夫の浮気相手はわたしでした! ~なにかコソコソと手紙を書いている夫君、君の文通相手は妻なんですよ~
「――レイア、今宵の君は格別に美しいね」
夫は私の髪に軽く触れると、そのような言葉を述べた。
私の夫であるマークスは自分の妻を褒めることなどない。
結婚式で友人から、若くて美人の奥さんと結婚できて羨ましいね、と社交辞令を言われたとき、
「どこが?」
と平然と答えた朴念仁なのだ。
悪い人間というわけではない。ただ、空気が読めないというか、他人の感情に鈍感なだけなのだ。
要は「男」なのである。
ちなみにスキンシップもたんぱくなほうで、髪に触れられたことなど一度もない。
いや、あるか。――たしか髪にゴミくずが付いていたときに触れてきたことがあった。
それ以来、私の髪はシスターになって剃髪しても問題ないくらい無視されてきた。
毎日のようにお風呂に入って、侍女に手入れをさせ、高級なヘアオイルも使っているのだが、夫が興味を示したことは一度もない。
そんな夫が私の髪に触れ、褒めてきたのだ。
「こりゃ、なにかあるな」
そう思った私は侍女に夫の身辺を探らせた。
侍女は忍者ではないと嘆いたが、忍者の素質ゼロでも夫の身辺調査など余裕であったようで、翌日には事態が判明する。
「奥様、旦那様の部屋にこんなものが……」
侍女が持ってきたのは王都で発刊されている雑誌だった。
堅物の夫が好みそうな表紙ではない。一瞬、品のない雑誌かと思ったがそういうわけでもないようだ。
ぱらぱらとページをめくり、内容を見ると、タイトルを読み上げる。
「月刊ペンフレンド……か……」
その名の通り、文通相手を探す雑誌のようだ。
ここに自己紹介を載せると、全国から文通したいものがコンタクトしてくる、という感じらしい。
「ほほー、こんなものがあったのね」
夫は生真面目で筆まめ、領地の代官には毎日のように手紙を書き、親類縁者にも連絡は欠かさない。
ただ、酒や女遊びは苦手。
結婚前は娼館などにも連れて行かれたそうだが、なにもできずにお金だけ払って帰ってきたことがあるそうな。(おしゃべりなバール伯爵夫人から聞いた)
要は真面目君なのだが、文通とはある意味夫らしい。
「もー、幼年学校の生徒みたいで可愛いらしい」
と見逃したいところだが、第六感がびんびんな私は止らない。
「女」に匂いを感じた私は雑誌のバックナンバーを揃えさせる。
浮気調査を開始したのだ。
夫のペンネームは即座に判明した。
ミスリル、というのが彼のペンネームだろう。
我がアルヴィス伯爵家は鉱山を所有しており、ミスリルという鉱石を産出するのだ。
領地の収入のおよそ七割がミスリル鉱石から上げられており、アルヴィスといえばミスリルが代名詞となっていた。
「分かりやすい夫」
ちなみに年齢も出身地もすべてそのまま、唯一、職業だけが平民となっているが、それ以外の個人情報は全部そのままだった。
「基本善人でウソ付けないのよね、いいとこの坊ちゃんだから」
趣味は読書、はまっているのは万年筆集め、ご丁寧に既婚マークまである。
「このプロフィールからプロファイリングすると、貴族と書いて金目当てのやつがこられるのは困るけど、文通相手とはがちで仲良くなりたいから、できるだけウソは書かないでおこう、かしら」
大きく外れてはいないだろ。
文通相手に求めるものは「誠実さ」と書いているあたり、「すけべ心」はないのかもしれない。
――ただし、それは最初だけ。
「ミスリル」が最初に確認できる号では上記のように書かれていたが、最新号に近づくにつれ、すけべ心がにじみ出てくる。
まず既婚のマークが外れる。不明から未婚となる。
はい、有罪。
次に文通相手に求めるものが、「誠実さ」から「可憐さ」になる。
はい、有罪。
年齢も三六から二八になっている。
はい、有罪。
他にも明らかに文通相手の対象を「若い娘」に絞っている痕跡が見える。
「最初は純粋にペンフレンドを探そうとしてたけど、何人かとやり取りしていくうちにすけべ心が湧いてきたのね」
手に取るように夫の心情を推察すると、私はにこりと微笑み、侍女に便箋と手紙を用意させた。
私の会心の笑みに恐れをなす侍女。口の中で、「どうか大事になりませんように……」と祈るが、こっちは大事にするつもりだった。
「くっくっく、マークス、妻を舐めないことね。ぐうの音も出せないほどの証拠を積み上げて、断罪してやる!」
レイアは拳を握りしめ、そのように叫んだ。
断罪編はもうちょっと先、まずは証拠固めから。
いきなり雑誌を突きつけてもしらを切られるだけ。
決定的な証拠を得てからでないと詰め寄ることは出来ない。
むしろ、証拠固めが終わるまでは気取られないようになにごともなかったかのように夫婦生活。
その間、私は練りに練った策謀を実行する。
夫の浮気相手を探すのは難しい。なにせ相手とのやり取りは手紙のみなのだ。浮気の現場を押さえることはできない。
その手紙も夫の忠臣である執事が隠れて送っているので、奪取することは不可能であった。
向こうからの手紙は私書箱を使っているので、それを手に入れることも不可能。
送られてきた手紙も宝物庫の金庫に何重にも鍵が掛けられている。これも盗み見ることは不可能。
ならば私の出来ることは、「新たな浮気相手」を作り上げるだけ。
ちなみにその浮気相手とはわたしこと、レイア・フォン・アルヴィスだ。はっはっは!
