傍若無人な子供達
聞いていただきたい事がございます。
私の生まれ育った環境はかなり特殊なものでありました。
簡単に説明いたしますと、自宅に他人の出入りが可能な環境で育ったのでございます。
通りを挟んで建っている小学校が運動会の時などは、しばしば我が家の庭に無断で何台もの車が駐車されるようなことは、或る意味当たり前でございました。
今でこそ事前に駐車させて欲しいとの連絡が入るようになりましたが、昔の田舎はお構いなし。大概のことは許されると思っている人々の集団であると思っていただいて間違いはないでしょう。
一度悪い噂が立てば尾鰭がついた悪評がまことしやかに広められてしまうのも田舎の怖いところであります。
その為、幼き頃より人様に対しての体裁を第一に置くような躾をされてまいりました。
世間に対して“心の広い人”を演じていると言った方が解りやすいかも知れません。
挨拶はもちろんのこと、人にものを尋ねられたならば誠心誠意接すると言ったような…細かいことまで申し上げれば、軒先で雨宿りしている人がいれば傘を差し出すといったことまで気が付かねばならないような環境に置かれていたのでございます。
事実、私にその躾を強要した父も、庭の一角を老人会にゲートボール場として解放し、ある時などは、突然の雨に見舞われ迎えが来ないお婆さんを、車で自宅まで送り届けるといった“いい人振り”を発揮いたしておりました。
そもそもの発端はそういった生活環境にあったのかも知れませんし、またはただ単に私がその環境に染まらずにいれば良かっただけのことなのかも知れません。
最初のきっかけは両親の離婚にありました。
それまでの十五年間、ろくに話もしたことのない父親に引きとられることになった為か、父親は私に寛大でありました。
それまでは人間以外の生き物と言えば、祖父の代から飼っていた金魚くらいのものでしたが、猫を飼いたいと申し出た私の意見をいともあっさりと父は認めたのでございます。
それから我が家では次第に多くの動物を飼って行くことになりました。
まずは父が知人の娘さんから頼まれたという犬を飼うことになりました。
次にどこからか頂いたというウコッケイなる鶏の類が、そして新たに子犬が、パンダウサギが、捨てられていた大型犬が、と次々に我が家の一員となっていったのでございます。
立地条件が悪かったのだと度々思いました。
我が家は先程申し上げましたとおり県道を挟んで小学校が建っているものですから、それらの動物達はすぐに子供達の格好の遊び道具にされてしまったのでございます。
もちろん小学校の敷地内に池も、ウサギ小屋も、鶏小屋さえもありましたが、人の家の動物と小学校で飼っている動物とでは前者の方が格段の魅力があるのでありましょう。
なぜならば、学校のものである限り、早いもの勝ちで独り占めするという訳にはまいりません。
そのような暴挙に及べば監視役の先生に言いつけられてしまうのは目に見えておりますから。
そしてまた、小屋から外へ出すこともはばかられます。
しかし、我が家は違っておりました。
子供達が喜んでいるのだからいいだろう、といった具合でしたので、動物をいじめない限りは構わないといった感じの接し方でありました。
私は特殊な環境で育ちましたので、当然その子供達も節度を持っているものと思い込んでおりました。
その為に子供達をいちいち監視することもなく、それ故に第一の出来事が起こってしまったのでございます。
当時高校へ通っていた私はその場に居合せることも出来ず、事の顛末は帰宅した後、父から聞かされました。
子犬が連れて行かれてしまった、と。
子供達はよりにもよって、子犬を我が家の敷地内から連れ出し、道端で遊んでいたのだといいます。それも、構っているならばまだしも放たらかしの状態で。
子供達曰く、「何処かの車が子犬を連れて行ってしまった」と報告に来たというではありませんか。
本来ならば親同伴で謝るべき問題であります。
別に我が家の子犬に血統書が付いていたですとか、特別な恩人から預かっていたという訳ではありませんから、それほど事を荒立てる模倣はいたしたくありませんが、少なくとも自分達が連れ出した動物が連れて行かれてしまった事実について、もっと誠意を持って謝るべきであります。
