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「ねえ聞いてるんだけど?」
促されても私は無言を貫いていた。理解できている裕子の確かな言葉に、反論する術がない。醜い最底辺の私は屁理屈や言い訳など言いたくなかった。
裕子はフォークを置いて溜息をついた。
「奏太君はさ、わかったふりをしてるだけで何もわかってないんだよ。大切なものを自ら失うときってどんな気持ちだと思う? 奏太君にはわからないよね。それなりに整った顔に生まれて、苦労したこともないよね。女はね、一生苦労するんだよ。自分の顔は人それぞれだけど、それでも自分が一番綺麗だと思って、思えてお化粧して洋服にも気を使って、好きな男の子のためにアプローチするわけ。わかる? その気持ち」
「あのときの俺はわかってなかった」
「あのとき? 今もわかってないじゃない。千紘が今どんな思いでいるか知ってる訳ないよね?」
「だから教えて欲しいと思って……」
「甘ったれんなよ! 甘ったれんなって。むかつくんだよ、そういう男を見てるとさ」
勢いをとどめず、彼女は席を立った。そして無言で千円札を置き、一間隔置いて「クズ!」とそう言い放って彼女は去って行った。
いつの間にか前のめりになっていた私は、深い息を付きながら背もたれに寄り掛かった。妙に視線が散漫になった。小さい子どもが何か言っている。それを躾ける母親。ひそひそと口に手を置いて話す老夫婦、友人らしき若者二人。美人なウェイトレスはウェイターと何か話している。席まで案内してくれたウェイトレスは、この状況に気づいているのか気づいていないのか、空いた席の片付けに徹している。
目の前のテーブルに残されたパスタ。コーヒーカップ。その後ろに残像が見える。
「大切なものを自ら失うときってどんな気持ちかわかる?」
正面に座る、薄い残像は、口を動かし続ける。その声だけが消えなかった。「何もわかってない」よりも堪えた。