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苦痛だな。仕事ではほとんど主体的に相手が動いてくれるので、間柄を作るのにそう時間はかからないし、馴染むのにも努力するほどの器量はいらない。相手が求めていることを私が汲み取って最大限に活用、発展させて利用する。そんなイメージを持っているが、実際は本当にそんなに細かい技術を使っているかと言われればそうでもない。要するに、相手の求めているものがコミュニケーション以前に合致しているのだから悩む必要がないのだ。ましてや相手は消費者なので嫌ならやめることもできるし発言権もある。断ることができる。
これはそういう類の裏返しの苦痛だ。
「どっかに座る?」
「あ、大丈夫。ここで待ってる」
そう答える彼女の顔は、淡い切なさを連想させてならなかった。小説の読みすぎだろうか。心を読ませまいとしていても、顔が引きつっている。いや引きつってはいないのだけれど、私にはそう見えてしまう。
騒がしい街頭はより一層騒がしさを増してきた。
付近にいた人がだんだん消えていく。待ち合わせに成功した模様。スマートフォン片手に二人で消えていく。開いた空間にまた別の人が寄りかかる。そしてその人も誰かと一緒に消えていく。
「増田さんって嘘ついたことある?」
私を見上げるようにして、彼女は答える。
「まあ、日常的みたいにちょっとしたことなら……」
やっぱりあるのか。そりゃそうだろう。人間という言葉では片付けられないほどの知性能力細胞が入り乱れているこの身体だから、普通と言えば普通だろう。
黙る、のはいいのに、嘘、は不の感情を吸収している。黙る、はいいのに第三者の決めた真実を当人に当てはめようとする。人の脳は思っていたよりも入り乱れていて、他人が思いつくようなことで満ちているとは限らないこともある。
彼女は?
「増田さんみたいな人でも嘘つくことあるんだ」
「まあ、少しくらいは」
「そうは見えないけどな」
「根暗に見える?」
「増田さんがそう言うならそう見えるかな。言わなかったら見えてなかったかも」そう言ったら彼女は笑った。「そうだよね、そうだよね。そう言われたらそう見えちゃうもんね。取り繕うのも逆効果かもなあ」
増田さんは壁にもたれて空を仰いでいた。見上げた向こうに何かあるのかと空を覗いた。
「今日珍しく雲がないね」
「ああ確かに」
「意外とビルの隙間からも空って見えるみたい。今日の空、すごく蒼い」
彼女に見えているものは私には見えないものだと思っていたが、今こうして右耳から聞こえる彼女の声を隣にしてみると、一緒にその彼女独自の世界、その背景を覗いているように感じる。お邪魔します、と増田さんの中へ入り、中にいた彼女と一緒にプラネタリウムでも見るように、一瞬で夕日で澄んだ空は星空へと変わる。
私の見ているものは、彼女に見えているのだろうか――。
太ももが揺れたのに気づき、電話に出る。
「おう、待たせたな。今から来ていいぞ」
「言われなくても、もうそろそろ行こうとしていたところでした」
電話を切った。