって落ち着けば、きっと分かってくれるだろう。そして願うなら、私に負い目を感じずに生きて欲しい。
私の言葉に、ローラの表情が歪んだ。
「やだよぉ、そんなに長くなんて、待てないよぉ。お姉ちゃん、どこにもいかないでよぉ」
ローラが泣き出す。
「ローラ」
私はローラの肩を両手で抱いた。
「私がいない間、ローラがミアのお姉ちゃんとして面倒を見なきゃいけないんだからね。ほら、しっかりしなきゃ」
ローラをぎゅっと抱きしめる。それはローラを勇気づけるためでもあったが、自分の涙を悟られないためでもあった。ローラに気付かれないよう、私は涙をこぼす。
しっかりしなきゃ。ここで私がしっかりしなきゃ、ローラを不安にさせてしまう。ローラの記憶には、笑顔の私を刻んであげたい。
「ちゃんと帰ってくるから、ね?」
それは嘘だった。
「……うん」
ローラのくぐもった声が聞こえてきた。
「だからほら、笑顔でいよう、ね?」
私がエフェメラルに旅立つのは明日だから、家族と過ごせる時間はもう今日一日しかない。この貴重な時間を、悲しみの中で無駄にしたくはなかった。だからせめて、今日は笑って過ごしたい。
私は頑張って笑顔になった。あえて、作るとは言わない。心から笑っていたいから。
ローラから身体を離し、自分の笑顔を見せる。
「いい子にしてたら、早く帰ってきてくれる?」
「うん、ローラがいい子にしてたら、きっと早く帰ってこれるよ」
「本当?」
「本当だよ」
私は微笑んだ。それを見て、ローラの表情も少し柔らかくなる。
「だからもう泣かないって、約束、ね?」
「うん、約束」
その言葉は、果たしてローラに言ったのだろうか。それとも、自分に言い聞かせたのだろうか。
もう、泣かない。
私というこの人格が存在していられる限り。