話によればその子達は少なくとも三、四年生であったとうかがいましたから。
これも私の一人よがりかも知れませんが、私自身、良し悪しの判別は母親から嫌というほど躾けられてまいりましたので、この場合悪いのはどう考えても子犬を敷地内から連れ出した子供達にあると思われたのであります。
連れ出すなら連れ出すで何故一言断らなかったのか。もちろん子供達にそんなことを言ったところで今更遅いのではありますが、自分達の度を越した行為によって引き起こされたことを、まるで子犬を連れて行った車が悪いとでも言いたげな態度に、私は少なからず怒りを覚えたのでありました。
しかし、子供達の暴挙はそれだけに留まりませんでした。
子犬という対象が失われた次は、ひよこにその矛先が向けられたのでございます。
子供達は父の目を盗んで鶏小屋に入り、ひよこを触ろうとするのでありますが、親鶏がそれを黙っている筈はありません。
鶏達の度重なる威嚇の声に、流石の父も子供達に対し鶏をいじめるなと叱りつけました。
そこで子供達は一計を巡らしました。
父にひよこが欲しいと言ってきたのでございます。
父は家の人が飼ってもいいと言うのなら、ひよこを分けて上げようと承諾いたしました。
家の人がいいと言ったら、と条件をつけたのは、子供が欲しいからというそれだけの理由で、容易くものが手に入ると思うようになっては困ると考えたからでもあります。ましてや生き物であれば育てる責任が生じます。
私は子供達の親はきっと反対するであろうと踏んでおりました。小さい時は可愛くても、大きくなった鶏は家で飼うには面倒だと思われたからでございます。
しかし私の思惑に反して、何羽かのひよこがもらわれて行きました。
案の条、二、三日後にそのうちの何羽かが家に戻って参りました。おそらくは親に承諾を得ることなく持ち帰ったのでありましょう。きっと自宅で親に叱られたことと思います。
ただ、返し方が問題でした。
けたたましく鳴く鶏の声に外へと出た私の目に、無残にもひよこを咥えた猫の姿が写ったのであります。
どこかから出てしまったのかと鶏小屋を覗きますと、果たして中にはひよこがいるではありませんか。
ここへきて漸く、今襲われたひよこは子供達の勝手な行動により餌食となってしまった一羽であることが解りました。
子供達は父にも怒られることを恐れてか、黙ってひよこを置いて行ってしまったのでしょう。
親鶏から離れた場所に放されたひよこは、たやすく猫の餌食となりました。
ですが子供達にしてみれば、ひよこは返したんだから関係ないと思うに違いありません。
事実、ひよこを襲ったのは子供達ではなく、猫だったのですから。
既に辺りに子供達の姿はなく、私はここでも子供達に怒りを覚えながらも、どうすることも出来ずにおりました。
それから一カ月も経った頃でありましょうか。
ある日、親を連れだって大きくなってしまった鶏を返しに来た子が居りました。
「わがままを言って申し訳ありません」と頭を下げる親を前にして、子供のことを責める訳にもいかず、父は大きくなったひよこを受け取りました。
運の悪いことにその鶏は雄でありました。
鶏にはテリトリーが存在します。
兄弟である筈の鶏達は、大きくなってから戻された鶏を仲間とは認めず、それからずっと争いが続いたのでございます。
無論、同じ鶏小屋に入ることはおろか、餌さえもろくに食べられない毎日でありました。近付けば容赦無く攻撃される為、その鶏はいつも何処かしら怪我をしておりました。
あまりのことに父が処分したのか、自ら逃げたのかは解りませんが、何カ月としない内にその鶏は姿を消しておりました。
その次に我が家にやって来たのはパンダうさぎでございます。
高校の友人から三匹ほど譲り受けたのでありました。
当然のことながら子供達は小屋の周りにまとわりつき、抱いて良いかとしつこく聞いてきたのでありますが、私は既に子供達を信用しなくなっておりましたから、小屋の外から餌を与えるだけにしろと言って聞かせました。
