西航行1-魔魚
やっと、海に出ました。
早朝に、西の国から海に出たアオ達は、
フジの薬が効いたのか、懸念していた船酔いに悩まされることもなく、海を楽しんでいた。
船は、やわらかな午後の陽射しと、ほどよい風を受け順調に進んでいる。
「ミズチ、何を縫っておるのじゃ?」
「水中戦用の頭巾を作っております」
「薄い布じゃのぉ~ 頼りなくはないのか?
透けては見えるが……しかと見えるかのぅ」
姫は、顔の前に布を当て、ぐるりと回り、島が点在する景色を眺めている。
「意外と丈夫なのでございますよ。それに――」
既に出来上がっている一枚を手に取り、立ち上がると、樽の水に頭巾を浸けた。
「おお~♪ 透き通って見えなくなったぞ♪」
「しっかり戦えると存じますよ」にこにこ
「皐月、これを被って泳いでみよ♪」
近くにいた くノ一に一枚渡す。
「これで、よろしいのでしょうか?」
すっぽり被って顎紐を結ぶ。
「ええ、紐を軽く結べば大丈夫でございますよ」
「では」
頭を下げると、皐月は甲板から美しい姿勢で飛び込んだ。
一度 潜り、浮上すると、
「姫様、不思議です! 水中で息ができます!」
「ならば、ワラワもっ♪」
いつの間にか姫も頭巾を被っていて、ぴょ~んと飛び込んだ。
くノ一達が集まって来て、皆で楽しげな二人を眺めていた。
「皆さんも泳ぎますか?」
蛟は、くノ一達に言ったのだが、
外洋に出る前に、水に慣れるべきと、全員で泳ぐことになり、錨を下ろした。
慌てて縫い仕上げる蛟。
くノ一達の親は、竜ヶ島の南部の海岸線を支配する海賊であったので、海を庭のように育った彼女らは、まさしく水を得た魚の如く活き活きと泳いでいた。
「ミ~ズチ~♪ 泳がぬのかぁ~?」
蛟は水蛇だが……海水は嫌いだった。
「私、海蛇ではないんですよね……」
そう呟いた時、
遠くから、海面に立つ巨大な帆なのか背鰭なのか――の群れが、ぐんぐん近付いて来ている事に気付いた。
「何かが迫って来ております!」
言いながら、蛟は聖獣になって飛び、何人かを背に掬ったが、一度には無理と船に戻ろうとした時、
空から、紫の光が海に飛び込んだ。
「フジ様!♪」
フジは、チラと蛟の方を向き、にこり。
皆の間を縫って泳ぎ、
「しっかり捕まってください!」
船に向かって飛んだ。
皆、無事に船に乗ったことを確かめ、フジは錨の鎖を掴み、船を引いて飛んだ。
間一髪!
船よりも巨大な魚影を躱した。
「鯨か!?」
「いや 速すぎる!」
「旗魚では!?」
「巨大過ぎる!」
操船しながら、くノ一達が、口々に叫んでいる。
「叫ぶ」と言っても、くノ一同士にしか聞こえない囁き声だが――
ただ、蛟には聞こえていて、蛟は正体を確かめる為に、通り過ぎた魚影の背鰭を追って飛んだ。
空振りした魚影達は、それぞれ大きく旋回し、船の位置を確かめると、再度、船に向かって速度を増した。
魚影達は背鰭で水を切り、海を疾走する。
蛟の真下近くに迫った時、魚影の頭部には、長い角があるのが見えた。
そして、禍々しい闇の気に覆われている事も感じられた。
魔物!?
いや……また、何かが操られているのですね。
殺さず、解放しなければなりませんね。
伝える為に、船に戻ろうとした時、
蛟の背後、船の方から水音がした。
フジに預けていた宝剣を受け取ったアオが飛び込んだのだ。
続いて陰陽師達が飛び込み、互いの両掌を合わせてから離れていくと、二人の間に大きな念の網が拡がった。
もちろん、姫も剣を手に飛び込んでいた。
姫は泳ぎも達者で、地上と変わらぬ俊敏さで魔魚に近付いた。
そして、その角の根元辺りを一閃した!
――が、
折れたのは角ではなく、刀の方で――
姫は、切りつけられ怒り狂った魔魚に追われる事となった。
他の魔魚達も、姫を獲物と認識したのか、続いて泳ぎ迫る。
「姫様! こちらへ!」
珊瑚の声で、姫は念網に向かって全力で泳ぎ、網の寸前で勢いよく潜った。
姫しか目に入らず、念網に向かって突進していた魔魚達は、急には向きを変えられず、次々と網に突っ込んだ。
同時に、陰陽師達が、魔魚の尾に向かって網を引いて泳いだので、魔魚は念網に絡め捕られ、動けなくなった。
「浄浄万象!」
僧侶が浄化の術を唱え、錫杖を突き出した。
!?
