仁佳北2-桜華と嘉韶①
前回まで:紫苑と珊瑚は父親に会いました。
東の国の軍師は、戦場に送られて以降、殆ど眠れずにいた。
暖かな陽射しを受け、子供達の無事な姿を眺めているうちに、安堵感からか、つい微睡み、夢を見ていた。
懐かしい夢を――
――――――
暖かさに包まれ、目を覚ますと――
紅の瞳が覗き込んでいた。
「姉様ぁ♪ 生きてるわ! この人♪」
少女が弾みながら、後ろに向かって手招きする。
「桜華! 勝手に行っちゃダメでしょっ!」
「姉様っ! 待っ――きゃっ!」
「桃華! 足元ちゃんと見なきゃ――あっ!」
「梅華姉様も、桃華姉様も、泥んこ~♪」
「桜華が走るからでしょっ!」姉達。
「だって人よ! 初めて見たんだもん」
六つの瞳が覗き込む。
「まだ、ちゃんと起きてないわ」
「コギ! これへ!」
「はい。一の姫様」大きな白狐が現れた。
「この人を社まで運んでちょうだい」
「畏まりました」
大狐の背に乗せられ 、運ばれていく。
「この人、何してたのかしら?」
「ここ、どこだか、わかってるのかしら?」
暖かい光に包まれた。
「桜華、ダメよ。人に使っては。
どう作用するか分からないんだから」
「でも……辛そうなんだもん……」
「コギ、どうしたらいいの?」
「姫様方、御手を。
『癒し』を弱くお出し下さい」
「このくらい?」
「もう少し弱く……もう少し……
……その位でしたら、人にもお使い頂けます」
「ありがとう、コギ」
三姉妹は、慎重に光を当てながら、社に向かった。
♯♯♯♯♯♯
「壱彌、気分は、どう?」
目を覚ますと、また紅の瞳が覗き込んでいた。
起き上がろうとすると――
「まだムリよ。寝てなきゃダメ」
押し戻された。
「ここは? ……どうして名を?」
「ここはハザマの森、狐の社。
お名前は、ご自分で名乗ったのよ。
覚えてないの?」
「記憶が……はっきりしないのです」
「今は大丈夫?」
「なんとか……あの……貴女は?」
「桜華よ」にっこり♪
桜華が、私の額に手を当てた。
優しい暖かな光に包まれる。
「弱い光しか当てちゃダメって言われたから、ゆっくりしか治せないの。
しばらく、おとなしくしててね」にこっ
『三の姫様』障子の向こうから声がした。
「何?」
『お父上様が、もうすぐお着きです』
「解りました。すぐ参ります」
「姫……様……?」
「はい」にっこり
三の姫・桜華様が部屋を出、ひとり残されてしまったので、記憶を辿っていると、次第に定かとなってきた。
ハザマの森……
そうだ! 修行に来ていたんだった!
壱彌は、帝の陰陽師頭の家に長男として生まれた。
家の名に恥じぬ者になれ、と修行の旅に出され、海を渡り、『迷いの森』『人拐いの森』とも呼ばれる、この森まで来たのだった。
やっと、目指す森の入口に着き、教えられた通り自分に術を掛け、踏み込んだのだが、
未熟さ故か、感覚が狂い、方角が分からないまま出口を求め、さ迷う事、数日。
木々の繁りに覆われ、空も見えず、昼間でも薄暗い森をただひたすらに歩いていた。
そして、人より遥かに大きな烏に襲われ――
気付けば、紅の瞳が目の前に有ったのだった。
大きな狐に運ばれたような……
姫様方の式神であろうか……?
