執事長8-助かりはしたが――
約二百年前のお話です。
爽蛇が目覚めると、蓮蛇の心配そうな瞳が目の前に有った。
「……ここは? 蓮蛇……だよね?」
「はい。良かった……爽兄さん……良かった……」
安堵した蓮蛇が涙を落とした。
「私は……何故…………あっ!!
アオ様は!? 風蛇は!?
女の子も居た筈ですよねっ!?」
「アオ様と少女は、無傷ですよ。
まだ、眠っておられますけど」
「そうですか……あっ、風蛇は!?」
「命には……ですが……」
「もしかして、大怪我を?」
「いえ……それは大丈夫です。
ですが……隠せる事でもありませんね……お会い頂ければ……」
「すぐに会わせて――」
「その前に……」手鏡を差し出した。
「覚悟して、ご覧ください」
裏向きで渡された手鏡を不思議に思いつつ、表に向けた爽蛇が頭に手をやった。
「これは……私……ですね」
男には勿体無いとまで言われていた、サラサラと艶めいていた髪が無くなっていた。
「もしかして……風蛇も?」
「いえ……ですが……」
「私の髪なんて、どうでもいいんです。
風蛇に会わせてください」
「では、お連れ致します」
待っていると、蓮蛇が蛟の赤子を抱いて戻って来た。
「また、眠ってしまったのですが……」
「まさか……」
「はい。そうです」赤子を渡した。
「確かに……風蛇……どうして……」
後は言葉にならず、爽蛇は、すやすやと心地良さげに眠る弟の頬に、そっと触れた。
「風蛇……どうして……」
一度、ぎゅっと抱きしめた後、爽蛇は涙を流しながら、ただただ風蛇を撫で続けた。
♯♯♯
爽蛇の部屋から出ていた蓮蛇が戻って来た。
蓮蛇は、女性物の小さな鞄と、黒い手帳を卓に置いた。
「少女のご両親の遺品だそうです。
少女――琉蛇さんの学生章も入っておりました」
「そうですか……ご両親とも……。
それにしても、何故……あんな場所に……」
「蛟が、あの場所に行く理由など……ご先祖のお墓参りくらいしか……」
「そうですよね……運が悪過ぎたのですね……」
扉を叩く音がした。
「執事長、琉蛇さんがお目覚めになられました」
「蓮蛇、私も行くよ」
「しかし、まだ――」
「もう大丈夫だよ」
風蛇を抱いたまま立ち上がった。
♯♯♯
「琉蛇さん、お加減は如何ですか?」
蓮蛇の呼び掛けに、琉蛇は、ぼんやりとした瞳をゆっくりと向けた。
「……それ……私?」
蓮蛇と爽蛇は顔を見合わせた。
「この学生章は貴女のものですよね?」
彼女は、手渡された物をじっと見詰め、そして、ぼんやりしたまま首を傾げた。
「学生章は分かるけど……」
そこで言葉を失い、次第に大きく目を見開いていくと、唇を震わせ、大粒の涙を溢した。
「どうしましたか!?」
蓮蛇と爽蛇が駆け寄り、顔を覗き込もうとすると、両手で顔を覆い、声を上げて泣き始めた。
両親の事を思い出したのだろうと、爽蛇は、空いている手で、大きく震えている肩を包んだ。
「私……私の事が……何も分からない……」
「えっ……?」
「……何も……思い出せないのっ!」
泣きじゃくり続け、疲れ果てた琉蛇は、それだけを絞り出すと、崩れ落ちるように再び眠りに就いた。
♯♯♯
「琉蛇さんは、記憶を失ってしまったのでしょうか……」
「ご両親の事も忘れてしまったのは、今は幸いなのか、不幸な事なのか……」
「そうですね……。
髪を失った程度で済んだ私が、一番 軽いのですね……。
風蛇は、生きてきた時の全てを失ってしまったんですね……」
「命だけは留めたのですから、それだけでも……」
「そうですね。
何よりアオ様が御無事でしたので、もう、これ以上は望みません。
私達は、そうですが……琉蛇さんは――」
そこで爽蛇は言葉を切った。
「そういえば私達は、どのようにして、こちらに?」
「大きな白い妖狐様が、お運びくださったのです」
「白い……妖狐……もしや!
