200年後の考察 ~25年後の後悔~その後の時代考察
25年後の後悔~の時代から約200年後、歴史学者であるエリザベス・マクラーレンは国王の命にて
新しい教本の編纂をすることとなった。
エリザベスは過去、何があったのか、あの時代の人々がその後どの様に生きたのか?
一つ一つ検証しながら、現代に生きる自分たちに活かすため、後の世まで残る名著を書き上げる
べく、資料を読み解く!!
私の名前はエリザベス・マクラーレン。
フルフレール王国の歴史学者であり、この度「王立学院」の授業で使う道徳・倫理・修道の教科書の編纂という大役を任された新進気鋭の学者なのだ!
我が国では180年程前から貴族の子弟のみならず、平民にも広く教育の機会を、と時の王であったサンダール国王、肝いりで教育機関が数多く設立されその必修科目か「道徳・倫理・修道」なのである。
因みにこのサンダール国王は『教育王』と呼ばれている。
彼の父親のアルメリオ国王が『残念王』と呼ばれているのとは対照的である。
今回の教科書改訂は今代の陛下直々のご下命で、
「時代によりいろいろと考えも変わると思うが、基本は変化させてはいかんのだ。以前はいろいろな柵もあり、不敬だのなんだの申す輩もいたと思うが、もう良いと思うのだ。何故、道徳や倫理・修道が必要なのか、当時の王族が何をして皆が何を思ったのかを再度、知る必要があると考えたのだ。そなたには公平な目で物事を読み解く才がある。その才を活かし新たな教本を作成して欲しい。」
と、なんとも勿体なくも有り難いお言葉を賜ってしまったのだ!!
こう見えても、私だってこのフルフレール王国の貴族の一員である。
ま、我が家は下級貴族で私はその三女ではあるが、我が家は代々歴史を専門とした学者の家系である。長女、次女の姉上方はお嫁に行かれてしまったが、兄上が家督を継ぎ私は、祖父や父上の後押しもあり、王宮に出仕し、日夜資料にまみえる日々を送っているのである!
私はうきうきした気分で、歴史資料の山と積まれた王宮資料室に引き籠もった。(感謝します!陛下は太陽です!月です!塩です!)と内心訳がわからない事を思いながら大机に資料を並べていく。
白い手袋を手に、ゆっくりと資料をめくっていく。
アルメリオ王が在位したのは、意外と短い。在位期間は20年ぐらいだ。先王であるヘインズ王がアルメリオ王に譲位したのは確か、アルメリオ皇太子が側妃との間に第三子が産まれた頃。このアルメリオ王が皇太子時代にやらかしたから、この後いろいろな改革が起きたんだよね…。
残念王、ある意味すごい功績じゃね?
王立学院、当時は貴族も平民も同じ学舎だったのね…。男女共学だったんだ…。で、残念王は当時の婚約者様を卒業パーティーで婚約破棄、当時の恋人の子爵令嬢を妃にすると宣言。
うわっ!ホント、大丈夫? いや、大丈夫じゃなかったからこその改革か…。
ヘインズ王が事態を重く見たから、王立学院はその後、男女別に貴族と平民を分けて、新たな教育機関として開設されたんだ…。
確かに、同じ階級の人間同士なら余計なトラブルは避けられるよね。
で、この後新たに「道徳・倫理・修道」の教科が加わったと…。
うん。そうだよね。
卒業パーティーったら、当時は各国の大使や来賓が、大勢来ていたはずだから…、次代の王があんまりだったら、付き合いを考えるか、もしくはつけ込まれる。下手すると国が無くなる危機だったわけだ。
うん。ヘインズ王、英断だわ。
でも、それだったら王族教育をしっかりすれば、学院を分ける必要はなかったんじゃない?
そう考えて、いや、必要だったんだ。と考え直す。
だって、当時の恋人であった子爵令嬢みたいなのがまた現れたら貴族の序列や秩序は怪しくなる。
貴族の教育や意識改革が急務だったんだ。それと知識。あと情報開示。
妃教育の大まか内容、また実家が負担するべき「化粧料」のこと。
当時の残念王は自分の費用でソフィア妃の生活全部を賄っていたらしい。本来は妃や側妃は実家からの「化粧料」なる援助金で生活する。
でも当時の下級貴族の令嬢達はそんな事は知らない…。
だから、夢を見られた。
妃の生活を賄うには、並大抵の資産じゃ追いつかない。それこそ上級貴族でも、数は少ないはず。
だからその情報を開示したわけだ…。そうする事で牽制する。自覚させる。
身分が、財力が、知識が、全てが必要だと…。
だから、正妃様や側妃様は敬われる。
全てが揃った上で、大変な努力をされて来ているから…。そしてそれは「王族」である以上、生涯続く。
うん、皆が敬う訳だよね。
そりゃあ、「努力してます!」って見せたくない妃の方々もいらしたと思うけど、でもこの情報開示は必要だったと思う。
資料を見ながら、当時の残念王に婚約破棄された令嬢はその後、どうしたのかが、気になって別の資料を探ってみる。
フランソワ・レイナール公爵令嬢。美しい銀の髪とアメジストを思わせる瞳を持つ、当代随一との呼び声も高いそれは美しい淑女だったそう。銀の髪と青紫の瞳はレイナール家の特徴だものね。今代のレイナール家の皆様も、美形揃いだから、納得だわ。
婚約破棄後、当時のヘインズ王の計らいで、隣国のルドリア国の第二王子殿下にお輿入れされたんだ…。
ん?随分、大事にされたのね。お子様が男子三人に女子二人。王子なのに側室も置かなかった、と。第二王子だから第一王子が即位すれば臣下に下ったんだろうけど、良かった。幸せだったんだ…。
何だか他人事ながら、嬉しくなった。
あれ?一寸待って?ん?