自分を浮気相手に選んだ理由は単純、どうせ手紙でアプローチするのだから、他人である必要がないこと。
自分ならば夫の好みを熟知しているので、「可憐な」浮気相手を演じられるという利点もある。
「妻を舐めないでよね。夫の好みなど手に取るように分かるのよ」
ちなみに夫は黒髪の娘が好き。社交界に行くと必ず黒髪の娘をじーっと見ている。エキゾチックな感じがたまらないのだろう。
だからプロフィールには黒髪と書く。侍女に毎日すかせてさらさらであるとも特筆する。
体系はグラマーにしておく。巨乳の嫌いな男など存在しないからだ。ちなみに私はかなり慎ましい。
生まれは、十七歳の絹織物商店の令嬢、ということにしておこうか。
夫は気位の高い貴族の娘より、ほんわかした平民の娘を求めているはず。
貴族社会で育った男は、そういった娘を好むのだ。わざわざ文通などするからにはそういった願望を満たしたいはず。
――そのようにプロファイリングした私は、さっそく夫の理想の娘を演じると、侍女に手紙を送らせた。
三日後、夫から手紙が届く。
「素敵なお嬢さんから手紙が来て嬉しいです。よかったら文通をして頂けませんか?」
達筆な夫の文字を見て、にやりと微笑む私。
計画通り!
断罪編まであと数ヶ月! と心の中で闘志を燃やす。
夫との文通スタート、最初は互いのことを自己紹介する。
架空の文通相手の名前はシーナ。商家の一人娘で、王立学院の花嫁科に通っている。
周りは女子ばかりでつまらない、刺激を求めて初めて男性に手紙を送った、という設定。
好きな食べ物はイチゴ、練乳をたっぷりと掛ける。
好きな食べ物をイチゴとしたのは夫の好物だと知っていたからだ。
夫はイチゴに練乳をたっぷりと掛けて食す。
人間は共通点を見つけるとテンションが上がる生き物なのだ。
夫は「僕もなんです!」と興奮気味の返信をくれる。
「知ってるわよ。ちなみにその食べ方を教えたのはわたしだし」
ふふん、と鼻で笑うが、まあ、手紙にはおくびも出さずに可憐な少女を演じる。
夫の趣味を褒め称え、センスを褒め称え、文章も褒め称える。
男は基本、どや顔で女にマウントを取りたい生き物。どんどん気分を良くしていく。
また、シーナことわたしは、出過ぎず、控えめに、それでいてぐいっと相手の懐に入って夫を籠絡する。
夫の好みなど百も承知な私にとって児戯にも等しいほど簡単に夫の心を掴めた。
さて、これで準備万端。
断罪編に進むために最後の証拠固め、わたしは手紙の最後に、
「ミスリルさんと会いたいな……ふたりきりで……」
と書き添える。
これでイエスと答えれば有罪である。
私は今か今かと返信を待つが、夫のよこした返信は意外なものであった。
「……ごめん、シーナ、それはできない」
手紙の冒頭はそのような言葉で始まる。
その後、夫はシーナと会えない理由を列挙する。
僕は純粋に文通を楽しんでいること。
シーナは若く、希望と未来に溢れており、このようなおじさんと会っても仕方ないこと。
そのようなことが切々と語られると、さらなる謝罪が。
実は自分が既婚者であることを明かす。
なかなか手紙をくれる人がいないので、嘘をついていたらしい。
年齢を偽っていたのも同じ理由とのこと。
懇切丁寧に謝ると、夫はさらなる衝撃の事実を暴露する。
「僕は妻のことを愛しているんだ。だから彼女を裏切るような真似は出来ない」
「…………」
衝撃の事実が発覚、ペンをぽとりと落としてしまう。
「若い子と文通しているのは、妻をどうやって喜ばすか、聞いていたんだ。妻のレイアはまだ二十代前半だし、若い子から直接聞いたほうが早いと思って」
「……急に褒め出したり、髪に触ってきたのはそういうわけがあったのか……」
その後もいつもと違うことをしてきた。
急に演劇に誘ってくれたり、ライチを買ってきてくれたり、生理痛を心配してくれたり、そのたびに疑いの視線を向けていたが、彼は純粋にわたしに好かれようとしていただけだったのだ。
「妻とは歳が離れているからね。感性が違いすぎて。でも、愛していることは変わらない。結婚以来、どうやって彼女に好きになってもらうか、そればかり考えてきたんだ」
手紙はそのように纏められ、最後に「知恵を貸してほしい」と続けられる。
「……他の文通相手にも気を持たせるようなやりとりをしていたのかしら……」
なら、馬鹿者よ、と心の中で続けると、私はシーナとして返信した。
「きっと、奥様もミスリルさんのことが大好きだと思います。とてもいい人だから」
王立学院の女学生としてアドバイス、と追伸を書き加える。
「それと奥様もきっと文通したいと思っているはず。手紙を送られてみては?」
そのように書いた手紙を送ると、「ありがとう」と返信が来た。
そしてその翌日、「私」のもとにも手紙が届く。
差出人はもちろん――
ポイントをくださると執筆の励みになります。
それと下記のリンクの短編も面白いので是非。