ところが父は違っていたのでございます。
子供達にせがまれ、ちゃんと小屋に戻しておくという約束を取り付けて、うさぎを小屋から解放したのでありました。
しかし子供達は暫くすると、「うさぎが逃げちゃった」と報告してきたのであります。
またか、と私は思いました。
何が『逃げちゃった』だ、『逃がしちゃった』の間違いだろうと心の中で毒づいたのでありますが、そうも言ってはおられませんので、渋々ながらうさぎを捕まえに外へと出たのでありました。
子供達には、もううさぎを小屋から出してはだめだと言って聞かせましたが、まるで勝手に逃げたうさぎが悪いのだと言わんばかりの抗議の目で、私に対して謝ることなく子供達は帰って行ったのでございます。
事件が起きたのはそれから間もなくのことでありました。
学校から帰った私がうさぎ小屋を覗くと、うさぎがそこに居ないではありませんか。
私は部屋に鞄を放り投げ、素早く着替えると、庭をうろついているうさぎを捕まえる為、小雨の中、傘もささず這いずり回るハメに陥ったのでございます。
丁度、バス停ではバスを待つ小学校の校長先生が佇んでこちらを見て居りました。
「あんたのとこの生徒が勝手なことをしたから、私がこんな目にあってんだからね!」と、よほど叫んでやろうかと思いましたが、だからと言ってどうにかなる訳でもございません。私は雨の中、一時間以上うさぎを追う作業を続けたのでありました。
ですが、一度黙って小屋からうさぎを出し、そのまま放って帰ったにも関わらず、ちゃんとうさぎが小屋に居たことで、子供達は味を占めたのでありましょう。
何日かしたある日、同じように小屋から姿を消したうさぎは、私の探索にも関わらず、遂に見つかることはございませんでした。
友人に「うさぎは元気か」と尋ねられ、事の次第を告げたのですが、友人は私の監督不行き届きを責めました。
当然の事であります。
私は悪くないとは思いましたが、友人はうさぎの末路 —恐らくは野犬に食べられたか、車に跳ねられたか、最悪、餓死— ということに対し、執拗にかわいそうなことをしたと私を責めました。
私が学校へ行っている最中の出来事です。私が故意にうさぎを放したわけではありません。言わば、留守中に泥棒に入られたようなものであります。
ですが、それは友人にしてみれば言い訳にしか聞こえなかったのでありましょう。
小屋に鍵を掛けるなりのことをすれば、未然に防ぐ事が可能だったのは事実でありますから。
私はこの事がきかっけとなり、もう動物を飼うことを望みませんでした。
人の家の動物を勝手に扱っても構わないと思い込んでいる子供達に、これ以上のわがままをさせる気もございませんでした。
それと同時に、常識を知らない子供の相手をすること自体に、嫌気が差していたのであります。
考えられないことかも知れないでしょうが、これで全てが終わった訳ではございませんでした。
小学校に通っていた頃は、祖父が元気でありましたので、縁側から池を眺め、毎日金魚達に餌を与えておりました。
その為、縁側沿いの窓が開く音と共に、金魚が池の奥から手前に寄ってくるという習慣がついていたのでございます。
私が生まれる前から棲んでいる為か、金魚にしてはかなり大きく、一見鯉のようにも見えるほどに育っておりました。
ですが、祖父が倒れ帰らぬ人となり、祖母もまた同じ敷地内に別居するようになり、次第に池の金魚達との交流が薄れていましたので、動物達がいなくなり、私の目が池に戻ったのは金魚達にしてみれば喜ばしいことであったのかも知れません。
ですが、またしても悲劇は起きたのであります。
暫く見ない内に金魚達はおとなしくなっておりました。
それも、私が構ってあげなかったせいだと反省したのですが、どうも様子が違うのであります。
共食いでも起きたのかと思わせる程、金魚の数が減っておりました。
ここで私はまたしても疑念を持ったのであります。
《まさか、小学生達がここにまで手を付けたのでは…》
しかし、その疑念は現実のものとなりました。
ある日の学校の帰り、池に集まって網を片手に何かをしている男の子達を見掛けたのでございます。