フルフレール国、サントス公って?
資料の一行を見て、思わず素っ頓狂な声を上げる。
資料には晩年のフランソワ様の元に、サントス公が訪れたと書いてある。サントス公って、あの残念王の第一子で、臣下に下ったとか言うサントス公だよね…?
資料を読み進めると、サントス公がルドリア国に度々訪れていた事が分かってきた。どうやら穀物の栽培方法を学びに訪れていたらしい。フランソワ様のお子様方とも仲が良かったらしく、サントス公の領地にもいらした事があったらしい。
サントス公爵家は、今はない。それはかの公爵様が一代限り、と宣言して当時のサンダール王の治世を支えることに専念したから。
本当の所はよく分かっていないが、結婚もしないで、子孫は残さなかったのは歴史書にも書かれている。
私は、サントス公は寂しい方だと思っていたけど、資料を読み進めるうちにどうやら、思い違いをしている事に気が付いた。
確かに彼は、ちまたでは「麺公爵」と呼ばれていた。それは彼が古代小麦の栽培に成功し、その後、蕎麦や何かの穀類を次々に栽培しながら、新しい麺類を作らせては世間に発信し、我が国の主力輸出品として国益に貢献していたからだ。彼の周りには農学者や、料理人が常に集い、我が国の食文化に貢献したと資料には書かれていた。
気になったついでに、もう一方の残念王の子であるマリールイゼ王女の事も調べてみる。
彼女も誰とも結婚せず王立教会の修道女になったのよね…。当時の常識で言うと、王女が結婚しないって有り得ないんだけど、でもあれだけの無理を通した王と王妃の子だから、処遇は難しかったのかも知れない…。
彼女は教会に併設されていた孤児院の院長に就任したみたい。
随分、教育熱心だったみたいね。
確かに、今の王立教会の孤児院出身の子供たちは教養も高く、貴族家の侍女や王宮の官吏として引っ張りだこだったわね。下手な下級貴族や商家の子らよりも良く教育されているとか、言われていたもの。
「知識は力なのです!」がスローガンだったっけ。
王女様、力強いね。
実兄のサントス公も度々訪れては、新しい麺類を試食させて意見をもらっていたらしい。
ふと、これだけの人々を振り回した残念王とその正妃はどうなったのか気になり資料を探す。
が、ほとんど資料がないに等しい。確かに正妃は表に出ていないからそれもわかるけど、王なのに何故資料が少ない?
あぁ!違う!エミリエンヌ側妃様の功績の方が大きいから、残念王が霞むんだわ。彼が何もしていないわけではない。が、エミリエンヌ様がバリバリ仕事したから彼に目がいかないのだ。
そのエミリエンヌ様ぐらい今のこのフルフレール王国の指針を示すお言葉を言われた方はいないだろう。
「ならぬことはならぬのです。」
「教育王」と呼ばれたサンダール王も、スランタニア皇国の皇后となられたフロンターレ様も、豪放磊落として知られたヘイルーズ辺境伯も、皆口を揃えて言ったらしい。
「母上を怒らせてはいけない」
と…。幼き頃、この側妃様の三人のお子様方は一緒に生活されていたらしい。よく悪戯をしては、たしなめられていた様だが、約束をやぶること、命に関わること、人に迷惑を掛けること、などいくつかの側妃様の絶対に許せない事をした時の怒られ方は、半端ないものであったそうな。
その中で、人としてしてはいけない事をした時に
「ならぬことはならぬのです」
と言われていたそうだ。
これは、今現在フルフレール王国にいる全ての母親が、貴族平民関係なく、我が子に言い聞かせる言葉だ。
道徳に反する事をした時、倫理にもとる事をした時、己が道を外しそうな時、全ての母親が我が子に、愛情を持ってこう言う。
ふと、気が付くと窓の外から朝日が昇るのが見えた。
どうやら徹夜してしまったらしい。
新しい教本には、今までぼかしてしか書かれていない、あの時代の事もキチンと書こう。
その上で、どう時代が変わったのか。
私たちがこれから、何を選択し生きていくのか。
先達のお陰でいろいろなチャンスは貰えるけれど、やはり基本は押えておかなくてはいけないと思う。
教本の表紙はこれで行きたい。
「ならぬことはならぬのです。」
その後、エリザベス・マクナガン著の教本「ならぬものはならぬのです。」はフルフレール王国の新しい教育本として後生に長く読み継がれる事となる。
誤字、脱字のご指摘、ありがとうございました。
主人公の名が他の小説と同名とのご指摘、確かにそれでは
紛らわしいな、と気付き改名した次第です。
よろしくお願い致します。