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真赤なアスタラビスタ  作者: 面映唯
【余裕のない哲学者】
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当然のことだが、普段の講義だったら集中するなど夢のまた夢、「人間はなぜ生きなくてはならないのですか」という問いかけの返答と同じくらい私にとっては難しい。だが、奇しくも、今日の講義では珍しく興味をそそる話題が出た。


「今日は承認不安とそれに関して簡単な哲学について学びます」


教授はそう声高らかにマイクに息を吹き込んだ。



デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と言ったそうだ。目的を達するために、「方法的懐疑」と言う名の下で、あえて疑ってみることにした。今自分の見ている世界は本当に存在するのか、夢や幻想、世界が見せた嘘ではないのかという疑いをかけたとき、それでも私がいるのは確かだ、という考えに至る。世界は存在し、主観と客観は一致するが、それとはまた別の次元に精神があるという。


かと思えば、カントは「物自体は認識不可能」と言った。すべての人間が認知する仕組みは同じなので、すべての人間が同じ世界を見ることは可能だが、世界自体が存在するかはわからないという考えみたいで、マジ、パラドックス、パラドックス。何言ってんの、頭がいかれそう。


心身一元論も二元論も、私にはよくわからなかった。こころと脳が一致してる? してない? こころの形が想像できないのは確かだったが、それが独立しているか脳と一体化しているかはまた別の話だ。教授は、心の形について皆さんは煙のようなものを想像するだろうと言っていた。


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