「何してるの!」と咎める口調で言った私に「カエルを捕ってるんだ」といけしゃあしゃあとその子は言ってのけました。
ここでも私は《またか》と思ったのであります。泣きたい気持ちにかられました。
ですが、高校生の私が小学生の前で醜態を曝すことははばかられましたので、「金魚をいじめちゃダメだからね!」と言い、私はその場を離れたのでございます。
きっとカエルではなく金魚を捕っているのだろうとは思いましたが、(季節がらカエルがいるとは思えませんでしたので)私は顔を見られて気まずくなれば、子供達はすごすごと帰るであろうと踏んだのであります。
今にして思えば、「勝手に人の家の池に近付くな!」とその子達を捕まえて、親元に連れて行くくらいのことをしても良かったと思うのですが、当時の私は親に告げ口をするという行為は卑劣なものと思い込んでおりましたので、子供達の判断で良し悪しを決めるべきだと思っていたのでございます。
私の思惑は見事に裏切られました。
私の居ない時間帯を狙って犯行が行われたのであります。
高校生と小学生とでは、学校に拘束される時間は極端に違います。無論、行動する時間帯も何時間ものずれが生じる訳であります。
夕方五時には帰宅が義務付けられている小学生が、クラブ活動を終え七時近くに帰宅する私が居ない時間に何をしようが見つかる筈もございません。
私は父に、小学生が池の金魚を捕った旨を告げました。
父はあまり家に居ることの無い人でありましたから、金魚のことなど気に止めて居なかったのだと思われます。
それでも、生きものがいない池を見て、新たに何匹かの魚を放しました。
ですが、一旦荒された池は人間達を呪ったのか、次第に水が枯れ、幾ら水を足しても元のようには戻ってはくれませんでした。
その池は天然記念物のモリアオガエルが卵を産みに来る池でありましたから、水を枯らせば同時にモリアオガエルも死滅する危惧がありましたので、なんとか水を溜めようと努力したのでありますが、水苔と金魚達のバランスが水を湛えていたのだと言わんばかりに、見事に池の水は干上がってしまったのでございます。
それが原因とは思いませんが、池を覆うように植えられていた松までが、その年の内に一本枯れ、次の年にもまた一本枯れてしまいました。
モリアオガエルはその年から何年かは池に現れましたが、(その度毎に木に産み落とされた卵の落下地点にバケツを置き、水を確保していたのですが)その後は姿を見て居りません。
当時においても既にモリアオガエルは僅かに何か所かでしか見られないと聞いておりましたので、残念でなりません。
小学校の教師から、理科の授業で観察させて欲しいとの申し出を受けたこともありましたのに、恩を仇で返されたような気分を味わったのでございました。
犬、ひよこ、うさぎ、金魚と続いた暴挙はこれで途切れるかと思っておりました。
しかし、今まではその対象外であった猫までもが、子供達の毒牙にかかっていたのでございます。
私がその事実を知ったのは、偶然私が家にいる日曜日に知らない子が裏の戸を開け、家に入って来たことに因ります。
何事かと部屋を出た私と目が会った子は、私が居ることに面食らったようで、「猫いない?」と慌てて言葉を発しました。
「家の中に居るわけないでしょう」と言った私に、「前は家の中に居た」と言うのです。
私の頭の中に、家の者が居ない時に黙って家に上がり込む子供の姿が浮かびました。
ここまで暴挙に及ぶとは、一体どういった躾がなされているのかと危ぶまれましたが、「猫が居ないからって勝手に人の家に入ってきちゃダメだよ」とたしなめることしか私には出来ませんでした。
それ以来、私は猫に注意を払っておりました。
もはやこの家にやって来る子供達は、動物を虐待する悪童としか私の目には写っていなかったからであります。
案の条、幾らもしないうちにその事実が明らかになったのでございます。
庭で騒がしい子供達の声が響いておりました。
