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人にはなぜか性別がある。一昔から男は狩りをして家庭の礎を築き、女は家庭内の安泰と平和を保ち続ける役目が果たされてきた。もっと違う家族の在り方もあったのかもしれないと思うが、今生活している自分からは、当たり前のようにそんな家庭の構造が垣間見えている。
そう当たり前に思うからには、当然反対の、当たり前ではないと思うこともある。ニートや定職に就かないフリーター、働かない人などは、社会から揶揄されそういう目で見られる。もっと言えば、叶うはずないだろうと傍目で上から見られるテレビに映らない芸人の端くれや、売れないロックバンドなどもそうかもしれない。
現代の巷では男が働きに出ないとヒモと呼ばれるし、女が日中家の中に収まっていると専業主婦と呼ばれる。男は出稼ぎに就くため家庭内に居座ることは少なくなり、女は女でパートに出かけたり、キャリアウーマンという言葉が浸透するようにもなった。
自分を犠牲にすることが多くなり、たまに休みがあれば「休みの日ぐらい自由にさせてくれ」と家族ではなく個人の時間を占領しようとする。その言葉に女は呆れ、女も不貞腐れては己の磨きに大層励む。エステ、ネイル、ヘアサロン。たまに子どもの面倒を見たかと思えば自分磨き。
そんな大人に育てられる子どもはたまったもんじゃない。人間に幼き記憶が曖昧にならないよう組み込まれていたら、当の昔に自分から親を捨てて、今頃は正常には育っていないものの、一人でなんとなく生きていることだろう。
さまざまな社会的背景があるとするならば、子どもが親を捨てるのは難しい。それも人間特有の感情なのか。
今は、そう思う。