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女は赤ん坊を孕むことができる。男にそれはできない。だが男がいなければ女も孕むことができない。この相互関係が、時に憎く、時に羨ましくも思えるほど輝かしくもあれば醜くも見える。
性交に快感が伴っていなければ、はたまた快感だけのものだったとしたら。遠く昔のまだ発展途上、発展途上以前の初々しい大地と人間を築き上げた神様の思惑通りだったのかもしれないと思えてしまう。今もどこかにいるであろう神の存在を信じるべきなのか、「この目で見たことのないものは信じられない」という、思想から乖離した考えを自分に突き立てているのか。
どちらでもない。
ここに身体があるならそれを利用しない手はない。利用するまで。
人が生きていく上での不快感など、猫が道端の上でくつろぐのと同じくらい日常的なものだ。それから目を背けたいからこそ、非日常的な出来事、もっと言えば普遍的なものに終点を置いて、輝かしいものだと比較して実感する。
気づけばそんなことあたりまえだった。
でも、気づいた後ではどうとでも言える。
寧ろ、それが思い出せないのだ。一度何かに気づいてしまったら、今までどうやって生きてきたのかわからなくなるときがある。なぜこんなものに以前の自分は価値を見出せていたのだろうと日常生活やその他の多くのことに疑心暗鬼になったかと思えば、次の日には一瞬の戯れと共にそれはこのだだっ広い世界の空気の中へと溶けていってしまう。
この世の万象に、自分だけで正しい定義付けを行うことなど不可能に限りなく近い。
そんなのは誰もが無意識に知っていることで、言葉に表わすようなことではなかった。一度言葉にすると、たとえ嘘であってもなぜかそれが正しいことのように聞こえる。
酔っているんだな。
生きることに忠実になればなるほど、悩み、苦しみ、己を知り、その真偽に余暇を費やし、座右の銘らしきものを確立しようと試み始め、一般的とは言い難い存在に近づいていく。
じゃあその一般的って何だ。
お前の言う一般的って何だ?
私の言う一般的は何だ?
俺の言う一般的って何だ?
規則なのか? ルールなのか? 動物の生態? 植物の動向? 性癖? 癖?
自分を相手に当てはめることはできない。自分が嫌なことは相手も嫌だ、ということは必ずしもそういうことではないらしい。
でも頼れるのは自分の感性と浅い未熟な経験。
「普通そう思うでしょ?」と日常会話でその言葉を聞くたびに、そんな余念が頭をよぎっていた。