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どうやら作業は終わったようで増田さんの奥から歩いてくるボスの姿が見えた。
「とりあえずこれで一通りの作業は終わったんで、また何かあったら今書いて頂いた電話番号におかけします」
珍しくまじめなボスが、サラリーマンらしく増田さんにお辞儀をしていた。中身はしっかりしてるんだよなあと思いながら、右にだけ残ったイヤホンを名残惜しく外した。
「でも、腑に落ちねえな。大学生なら普通に付き合えばいいじゃねえか。なんでまたこんなまわりくどいやり方するんだ?」とボスはぶっきらぼうに言う。
「なんでだっけ?」と増田さんに目配せをするのだが、彼女はその視線に気づいていない。
「まあ大事なお客様だ。責任もって個人情報は管理させていただきます」
お礼とお辞儀をして、「カスティーヨ」と、ボスから投げかけられた言葉には上の空。躊躇うことなく二人でオフィスを出た。
階段を降り、地上に立つと、真っ先に道路に視点が行く。踏み外さないようにと階段を下りるのだから当然だ。そうすると、平たんな道を歩いているときには目に入らないようなものが目に入ってしまう。
道端には吸い殻が落ちていた。ファストフードのゴミが、スナック菓子の包装が。電柱に張り付けられた広告の剥がれ様。用水路の穴から臭う下水。
いつも階段を下りるときだったらこれらを気にしていたと思うのだが、不思議と増田さんが隣に居るせいでその感覚は薄れていた。彼女の髪の毛から香るシャンプーの匂いに嗅覚が疼く。
よく見ると増田さんはとても小さく見えた。考えてみれば彼女の身長は私よりも二十センチ近く低い訳で、どうやら最初に教室の隣の席で会ったときの印象が、より強く残っていたみたいだ。
そんな隣を歩く増田さんに見とれていたのか、前方から歩いてきていた中年のサラリーマンと肩がこすれる。舌打ちを溢していったので一応申し訳ないという意を示した。その姿を隣で歩いていた彼女は顔を赤らめて笑うのだった。
「よそ見してるから悪いんでしょ?」という言葉は、どこかうれしそうにも聞こえる。
「ごめん」と一言言って進むと、彼女は「さっき私がどんな契約してきたか知ってるの?」とそんな話になった。
正直、そこが一番気になっていた。ボスはあんな感じなのでほとんどの内情を外に出したりしない。たとえ名前、偽名であったとしても一切漏らさないというのが信条なのかというくらい猫の毛ひとつ残さないし、周りの変化には異常なほど敏感だ。
だから、契約内容は知らない。今まで一緒に時間を共にしてきた女性も同様。相互作用というか、ウィンウィンな面もあり、ある意味でそれがいい影響を二人の間に及ぼしていたことも事実なのだ。
「詳細は知らない。増田さんが金を払って俺と一緒に過ごす。俺の口座に金が振り込まれることぐらいしか正直知らない」
「なんか嫌な感じね」と増田さんは笑った。でもそれに同意したのは増田さんなのだから、彼女は彼女で何を考えているのだろうかと思ったり思わなかったり。私には関係のないことだ。