その方は、碧い光を帯びておりませんでしたか!?」
「そうですね……青のような緑のような光を纏っていらっしゃいましたよ。
ご存知の方なのですか?」
「アオ様をお助けくださる方なんです。
いつも、アオ様には言わぬよう口止めなさるのですが……
ああ、確かに……あの声は……。
気を失う直前に声を聞いたんですよ。
今思えば、確かに妖狐様の御声でした」
「爽兄さんが回復されてから、と思っていたのですが……
その妖狐様が、日を改めて、爽兄さんに会いに来られるそうです」
「そうですか」
「それまで、こちらで養生なさってください」
「ありがとうございます、執事長」
「おやめくださいよぉ」
笑っていると、扉が叩かれ、開いた。
「ア――」オ様?
爽蛇と蓮蛇が同時に発した声を、入って来た少年の可愛い声が遮った。
「アオ……起きた」「アカ様っ!?」
「蓮蛇、なぜ驚く?」
「アカ様が、アオ様に付いてくださっていらしたのですか?」
「当然だ。アオは兄だからな。
蓮蛇、来い。爽蛇は寝ていろ」スタスタスタ。
「アカ様っ、私も――」
「無理をしても、アオは喜ばぬ」
開けたままの扉の向こうから、アカの声だけが聞こえた。
「アカ様の仰る通りですので、爽兄さんは、お休みください」
蓮蛇は小声でそう言うと、爽蛇を押し留め、出て行った。
爽蛇が、アオの様子を確かめたくて、落ち着けずに居ると、窓の外が明るくなった。
窓の外を見ると、宵闇に碧の光を帯びた大きな白い妖狐が浮かんでいた。
「妖狐様っ! あのっ、この度は……いえ、この度も、ありがとうございました!」
「大声を出すな。アオには知られたくない」
「あ……はい、申し訳ございません」
「そこまで畏まらなくても構わぬ。
話が有る。乗れ」壁を抜けて入って来た。
「えっ? あ……はい」おずおずと乗った。
「しっかり掴まれ。行くぞ」
妖狐は宙に浮くと、爽蛇をチラとみてニヤリ。
輝きに包まれ――蛟の村に降り立った。
てーん、てーん、と跳ねると、木々の間を鼻で示した。
「間に合わず、すまなかった。
ここで亡くなった蛟の墓だ」
真新しい墓石が二つ。
その周辺には、比較的新しい墓石が、いくつも見えていた。
この森で無くなられた方々でしょうか……?
「あ……琉蛇さんのご両親の……。
妖狐様、ありがとうございました」
「助けられなかったのだ。礼など言うな。
それと、あの娘には、まだ見せるな。
ここは危険だからな」
「畏まりました」
「もうひとつ。
ここで見た事は他言無用だ。
出来ぬならば封じる」
「今、見た事で御座いますか?」
「いや、あの時――そうか、儂が封じておったな。
釘を刺す前に話されては後々困るからな。
アオを護る為に解いておきたいが、話さぬと誓えぬならば、そのままにしておく」
「私は、アオ様の執事長で御座います。
秘密を守る事でしたら、職務そのままで御座います。
アオ様をお護りする為でご御座ましたら、この命に代えてでも、お誓い申し上げます」
「ふむ。覚悟は伝わった。
ならば、そこに立て」
妖狐が示した場所には、魔法円が碧く光っていた。
爽蛇が、その中央に立つと、妖狐が術を唱え、爽蛇は光に包まれた。
――記憶の封印が解かれていく――
金「二人が無事ならば、それでいい」
黒「でも、ハク兄とフジは何をゴチャゴチャ
言ってたんだ?」
藤「いえ、何も……」
白「ま、済んだ事だ。もう気にすんなって」
黒「そっかぁ? ま、二人が元気だからいっか♪」
白「そーいや、女性達は、どこ行ったんだ?」
黒「虹藍様トコだよ。言ってたろ?」
白「知らねぇよ! 戻ったら居なかったんだよ!」
黒「そっか。不安だろうから元気づけるって
皆で行っちまったんだ」
白「そっか。おい、アカ、どこ行くんだ?」
アカはフッと笑って控室を出た。
 