「コギ……」と、呼んでいたか……
「はい。お客人、如何なさいましたか?」
大きな白狐が現れた。
「あ……」狐が喋った……
そして、コギから、
この世――『三界』には、この『人界』の他に『天界』『魔界』が在り、
ハザマの森が三界の交わる場所である事、妖狐が守護している場所である事を聞いた。
「現状では、人が易々通る事が叶う場所ではございません。
回復なさいましたならば、お送り致しますので、二度と立ち入らぬよう、お願い申し上げます」
♯♯♯♯♯♯
軽やかな足音が近付く。
「壱彌♪」障子が開く。
「あら、起き上がって大丈夫なの?」
「もう大丈夫ですよ、姫様」
「退屈でしょ? これ、人の本よね?」
差し出された本は、古い異国の物ではあったが、どうにか読むことが出来そうだった。
「ありがとうございます♪」にこっ
「良かった~♪ 壱彌、やっと笑った♪」
それから、桜華姫様は、出掛ける用がある日は本を持って、
そうでない日は人界の話が聞きたいと、毎日、私の部屋を訪れて下さった。
♯♯♯♯♯♯
歩けるようになり、裏庭で、久しぶりに術の練習をしていると――
「術が使える人も いるのね!?」
桜華姫様が軽やかに駆けて来た。
「妖狐の方々の足元には、とてもとても及びません」
「人は術が使えないって聞いてたわ。
なのに使えるなんて……
壱彌は魔人の血が入っているの?」
「さぁ……聞いた事もございません」
「見てあげる♪」額に掌を当てる。
「あのっ」「じっとして!」「……はい」
頬が染まっていくのを感じながら、待っていると――
「とっても遠い御先祖様に、妖狐がいらっしゃるわ♪
だから使えるのねっ♪」
桜華姫様は嬉しそうに言った後、ぶつぶつと呟きながら考え始めた。
「だったら……」再び額に掌を当てると、
口の中で術を唱え始めた。
浮遊感に慌てていると、
頭の中で光が弾けた。
「あ……」
「もう一度さっきの術、やってみて♪」
言われるがまま、掌の紙片を蝶に変えようと、術を唱えると――
掌から、ぶわっ! と、無数の蝶が湧いて飛んだ!
「うん♪ 開いたっ♪
……綺麗ね~♪」
「はい……」
慌てた足音が迫り、「桜華! 何事っ!?」
「あ♪ 桃華姉様♪
壱彌は狐の血を引いてたの♪」にっこり♪
♯♯♯♯♯♯
すっかり回復し、近々人界に帰らねばならないと決まった日――
裏庭の奥、森に少し入った所から、桜華姫様の声が微かに聞こえた。
辺りが静か過ぎるので、聞くとはなしに聞こえてしまっていた。
「お願いよ、コギ、父上様にお会いしたいの!」
「なりません、三の姫様。
今は、この社からお出になる事は許されておりません」
「なら、壱彌を帰さないで!
ずっとここに……お願いよ……コギ」
「この社でも、人をお護り出来る程、安全ではございません。
壱彌様の為に、お帰り頂かねばならないのです。
どうか、お聞き入れ下さいませ」
「なら、人界の方が安全なの!?
だったら私が人界に参ります!」
「姫様、ですから、それは――」
押し問答の末、コギは桜華姫様を妖狐王に会わせたようだ。
♯♯♯
「壱彌♪ 私も人界に参ります♪
コギも付いて来てしまうけど……
一緒に修行しましょ♪」満面の笑み。
そして私は、妖狐王の三の姫・桜華様に連れられ、コギの背に乗ってハザマの森を出た。
凜「このお話は――」
華「私と夫が出会った頃――
三十年くらい前から数年間の思い出ね♪」
凜「えっと、お名前が、紛らわしいような」
華「そうねぇ、まだ嘉韶は御家を継いで
なかったから、壱彌だったのよね~
代々、長男をそう呼んでいるらしいから
仕方ないわよねっ」
凜「桜華様は、妖狐のお姫様なのに、
妖狐王様は、人と結婚してもいいって
仰ったんですか?」
華「『人との子か……それも面白かろう』
って笑ったの」うふふ♪
凜「その言い方、妖狐王様らしいわ~」
華「でしょ♪ 父も、あの子達を気に入ってる
みたいだから、いずれ一緒に暮らすわ♪」
凜「それがいいですよ」うんうん
華「その前に、しなきゃならない事が
あるのよね~」
凜「はい?」
華「もうすぐ判るわよ。ケリつけなきゃ」
凜「えっと……眼差しの凄みが……」
華「あらっ? 気のせいよぉ~」うふっ♪




