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誰もいない教室。閑散とした明るい部屋は、割と気分を落ち着かせる。夏休みの補習も午前中で終わり、部屋にはもう誰もいない。四つある窓が全部全開になっていたが、それでも暑さは和らがない。
「お疲れさん」
冷たっ、と声に出し、首筋に感じたものが冷えたペットボトルだと気付く。
「なんだ千紘か」
「なんだとは何よ。私で悪かったわね。それあげる」
私はペットボトルを手にし、冷たさを存分に掌で味わった。窓際の席に座った千紘を見て、私もその隣に座る。
「ありがとう」
「どういたしまして」
千紘自身も缶ジュースを買ってきていたようで、タブを起こして独特の音を響かせる。
千紘の顔は窓の外へ向けられている。その横顔、浮き出た首筋。こんな顔だったか? と思うほどだった。それだけ普段相手の顔を見ていないのだろうか。それとも、千紘に限ったことなのだろうか。小鼻のふくらみが妙に私の感性を擽った。
「何?」
「あ、いや」
こちらを向いていた彼女の表情は普通だったが、声音だけは苛立たしさを含んでいた。どうやら不快だったみたいだ。
かと思えば、急に声音を反転させる。
「やっぱり私といると恥ずかったりする?」
「なんで千紘といると恥ずかしいんだ?」
私がそう答えると、彼女の顔にはえくぼが浮かび上がった。満面の笑みで彼女は続ける。
「じゃあ、今度一緒に写真撮ろう? ほら、今廊下で撮るの流行ってるじゃん?」
「廊下で撮るのはちょっと……どうかな? ほら、みんなに見られると恥ずかしいし」
悪気はなかった。何も考えずに答えた一言に過ぎない。ただ、彼女が私を知るには十分すぎたのだ。
感情に促されて口にした言葉は、教室を一瞬にしてまっさらにした。えくぼの形はすっと口角の引き締めに成り下がり、彼女は微笑む。私が手を伸ばそうと立ち上がったときには、彼女は横顔を捨てて、すでに教室を後にしていた。
不穏な雰囲気は、それを感じさせないまま私を置き去りにした。