即座に錫杖から浄化の光が放たれる筈だったが、
一拍 置いて――
その錫杖から、眩い閃光が迸り、魔魚達を包み、禍々しい闇の気を浄化し、彼方へと消えていった。
魔魚達は、小ぶりな旗魚に戻り、陰陽師達が念網を解除すると、泳ぎ去った。
「慎玄殿、いつの間に そのような術を?」
紫苑の問いに、
「いえ……そのような修行など……
今、一番に驚いているのは、おそらく私です」
紫苑と珊瑚は顔を見合わせ、砂漠での馬頭鬼の攻撃に因って、力が解放されたのは、自分達だけではない事を覚った。
♯♯♯
一方、念網の寸前で下へと潜った姫は――
底の方は薄暗ぅて、よぅ見えんのぅ……
これではワラワの剣先は探せぬなぁ……
致し方ない、そろそろ浮上するか……
水を蹴り、浮上し始めた時、背後からの強い光に照らされ、辺りが露になった。
姫が振り返ると、船よりも大きかった魔魚よりも、更に数倍巨大な蛸に対峙し、剣を構えているアオが見えた!
剣が光っておるのか!?
アオの傍には、たった今、切ったばかりらしい蠢く触手があり――
その触手は、海流に流されているのかと思いきや、ゆっくりと流れに逆らって移動しており、どうやら、アオの背後に回り込もうとしているようだった。
「アオ! 後ろじゃ!」
アオは、姫の声に、振り返りざま、触手を二度三度と切り、巻き付かれないように細かくしたが、そのうちの ひとつが、アオの顔に貼り付いた。
「あっ! 吸盤が!」
泳いで向かっていた姫が声を上げた時、アオが大蛸の触手に捕まった!
「姫様! お乗りください!」
背後から蛟が現れた。
蛟の後ろには、紫苑、珊瑚、僧侶を乗せたフジが続いていた。
「ワラワの剣が折れた! 急ぎ船にっ!」
姫を乗せた蛟は踵を返す。
「暫し任せたっ!」
フジ達とすれ違いざま、姫は叫んだ。
フジの輝きで、辺りが薄明るくなり、巨大な蛸の触手に絡め捕られ、吸盤で顔を覆われ、もがくアオの姿が浮かび上がった。
「兄様!」
フジが紫炎を放つ。
続けて、陰陽師達も光の矢を射る。
紫炎と光の矢は、吸盤を掠めるように続けざまに当たったが、吸盤は びくともしなかった。
慎玄は、すぐさま大蛸を浄化しようとしたが、先程の術による消耗が思いの外 激しく、術力が回復するには、今少し時間を要するようだった。
アオを傷つけず、蛸を殺さず、と四人が逡巡していると、
アオの力が抜け、剣が落ちていった。
フジは反射的にアオに向かい水を蹴った。
が、その時、アオが光を帯び――
光は脈動するように輝きを増していく。
底に刺さった剣も、呼応するように光り始め、アオの前まで浮上すると――
アオと剣が放つ光は ひとつとなり、爆発的な迸りとなった!
輝きの中に、一瞬、青竜の姿が浮かんだ。
そして、光が薄れると――
大蛸の姿は無く、アオだけが漂っていた。
フジがアオを抱え、剣を拾い、辺りを見回すと、足が二本足りない蛸が、力なく漂っていた。
慎玄が回復の術を唱えると、蛸は、ふらふらと泳ぎ去った。
「さっきの光は何じゃ?」
蛟に乗った姫が、頭上で剣をクルクル回しながら戻ってきた。
「蛸は何処じゃ? 終わってしもぅたのか?
残念じゃ~」
剣を鞘に収める。
「アオ様っ!」蛟がフジの元へ泳ぎ寄る。
「わわっ! ミズチ 、急にっ!
っと……アオ!? 大事無いか!?」
フジはアオの額に手を当て、気を確かめた。
「気を失っているだけです。
命に別状はありませんし、怪我もしておりません。
ですが……とにかく、船に戻りましょう」
♯♯♯
船に戻り、藤紫の竜が、陰陽師達と慎玄が降りるのを待っていると――
「あら♪ 竜さん、いらっしゃってたんですか♪」
船室から踊り子が出てきた。
「ずっと、部屋に居ったのか?」
「ええ、航海術の本を読んでいました」
「かなり揺れたと思うのじゃが……」
「そうですか?」
と、踊り子が姫と話している間に、
フジは小声で蛟に、
「兄様に仙竜丸を飲ませてください。
それで大丈夫だと思います。
私は天界に用事を残しておりますので、これでっ」
早口で言い、そそくさと飛んで行ってしまった。
アオ様、大事無くて良うございました♪
それに致しましても……
フジ様、可愛い過ぎでございますぅ♪
蛟はクスクス笑いながら、アオを船室に運んだ。
凜「サクラ、どこにいたの?」
桜「空♪ ずっと上~♪
フジ兄、行ったから~」
凜「まだ、そのコッソリ、続けるの?」
桜「もぉすぐ、ちゃんと船に行くよ♪」
凜「じゃあ、暫く、裏サクラは出ないの?」
桜「裏……って……なぁに?」
凜「マトモな方のサクラ」
桜「なんか……ヒドくなぁい?」