何事かと表へ出た私の目に、木の棒を持った女の子が写りました。いつぞやの家の中まで入って来た子です。何をしているのかとその子に近付くと、あろうことか木の上に逃げた猫をその棒で払い落とそうとしているではありませんか。
「猫をいじめちゃダメでしょう!」
そう言った私に生意気にも口答えします。
「だって、猫が降りてこない」
木の棒で叩かれたならば、どれだけ痛いかが解っていないのです。
少なくとも小学校六年生にもなった子が、下級生の見ている前で率先してそのような行為を平気で出来ることに、私は自分の住んでいる世界感が崩される思いでありました。
「だからって木の棒で叩いたりしたら可愛そうでしょう」
私はその子を木の下からどかし、猫に向かって手を伸ばしました。
「おいで」と声を掛けると、猫はすぐさま私の手に向かって前足を伸ばしたのであります。
《ほらごらん、すぐに降りて来るじゃない。あんた達はいじめるからこの子に嫌われてるんだ》
猫は私の腕の中でくるまると、切なげな目で私を見上げました。
その様子を見ていた、例の棒で猫を木から叩き落とそうとしていた女の子は、さも当たり前のように私に手を伸ばして来たのでございます。この期に及んでまだ猫を構おうとするのでありました。
「猫をいじめる子には貸さない」と言った私に、「別にいじめてる訳じゃないよねぇ」と、下級生に同意を求めるではありませんか。
渋々ながらも「いじめちゃダメだからね」と念を押し、私は猫をその子達に渡したのでありました。
それから暫くは猫は昼間家に寄り付かず、夜、私の部屋の電気が点くと縁側で鳴き声を挙げ、帰りを知らせるといった行動を続けていたようでございます。
一度咎めた為か、子供達が勝手に家に入り込むことはなくなりましたが、猫を探して家の周りを徘徊するという行為は続いておりました。
私の部屋は以前祖父が使っていた場所で、池の前の縁側に面しておりましたので、外からは木々に囲まれ、中が見えないようになっておりました。
その為私は着替えの際も一々カーテンを引くことはせずに、そのまま着替える習慣が付いておりました。
ある時視線を感じて窓を振り向くと、何時ぞやの猫をいじめていた女の子が覗いているではありませんか。
視線が合うとその子は「猫を部屋に隠してんじゃねえのか」と言いながら、堂々と縁側を渡って行ったのでございます。
人の家の縁側まで入り込んで、あまつさえ部屋の中を覗き、悪態までついていくその態度に私はその子に怒りを覚えました。
近所の子です。その子の家に怒鳴り込むくらい訳はありません。
ですが、ここでも私は思い留まったのでございます。
あれだけ横暴に育った娘の家に文句を言ったところで、その場ではさも悪かったと謝ったとしても、果たしてどれ程の効果が上がるといえるでしょう。それどころか、さも自分は悪くないのに勝手に怒鳴り込んできたなどと吹聴されかねません。
「隠してなんかいないよ!あんたがいじめるから寄り付かないだけでしょう!」と言って横っ面の一つも張ってやりたい気持ちをこらえ、私と猫は夜しか会えない日々を送ったのでございました。
その後、時々昼間に猫を見掛けましたが、ある時は顔から血を流しており、ある時は前足を引きずっておりました。
ボスの座を争って喧嘩しているとも考えられましたが、それならば猫同士の争う声が聞こえるはずです。
私の忠告を無視して子供達が猫をいじめていることは明白でありましょう。ですが、高校に通う私は子供達が暴挙に及んでいるであろう時間は未だ学校に居りましたので、注意することすら出来ずにいたのでございます。
やがて私も高校を卒業し、実家から離れる生活を送るようになりました。
可愛がっていた猫も、一年としないうちに家に寄り付かなくなったと父から聞かされました。
年に四、五回帰省する度毎に姿を見せていた猫も、二年後には私の前にすら姿を見せてはくれなくなってしまったのでございます。
前後するように我が家にやって来たのは捨てられていたというシェパードでありました。
流石の悪童達も自分達の手に余る大型犬には手を出すこともなく、平穏な日々を過ごしたようですが、私自身は、自分の家では飼えないからと勝手に犬を押し付けた近所のおばさんにも憤りを隠せませんでした。
