第57話 北へ
「フッ……フッ……!」
――アシャール帝国・ゲルデ城。
その中庭の一角で、クロード・カステンは剣を振るっていた。
彼が自国に戻って待機を命ぜられてから、既にひと月近くが経過。
その間にも、ルーベンス王国との戦局は目まぐるしく変化し続けている。
特に周辺諸国を巻き込み戦線が拡大してからは、混迷の色すら見せ始めていた。
だがそれでも、クロードに出陣は許されない。
今や彼は敗戦の将。
遠征軍総司令官の任を下ろされ、謹慎処分の真っ最中。
とても自由に軍を動かせる身ではなかった。
もっとも、この処遇は皇帝セナによるものではない。
当初セナはクロードを無罪放免にしようとした。
そう、重臣であるラームを殺してまで。
それだけあの幼子は、クロードを気に入っていたのだ。
もはや――依存していると言ってもいいだろう。
だがそれでは臣下や民に示しがつかないと、クロードがクロード自身に罰を課したのである。
セナに対しても「これでしばらくは傍でお供できます」と説得し、彼も渋々了承。
そうして――クロードはセナの暴走を抑えつつ、移ろい行く戦争を見守る日々を送っていたのだ。
胸の内にある燻りを、必死に抑えて。
「おやおや、精が出るなぁクロード・カステン」
「む……?」
「肩から重荷が下りて、振るう剣もさぞ軽かろう? クヒヒ……」
品のない笑みを浮かべて、クロードに話しかける一人の騎士。
彼の名前はゲルシム・バクーニン。
年齢は30代前半。
くせっ毛の金髪と鋭い目つきが特徴。
顔立ち自体は端正なのだが、長身のわりに猫背なのと近寄り難い雰囲気のせいで、お世辞にも美男子という印象は持てない。
「今日の戦時報告は既に上がっているぞ? 情報の有無こそ戦局を支配するというのに、そんなだから大事な戦に負けたのではないか?」
「報告ならもう読んだ」
クロードは手拭いで顔を拭き、剣を鞘にしまう。
「東部ではまた要塞を落し損ね、南部では物資不足が発生し、北部は未だに国境線を超えられない――。確かそんなことが書いてあったかな」
「……」
「相変わらず手強いな、ルーベンス王国は。南からは〝ナーストロンド公国〟、北からは〝ノルシール・オーヴ連邦共和国〟、そして東からは我がアシャール帝国……。この三国が攻め込んでも、まだ余裕すら見せているのだから」
「ふん……敵を称賛するなど、如何にも負け犬らしい。反吐が出る」
「事実を述べたまでさ。それに南は大海峡を挟んでいるから補給線が伸びやすいし、北はオーヴがノルシールを併合してまだ日が浅い。苦戦するのもやむなしだろう」
「お前が『ジークリンデ要塞』さえ落としていれば、その苦戦もなかっただろうがな」
「…………」
言い返せないクロード。
かなり露骨な嫌味だったが、それは事実だった。
アシャール帝国の当初の予定では、『ベッケラート要塞』或いは『ジークリンデ要塞』のどちらかを素早く掌握。
そこを拠点としてルーベンス王国の懐深くへ食い込み、それに乗じて南と北から攻勢を仕掛ける。
これならば相手の防衛線に楔が打ち込まれるため、容易に戦いの主導権を握れる。
さらに仮に北か南どちらかが苦戦しても、ルーベンス王国内を経由してすぐに増援を出せる――はずだった。
だがクロードは楔を打ち込むことに失敗し、当初の予定が破綻。
防衛線を崩すことができず、東・南・北の各戦線で連携を取るのが難しくなってしまっていた。
この失敗は『マムシ』を率いていたブリアックにも責任があるが、生憎と彼はルーベンス王国の檻の中。
結果、生還したクロード一人が責められる形となっていた。
さらにセナから依怙贔屓に等しい寵愛を受け、表立って批難できないことも嫌味を言われる原因になっている。
クロードもクロードで一々チクるほど子供ではない――というか、それをやったら本当にアシャール帝国軍が瓦解するとわかっているので、黙って受け入れているという次第。
「……それで、今日はなんの用だ。嫌味を言うだけなら聞き流すぞ」
「このゲルシム様は暇じゃないんだよ、お前なんかと違って。今日は聞きたいことがあって来たんだ、クヒヒ」
「聞きたいこと?」
「実は、栄えあるゲルシム軍団の出征が決まってな? 明日にでもここを発つ。その前に、どうしてもあの連中について知っておきたくてよ」
「……貴殿、どこに向かわれるというのか」
「――〝北〟へ。ノルシール・オーヴ連邦共和国軍と共に、兵站の要所『メルスバーグ山』を攻める」
✞ ✟ ✞
「ふぁ~あ、今日も今日とて馬車引き作業……。退屈だねぇ」
――ルーベンス王国北部、とある森林の中。
木々に囲まれた砂利道の上を、馬車十両からなる小荷駄隊が進んでいた。
彼らは『メルスバーグ山』の駐屯地へ届ける補給物資を運んでおり、王都と北部を往復するのが大事な仕事。
しかしそんな日々が長らく続いているためか、一人の護衛兵士はやる気なくあくびをする。
「おい、滅多なこと言うんじゃねえよ。もし前線にでも送られたらどうすんだ」
「補給なんて地味な仕事してるより、戦場行った方がマシじゃないか? 北部じゃ近頃攻勢が弱まってて、前線の兵士は酒まで飲んでるって聞くぜ?」
「そ、そりゃそうだけどよ……。でも勢いがないのは、その内大攻勢があるからじゃないかって噂もあるし……。俺は前線なんてゴメンだよ」
「貴様ら、無駄話はそこまでにしておけよ」
その声にビクッと怯える二人の兵士。
馬に乗った小荷駄隊の隊長が、彼らの会話に割って入ったのだ。
隊長は鼻の下に髭を生やした温厚そうな顔つきで、騎士らしい甲冑を着ている。
「補給・兵站も立派に戦いの一部なのだ。今の仕事も全うできんようでは、前線に行っても無駄死にするだけだぞ」
「ハ、ハハッ! 申し訳ありません、隊長殿!」
「加えて言うなら、今回の輸送は気を引き締めてほしいものだ。どうにも重要な品物が含まれているらしいからな」
「重要な品物……でありますか?」
「うむ。話によると大変貴重な鉱石……いや砥石だったか。女王陛下御用達の鍛冶師が取り寄せたらしい」
「うへぇ……そりゃもしものことがあれば、俺たち首が飛んじゃいますね」
「ハッハッハ、わかってくれればいい。さあ油断することなく警戒を――」
ドスッ
――そんな鈍い音を奏でて、隊長の首に弓矢が突き刺さった。
あまりにも、突然に。
「え……?」
茫然とする兵士二人。
隊長は断末魔すら上げることなく、崩れるように馬から落ちる。
直後、
「「「ウオオオオオオオオオオッ!!!」」」
剣や斧で武装した大勢の男たちが、木々の陰から飛び出してくる。
小荷駄隊への殺意を剥き出しにして。
「と――――盗賊ッ、盗賊だああああああッ! 荷物を守れええええええッ!!!」
――この出来事の翌日、『メルスバーグ山』へ凶報が届けられる。
小荷駄隊が盗賊に襲われ、〝霞虹砥〟が奪われた――と。
北の大地で、二つの事態が動こうとしていた。
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