ただ子供達とは違い、その方は犬の貰い手を探してくださったようなので、二年程で犬は貰われて行きました。本当は心の優しい方で、捨てられていた犬を見過ごせなかったのだと、今はその方の行為を非難する気持ちは失せております。
その後、実家には新たに動物達が加わることはありませんでしたが、子供達の暴挙は減ることはございませんでした。
ある時は、軒先に出来た大きなスズメバチの巣に石をぶつけて喜んでいる子供が現れたり、ツバメの巣に爆竹を投げ込む子が現れたりもいたしました。
そういった子をのさばらせておく親も親でありましょうから、いっそのことスズメバチに刺されて酷い目に遭えばいいとも思いましたが、子供が一度に何匹もの蜂に刺されれば命の保障はございません。蜂に罪はありませんが、巣は早々に撤去されることとなったのでございます。
暫くして、県道に面した敷地の一角に、町内会の建物を作らせて欲しいとの申し出がありました。
父は木を切らないという条件のもと、それを承諾いたしました。今までも無断駐車する車が絶えなかった場所でありましたので、建物が建つことにより、それがなくなると思えばさして気にも止めるべきことでは無かったのだと思われます。
ですが、そこで新たなる問題が生じました。
公表すれば、悪童共に狙われると思い黙っておりましたが、その一角にある大木には、毎年ふくろうが巣を作りにやって来ていたのでございます。
新たに出来た見慣れない建物を警戒した為か、その後ふくろうは巣作りにやって来てはおりません。
慣れれば帰って来るであろうと、今はただ祈るばかりでございますが、過去、モリアオガエルが我が家から去ったように、ふくろうもまた去ってしまうのではないかと懸念せずには居られません。
何故そっとしておいてはいただけないのでしょう。
動物達をいじめていた子供達も、いい大人に成長している筈でございます。
私はこの期に及んで、未だその子達が善悪のつく人に成長してくれたであろうことを期待してやみません。
心の隅では、子供の頃の悪行の数々は記憶の彼方に都合良く消し去り、自分の子供には自分が如何に“良い子”であったかを説き伏せるような救われない親になっているだろうとも思ってはいるのですが、子供の頃の体験を通しても、善悪が未だつかない人間になっていたのだとしたら、私の気持ちの遣り場がございません。
自分が如何に悪行を成したかを武勇伝と勘違いし吹聴する輩もおりますでしょうが、仮に、私の目の前でそのような行為に及ぼうものならば、容赦する気はもはやございません。
人々の前で悪行を暴露し、いかに尊敬するに値しない人間であるかを懇々と語って恥をかかしてもお釣りがくるであろうとさえ思っております。
私はあの子達に因って人を疑う事を覚え、親切を仇で返す人間が存在することを知り、他人の願いをたやすく受け入れることは、自分の生活や大切なものを失う恐れがあると悟ったのでありますから。
しかし、私自身にそれを行動として表せるかどうかの疑問は残っております。
現在も他人の不躾な行為を非難することはなく、そういった人達とはなるべく関わらない生活を選んでしまっているからでございます。
学生時代に貸したノートが返ってこない、本が返ってこない、傘が返ってこない…。社会人になってからも、貸した本やCDが返らないことは頻繁にございました。
たかが本ではありますが、漫画を加えると三十冊を優に越える未返却数に、私自身も呆れております。
勿論、一人の人に貸した訳ではございません。何人もの方が、きっと私から借りたものだということを忘れてしまっているのでありましょう。
一度の催促で物が返らない場合、私は二度目の催促が出来ない性格になってしまったようでございます。
何度言って聞かせようと聞く耳を持たずにいい気になっていた悪童共に辟易して、今の性格が形成されてしまったのかもしれません。
人と関わって行く以上、この先も私自身の精神が傷つけられる出来事がおこることでありましょう。
ですが、あの傍若無人な子供達に比べたら、かわいらしいと思える出来事であって欲しいと願ってやみません。